ifからはじまる小旅行

3歳まで、東京都世田谷区上野毛に住んでいた。

そこから先は親の仕事の都合で関西で暮らすわけになったのだが、ある日ふと思った。

”あのまま上野毛で暮らしていたら、わたしはどんな人生送ってたんだろう”それがひとつのきっかけになって、半日の小旅行に出た。

聴こうと思っていたBayFMの6時間特番。ある都立高校の出身者による作品を中心とするコーナーがあると知って、立ち寄り先の一つにその高校を選んだ。

そこから、上野毛の家に帰るコースをシミュレートしてみた。学校の帰りに歩いて、途中で喫茶店なりどこかに立ち寄って、電車をどこで乗り換えようか。

明大前経由で井の頭線で渋谷に出る?
世田谷線で三茶に出る?
どっちにしても二子玉川で大井町線に乗り換えて。

誘惑がいっぱいある通学路だ。同じ区内とはいえ、時間にして小一時間はゆうにかかる。かといってチャリ通学にはちょっと距離があるので難しい。当時でも同じくらい時間はかかってたはずだ。

その学校の前まで行き、わたしはいろんな想像をした。
そこでどんな人と出会い、何をするんだろう。今より平凡なもっと何もない人になっていたかもしれないが、何かチャンスの前髪を掴んでいたかもしれないし、一度は掴んでも堕ちてぼろぼろになっていたかもしれない。とりあえず、自分が実際に過ごした高校時代よりはもうちょっと青春してたんじゃないかと。

中学の頃からなんとなく曲を書き、オーディションも応募したがかなわなかった。もうちょっと頑張っていたらなあと思うことはあるが、どうも諦めが早すぎたようだ。

ラジオ(実際はスマホのRadiko)から流れるその学校のOB・OGのかかわった作品を聴きながら、ぱっと見なんの変哲もないごく普通の学校なのに、ほんと不思議だなあと思ったものだ。ただ、偶々その学校に通っていたごくわずかな才能の塊みたいな人々の作品を聴いていたおかげで、わたしは40年以上いろんな音楽を現在進行形で楽しんでいる。それはそれで幸せだ。

上野毛に着いたが、残念ながら50年前に住んでいたマンションは既に跡形もなく、通学路のシミュレーションは終わりを告げた。

次の行先をどこにしよう。

行先はすんなり決まった。20世紀の末に離婚して引っ越した街にした。上野毛からは、乗り換えは1回。最近駅が綺麗になって図書館が入ったというのもちょっと興味深い。

かくして再度Suicaで上野毛の駅の改札を抜けて大井町線に乗り、旗の台で池上線に乗り換えて池上の駅を出てすこし街中を歩き回った。

駅が変わった割には、あまり商店街などは変わらない。2008年に引っ越す前に通っていた歯医者は生きていた。すごくお世話になったTSUTAYAもオオゼキも健在なのに安心した。

駅がキレイになると不便になる、そういったのは阪急の創始者、小林一三翁。池上駅もその典型で、少なくとも電車に乗るのには不便になった。

地上の古い駅の頃は、信号を渡ってダダダダダと走って改札をクリアすればすぐに電車に乗れるのが良かったのだが、いまは長いエスカレーターを上り2階のコンコースで改札を抜け、階段を下りて電車に乗らなくてはならない。

再度駅に戻り、駅ビルの4階に移転した図書館をパトロールして、ビルの窓際にトランジスタラジオをセットしてイヤフォンでラジオを聴く。千葉からの電波はちゃんと届いていて、若干のサーっというノイズはあるものの気にならない程度でよく聴こえる。Radikoと違ってタイムラグがないのもいい。

さっき訪れた高校の卒業生、もしわたしがその学校に行っていたら1年後輩になっていたひとの唄が流れ、彼女が喋っていた。トークでもお腹から声を出してる感がとても良かった。

人生って何だろう。

生きているだけでいい、とはよく言われるが、ほんとうにそれでいいのだろうか。何か残せるもの、残して価値があるものってある?

もちろんこのnoteも含めて。










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