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平和ボケしていると感じること

五体満足で、当たり前に食べて、働いて、遊んで。
家族がいて友達がいて。
毎日恵まれた日々が過ぎていくと、これが当たり前になってしまう

こんな言葉はネットやテレビでたくさん聞いたことあるし、私も頭ではわかっているけれど、自分も同じように当たり前に埋もれてしまっていることに、悲しいかな辛いことが起こると気付かされる。

子供のころからそう。
お前、平和ボケしてるんじゃないよ、有難いの意味を考えるんだよって誰かに言われている気分。

中学生の時に母親に癌が見つかり
高校生の時に姉が自殺未遂をし
大学生になった時に父に癌が見つかり
働き出したら今度は姉が癌になった

結婚したら浮気をされ
離婚を悩んでいたら私自身卵巣に腫瘍が見つかり
命さえあれば世間体なんてもういい!と割り切れるきっかけをもらったかな
離婚と同時に手術をした

それからしばらくして、めでたく再婚👏
そうしたら今度は乳がんが見つかって…

治療の後、有り難く妊娠🤰

そして今、また腫瘍が見つかり
わたしの父も癌が再発し、これから長い闘病生活を送ることになるそう

今では2人に1人が癌になるって言われているから
このような状況の人だってたくさんいるはず。

だとしても、ずっとずっと「死」を身近に感じて生きてきた気がする

身近に感じてきたとはいえ、住む場所もある、ご飯も美味しく食べれる(なんならお酒も飲める🍶)、みんなで元気に笑い合うことができる
それは多分すごく恵まれていることで、何にも変え難い幸せなことなんだと思う

そうなんだけど。
やっぱりこういうことがあると、当たり前の毎日に埋もれてしまっていたなと改めて気付かされる。

死を身近に感じると、いろんなことがもしかしたら最後なのかもしれないと気がつく
いってきます、という夫を見送るけど
それがもしかしたら最後かもしれないし
また来るね、と別れる両親とももう会えないのかもしれないし
子供のかわいい笑い声を聞けるのももしかしたら最後なのかもしれない
友達だってそう

そう思うとひとつひとつをぎゅっと大事にできるんだけど
時間が経つと埋もれていってしまう

そして埋もれた頃にまたこうやって頬を叩かれたかのように気が付くんだよな

何気ない日常は当たり前じゃない
立派な人間にならなくてもいいから、些細なことを大事にしていきたいな

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