日記 20220424
僕が書く小説の文章はとても下手くそです。それはまあ日本語が変で、主従が逆だったり、主語が遠かったり、脱字してたりと、とにかく下手なんです。最近、実は校正をしてもらいました。いやはや、直しが多くてとても大変だったろうなと、文字面でしか合ってない校正家さんに平謝りの気分になりました。
それにしても、その校正は丁寧でした。返しを見て、純粋に嬉しかったです。誤用や、明らかな間違い、衍字など当然ですが、書かれている固有名詞やシステムに対して調べてくれたり、物語の流れを読み取って、確認をしてくれたりと、文章や物語を丁寧にみて取って下さったなぁと思い感激しました。
会った事ないけど、その人はステキな人でした。
それはそれで、さておき。
僕自分の文章が下手なのに加えて、表現力も下手だなぁって思ってました。noteにいる複数の人の表現力に脱帽して、敵わないって敗走した記憶があります。で、そんな風に表現力を必要とするモノはもう書かないと決めました。それは文芸の中でも、人の微妙な心の動きを、捉える作品です。
書いてみれば分かりますが、そういうのってのは観察力と表現力の二つが必要です。
ご飯を作った、食べてくれなかった、嫌いだ。
例えばこれで物語を書ける人がいたりしますよね。
こんな起伏の少ない筋を、読ませてしまうってのは先に挙げた二つの能力が飛び抜けてるのです。
僕にはできないと、だから敗走して、白旗を振りまくりました。
ところが最近、ふと気づきました。
あぁ、小説の表現は自由なんだなぁって。
僕、多分人より風景の方が好きだと思います。
その風景から感じることは、自分の中の僅かな違いの感情に結びついてます。それぞれの景色にある、微妙な色合いはそのまま、僕の中にあるそれぞれの感情になります。
それを比喩で使えば良いんだ
僕が風景に感じた感情はそのまま、物語の表現に使える。その発見がほんの少し僕を自由にしました。
いつか、それを駆使して、さっき言った話も書いてみたいです。自由に描く。
せっかくの白い紙なんだもの、
自由に
書き続けるとみえること
其れもあるってのが書くこと良いところの一つでもありますよね
とは言え、なかなか書き始めないし、終わらないのも小説ですね。
さて、今日はこんなもの
明日締め切りのエブリスタの応募のため
「僕とチョコレートおじさん」を
少し改稿しながら、今日と明日を過ごします
おやすみなさい。
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