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探知 #呑みながら書きました 

何を書きたいかとか分からないまま書き綴ってみてますが、どうにもこうにも、空間が胸にあるみたいでして、宛ら、溝から吹く冷たいシベリアのような空気が私の前まで上がって参ります。外には、降る雨が、寒寒とさせており、内からも外からも心底冷えのある夜にも思えます。
耳の淵が痒くなり、少し掻いてみて、耳の痒みは何かに例えられそうだなぁなどと夢想するものの、結局何も浮かばない毎日ように思えてなりません。
私がこれほどに、何か空虚な自分と向き合わなければならない理由を、探してみても、直ぐには思いつかないというより、一つに絞れない事に起因しているのかもしれませんが、それでも探してみたり、袋を開けて覗いてみたりしても良いのかと思います。何よりも自分の持ち合わせている人間性の希薄さが嫌になるのだと思い、その薄くて味のない中味がどうにも哀しく感じているのです。
でも、そう思う事は無用というか、自分で言っておいて、また意味のない応えをしてしまうのはどうかと思うけれど、やっぱり無用なのかなと思ったり致します。

立て続けに、私から見て素晴らしい方を見たり感じたりして、翻って自分の矮小さを感じているのです。
私よりも若いのに、私が社会に出た頃に、何一つ思いもしなかった事を考え抜いて、一つ一つ口にしたり行動をしていった方。好きなものを把握して、それに向けて準備を怠らず、筆を取り、表現をする方。嗜好の為に時間もお金も惜しまず、いえ、少しは惜しみながら、好きを見極め足を伸ばし、壁にあたりながらも少しずつ積み重ねて、周りの人に届くことのないところに居れる人。先回りの力に長け、人との会話もよくでき、気が利き、丁寧に迅速に業務に勤しむ事ができる方。自分のやりたいを分かり、誠実に周りの人に伝えて、深く誰かに届く事をされる方。
立て続けに、なぜ今なのかと思いながら、胸に空いた、アルゼンチンのエルカラファテの吹雪を感じながら、私は震えるのです。

寒い、寒い、寒い。

自分の持ち合わせているモノに目を向けて、他の人の手にあるモノを羨み、手の中のものを火に焚べて、寒さを凌ぐのはやめた方がやっぱり良いのです。

もしも、そのように思うのならば、それは求めて、欲しがる自身の鞄について意識した方が良いのです。持ち運べて、空っぽのその鞄は、早く何かを入れたがって居ますが、鞄に似合うモノなど入れても鞄に隠れてしまいます。でも、その鞄を持ってなければそれも見つかりませんでした。

私は強く思います。


人生は、良いとか悪いとかでなく、見つける事だと思うのです。川に例えてみれば、上流から、下流にいき、海に帰ることはもう決まっており、速さも川の大きさも何もかも決まっているのと同じです。だから、流れながらも見つける事が私の人生なのです。そうでなければ、私は私とはなりません。

羨望する人々の気持ちや、素晴らしさの中に、また、私は見つけるようにしていけば良いのであって、見つけたものは私のものになりますから。


眠くて仕方がありません。
こんな文章書いていたら、眠くて仕方がありません。

明日の朝になるのが好きになれるなんて事は
私の毎日には訪れはしないでしょうが、それでも浜辺に座り波の音を聴くぐらいの素敵さがあるに違いありません。

届けたい人が居ないけれど、見つけたい世界は書きたいので有れば、私はそれでも構わないと言いたいと思います。




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