国の精神医療に対する目論見を『深読み』する(2014年記述)

2019/06/02 13:35初掲載
2020/02/09、誤字脱字レイアウト修正

以下の文章は、以前「はてな」にアップしたモノだが、はてなの新サイト移行にあたって、全ての記事を削除したので、こちらに改めてアップした。

元記事のアドレスは下記だが、既に存在しない。

http://d.hatena.ne.jp/Kumahige/20140215

以下、再掲分。

中医協(中央社会保険医療協議会)第272回議事次第を読んでみた。

「基本的な考え方」として長期入院患者が社会復帰困難になる傾向があると評価したものの、退院促進を目指すとも何ともないまま、「精神病床の機能分化」を促進するという方針を打ち出している。具体的には急性期病棟に医師を手厚く配置する、チーム医療を促進する、療養病棟での精神保健指定医の役割の見直し(減数)、常勤の精神保健福祉士の配置促進、などをあげている。果たしてこれで精神医療は良くなるのだろうか。

いくつもの問題点が見えてくる中で目に付くのは、
(1)入院医療に対するプラスの評価
(2)多剤投薬に対するマイナス評価
の2点であろうか。

まず(1)の入院医療に対する評価の変更である。

精神科入院医療は、その中に入ってみない限り評価は難しい。何故なら、精神疾患自体の特殊性がそこにあるからだ。

症状の増悪による入院は他科でも理解できようが、では何故増悪したのか。
疾患自体の要因のほかに、就労していれば職場環境の変化、あるいはそうでなければ生活環境の変化も大きな増悪因子になる。それは広い意味での対人関係の変化といえば良いだろうか。
つまり、症状が改善したとしても、退院後の生活の場、働く場における環境要因が元のままであれば再入院することが容易に予想される。

その点に関しては例えばデイケアなどで対人関係の調整能力を養うなどという方法が必要であろうが、中医協の案では「一定期間以上利用している患者は、手段的日常生活動作(IADL)がほぽ横ばい」だとして、利用開始から1年以上経過した場合には、これらの利用に対する評価を行わないとしている。平たくいえば、例えば1年以上の利用が必至な患者がいたら、その利用料ほかの経費のすべては管理者(院長など)が自腹を切れということだ。

また、これも重大な悪題だが、早期退院を促進するための対象患者は「統合失調症及び気分障害」に限定されてしまっている。つまり、精神科救急医療では、パニック障害やDVなどで問題となっているPTSDなどの、過去に「神経症」と総称されていた分野の患者は対象から外される可能性が見え隠れする。

また、精神科救急医療を行える施設用件の基準が緩和されている。具体的には例えばこれまでは1年間の強制入院ケースの「1/4または30件以上」を受け入れている病棟、とあったものを、「1/4または20件以上」に緩和した。これによって精神科救急医療を行える医療機関数は増加するであろう。医療機関数が増えるということは、受け入れ患者数が単純に増加することを意味する。日本の精神病院のほとんどが私立である以上、ここに経営的視点が当然はいる(最近では公的病院でも「赤字」を減らす努力が求められている以上、私立病院では推して知るべしである)。もったいぶった言い方だし意地悪な言い方だが、当然、患者集めが必要になるわけだ。昨年、医療保護入院の必要要件が緩和されたこととあわせれば、これまで以上に強制入院のケースが増えることが予想され、国はそれを後押ししていると言えよう。

もちろん、地域に住む精神疾患者にたいする医療、つまりは在宅医療こ対する評価はあがっているか新設されているが、過去のデイケアに対する評価の動きからすれば、この好評価が長続きするかどうかは全く予想できない。

また、これは外来精神医療に対する項目なので見過ごされる可能性が大きいが、いわゆる通院精神療法に対する評価にも、暗に入院医療を助長する側面がみられる。それは前回の診療報酬改定で新設された「精神保健指定医による通院精神療法」の項目である。

今回の案では、現行の700点を600点に減額する方針が示されているが、では精神保健指定医以外の精神科医が行った場合はどうか。これは「30分以上の場合400点」、「30分未満の場合330点」となっている。

本来、精神保健指定医は、精神保健福祉法によって強制医療の可否を判断する業務を担うのがその全ての役割であって、それ以上ではない。つまり、「精神療法」に長けているかどうかは精神保健指定医の要件には全く入っていないのである。にもかかわらず、非指定医より評価が高いのは、国が精神保健指定医の方が、精神医療全般を行うのに「有利」であることを認め、精神保健指定医の業務を法的手続を経ずに拡大していることになる。このように「示唆」されれば、医者とて人鬨であるから、有利な条件を選ぶであろうし、今後同様な「示唆」で、精神疾患患者の治療に入院がより有効であるとされれば、安易に入院医療を選ぶことにもなりかねない。これはいかがなものだろうか。

(2)についても異論がある。確かに無意昧な多剤投与は百害あった一利なしだが、では、「無意味」という判断は誰がどう下すのだろうか。そして同時に、これは精神医療だけの問題であろうか。世界的動向として単剤投与中心に向かうのは、理解できる。投与剤数が増えるにつれて副作用を含めて身体的リスクが増えるという報告が相次いでいるのだから、きっとそうであろう。が、同時に、例えば不眠症という一見軽症な精神疾患よっても、後の心疾患をはじめとする身体的疾患のリスクが増えるという報告も相次いでいることを見逃してはならない。

現時点での投薬内容が適正かどうかは、果たして今、決めつけてしまって良いのであろうか。

さらに問題なのは、「精神科継続外来支援・指導料」についてだ。
案では「3種類以上の」安定剤、睡眠薬、あるいは「4種類以上の」抗うつ剤や抗精神病薬を処方した場合には、これが算定できないとされている。同じ条件で、処方料や処方せん料、薬剤料も減点されることになる。移行措置として「平成26年10月1日」までは猶予されるようだが、これはそれまでに減量しなければ精神科外来医療を担う精神科クリニックなどに自腹を切らせるということになる。
不必要な投薬であれば減量も可能だろうが、では、多剤投与によってようやく安定を得ている「治療困難な」患者はどうしたらよいのだろうか。そういった「治療困難な」患者は、なにも精神科だけに限らない。内科であろうと外科であろうと、一定数存在するが、ざっとみた限りでは精神科医療だけがこういった一律な扱いを受けることになる。
もちろん、入院精神医療に対してもこのルールは同じ考え方で示されているが、先に述べたように入院医療は今回の案ではプラスに評価されているので、多剤投与によるマイナスの影響はより少ない。
数年前にデイケアに対するマイナス評価が為されたときに起こったデイケアの縮小・閉鎖が今度は外来精神医療も生じることになるだろう。端的に言えば、最近よく見かけるようになった積神科クリニックが、再び減少し、その代わりに再び精神病院が精神科医療の中心を担う世界に逆戻りすることになるのではないだろうか。

もちろん、医療費の増大を考えればどこかでマイナス評価を甘んじなければいけないのだろうが、それはあくまでもインフラとしてのみ、医療を考慮した場合である。医は算術、と揶揄されるのを覚悟でいえば、医療も今やひとつの職業、生きる糧になっていることを見逃してはいけない。

何度繰り返したように、医療従事者の「自腹を切る」ことを期待した医療は、医療従事者のモチベーション低下に直結する。ただでさえ、「奴隷なみ」と嘲笑されるほど評価が悪く、医療従事者自身の献身的モチベーションで維持されている。優遇されればモチベーションが上がるとは言い切れないのも確かだが、その責任の重さの割には、同年代の他職種と比較してもその評価(ここでは単純に年収をもって比較するが)は高くない。場合によっては低い場合も少なくない。例えば開業医を個人事業主として考えれば、年収数千万円というのは決して多くない。にもかかわらず、「医査は儲けすぎである」という都市伝説がまかり通っているのは何故だろうか。ならば医者を全てインフラとしてしまえぱ良いのであろうか。そういう案も実際に出てきている。医療の地域格差を星正する方策として国がその音頭をとろうというものだ。しかし、理屈の上では成り立つかもしれないが、医療格差が生じた理由を省みなければ、おそらく同じ道をたどって医療格差は再び生じるだろう。

それはさておき、世界的な精神医療の動向としては、入院医療から外来へ、地域へ、というのが大勢である。少なくとも人権を制約する強制医療は縮小すべきであるというのが世界的コンセンサスである。にもかかわらず日本では強制医療が全く減る気配がなく、それを問題視した国連の人権委員会が「日本を(2020/02/09追記)」名指しで改善の要ありと声明を出していたと聞く。それに応じた形で厚生労働省は医療保護入院を含む強制入院制度の改善案をまとめていたが、結果的に国会で審議、通過した法律は一歩ならず随分と後退した内容なった。おおまかに述べれば、精神障害者の強制入院に当たって、これまではごく身近な家族の同意が条件であった。だから精神障害者本人が入院を拒絶する場合には、家族との意見の対立が生じてその後の家族関係が悪化することもあった。退院後に精神障害者本人が再び病状の悪化をみた場合や自傷他害などの「問題」が生じた場合、その責任の一端を家族に押しつけていた点が従来から問題になっていた。その点を改善する意図もあり、今回の「改正」では、家族ではなく自治体の首長(場合によっては精神障害者本人とは直接面識がないかもしれないし、時には利益が相反するかもしれない人物だが)が同意すれば強制入院が可能になってしまった。

しかもその最終判断は、従来の「精神保健指定医2人」の判断が一致した場合ではなく、「1人」の判断でも可能としてしまっている。医療保護入院の本質が、医療のための保護、ではなく、医療及び保護、つまり医療が必衰な場合のみならず、「保護」のため(その理由は明示されていない)だけであっても入院を強制する制度であることを考えれば、悪意を持って運用することがこれまで以上に容易になったと言えよう。もちろん、「悪意」を前提に考え始めれなきりがないが、従来の制度であっても「悪意」をもって強制入院させられそうになったと精神障害者本人が申し出るケースは散見されている。法的にそれが証明されることは実は非常に難しく、これまで表にでなかっただけのことだ。

巷では、精神障害は特殊なケースであって自分自身には全く関係がないという認識が根強いが、決してそうではない。異常と正常は明確に区別できるものではない。「異常」の認識は、そもそもが所属する集団における少数派をも意味する。極端な「常識はずれ」は「異常」と判断するものだといえば理解しやすいだろうか。多くの他者に理解されない存在が、いわば精神的異常であろう。これまでの人類の歴史をひもとけば、「常識」がいかに変わりやすく脆いものかは容易に理解できる。ということは現時点では「常識」とされていることが、いつ何時「異常」と判断されるかは誰にもわからない。そうでなくてもいわゆる「悪徳企業」で横行しているという「いじめ」によってうつ状態からうつ病に陥るケースは後を絶たない。あるいは所得格差が広がる中で指摘され始めているのは、貧困が様々な疾病の発病に大いに関与しているということ、殊に精神障害との関連である。若い世代にはいわゆるワーキング・プアが急速に増加している。それに従って、今後、精神障害者の増加も十分に考慮しなければならない。精神障害は対岸の火事ではないのだ。

緊急の課題はもちろん他にもある。しかし、今、精神医療に対する国の目論見を「深読み」しておくことを決して先送りしてはならない。なぜなら、精神障害者という当事者の声はこれまで常に無視されてきているからだ。自分がいざ当事者になったとき、いくら声を上げても世間には届かな可能性が十分にある。「そのとき」では手遅れになるのだ。がん、急性心筋梗塞、脳卒中の三大疾病に、糖尿病と精神疾患を加えて五大疾病にしようとなった今、この問題に目を背けてはいけない。

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