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陰謀論者はかく語りき~日本国憲法ができるまで~

次の参院選の争点は、改憲するか否か?
この二年間で自称目覚めた人達、世にいう陰謀論者(以下、真相論者という)にとっては、これだけに絞ってもいいぐらいに重要です。

そもそも、日本国憲法について内容もよくわかっていないし、どうやってできたのかも知らない人が集まって「あーでもない、こーでもない」は不毛のの極みですね。
さらに「押し付けられたから!!」という理由で、必要もないのに変えようとする。

これから、なぜ真相論者達がこぞって改憲に反対し、一文字も変えてほしくないと思っているかを解説してみようと思います。

今の日本国憲法は第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)の終わり、ポツダム宣言が根拠になって作られています。1945年(昭和20年)7月26日に英、米、中、(のちに露)によって『日本への降伏要求の最終宣言』として13条の宣言が出されて、ひと月も経たず8月14日に受諾しました。

ポツダム宣言には『日本が壊滅するまで攻撃する』(ポツダム宣言3)と書かれていて、実際に新型爆弾が投下されたので、これがどんどん落とされれば、確かに日本は壊滅したのでしょう。
恐ろしい状況です。
このような状況になって、日本はこの宣言を受け入れる決定をします。
いわゆる『無条件降伏』です。

ほどなくして、厚木にマッカーサー元帥がやってきて、GHQの占領がはじまり(ポツダム宣言7)日本政府に軍の解体(ポツダム宣言6)や憲法の改正(ポツダム宣言10、12)を命じます。

さて、長い歴史の中で外国に占領されるという初めての経験の中で、追い出し作戦を考えた人がいました。下野していた憲法学者、鈴木安蔵です。
それまで考えていた憲法を元に憲法草案を作り上げ発表します。
ここには象徴天皇制や主権在民(国民主権)、基本的人権の尊重など今の憲法の骨格が書かれています。これを元に憲法が改訂されれば、占領軍は撤退することになります。(ポツダム宣言12)

この鈴木安蔵案がGHQに受け入れられそうであることを知ってか、総理大臣幣原喜重郎が戦争の放棄(平和主義)をマッカーサーに提案し、追い出し作戦に追従します。(ポツダム宣言6、12)

これらを合わせ、いわゆる『GHQ草案』が作られて日本国政府に渡され、修正などを経て今の『日本国憲法』(平和主義、国民主権、基本的人権の尊重)が出来上がり、サンフランシスコ講和条約が調印され(ポツダム宣言11)、GHQは撤退することになります。(ポツダム宣言12)


要点だけ年表にすると、こんな感じです。

1945年(昭和20年)
7月26日 米英中、「ポツダム宣言」発表。
8月6日 広島に原爆投下。《ポツ2、ポツ3、ポツ13》
8月8日 ソ連参戦・ポツダム宣言参加。
8月9日 長崎に原爆投下。《ポツ2、ポツ3、ポツ13》
8月14日 御前会議、ポツダム宣言最終決定、連合国に申入れ。《ポツ1》
8月30日 マッカーサー、厚木飛行場到着。《ポツ7》
9月2日 東京湾の米戦艦ミズーリ上でポツダム宣言受諾調印。
10月11日 総理大臣幣原喜重郎が憲法の変更、自由主義化の示唆および人権確保の五大改革指令を受ける。
10月24日 国際連合が正式に成立。
12月26日 鈴木安蔵ら「憲法草案要綱」発表。(国民主権、基本的人権の尊重、象徴天皇制)《ポツ10》

1946年(昭和21年)
1月1日 天皇、人間宣言。
1月11日 GHQのラウエル法規課長「この憲法草案(鈴木案)に盛られている諸条項は、民主主義的で、賛成できるものである」と評価。
1月24日 幣原、マッカーサー対談。幣原から皇室の護持と戦争放棄(平和主義)の提案《ポツ12》
2月3日 マッカーサー3原則を提示し、民政局に憲法改正案(GHQ草案)の作成指示。
2月13日 ホイットニー民政局長ら『GHQ草案』を吉田外相、松本らに手交。(象徴天皇制、国民主権、平和主義)
2月22日 閣議、GHQ草案受入れ決定。
2月26日 閣議、GHQ草案を元に日本案の起草を開始。
3月2日 日本案(「3月2日案」)完成。
3月4日 政府、「3月2日案」をGHQに提出。佐藤(達)法制局第1部長とケーディスらが翌日まで交渉しこれに修正を加える。
3月5日 閣議、GHQとの交渉により修正された草案の採択決定(日本政府の確定草案「3月5日案」成立)。
3月6日 政府、「憲法改正草案要綱」発表。
4月5日 憲法口語化案、閣議で承認(口語化第1次案)。
4月13日 「4月13日草案」(口語化第2次案)。
4月17日 政府「憲法改正草案」発表。枢密院に諮詢。
6月8日 枢密院本会議、天皇臨席の下で憲法改正草案を起立多数により可決(美濃部顧問官、起立せず)。
7月29日 小委員会で第9条「芦田修正」提示。(個別的自衛権)《ポツ11》
10月3日 貴族院特別委「帝国憲法改正案」修正可決(普通選挙制、両院協議会、文民条項追加)。
10月16日 昭和天皇、マッカーサーに対し、新憲法成立は「喜びにたえない」と表明。
10月29日 枢密院本会議、天皇臨席の下で「修正帝国憲法改正案」を全会一致で可決(美濃部など2名欠席)。天皇、憲法改正を裁可。
11月3日 日本国憲法公布。貴族院議場で「日本国憲法公布記念式典」挙行。「日本国憲法公布記念祝賀都民大会」開催。


1947年(昭和22年)
5月3日 日本国憲法施行。憲法普及会、記念式典開催。

1951年(昭和26年)
9月8日 首相吉田茂が西側諸国の49カ国との間に平和条約を調印。《ポツ11》

1952年(昭和27年)
4月28日 サンフランシスコ講和条約発効GHQ解体《ポツ7、ポツ12》

こうしてできた日本国憲法ですが、南出弁護士、木原弁護士らの『祖国再生同盟』という政治団体は、無効だとして明治憲法(帝国憲法)の復刻を目指しています。


簡単に言ってしまえば、
「あの時のケンカは負けてないよ~~ウソ泣きだったんだよ~~」
という事でしょう。

真相論者達はどうなるのかを考えます。。。

ジャイデン大統領
「の日太のくせに生意気だな。ポツダム宣言受諾をやめるって事でいいんだよな?」

国家主席
「核実験やる所なくて困ってたんだ。10回でいいからやらせてよ」

女帝
「あんたら好きにしなよ。日本人を絶滅させるなら、何でもいいよ。在野の学者があんな憲法作り出して占領軍を追い出すなんて、あの民族の頭脳はあなどれないよ。必ず絶滅させな!」

プーチン大統領
「まって~~!北海道は蝦夷共和国で独立させるから、手を出さないで!」

日本国憲法75周年記念スペシャル
『返り討ちだよ、ドラえもん』
~~の日太のバラバラ殺人遺体~~

は、これにてオワリです。

次回は、『改憲の黒歴史』だよ。
楽しみにまっててね♪
うふふふふ~~~~

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