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見かけの美しさではなく偽らざる美しさ

柳宗悦  「民藝」という新語を作り 民藝運動の指導者。柳宗理の父。「用と美が結ばれるもの、これが工藝である」と話しています。「用の美」とは 単なる機能美のことではありません。職人たちが 本当に使いやすいモノを求めて 無心に努力を重ねた結果 その形に美しさが宿ること、美しさだけを目的にしないことによって得られる美のことです。

職人たちがあらゆる使用場面を想像しながら一手一手丁寧に作り込んでいく。本当に必要なモノ・コトだけに意識を集中させた手仕事。そのことを「用の美が備わっている」というのでしょう。

巷には 最新の機能やデザインをもった多種多様な新製品が次々と溢れ 私たちの日常の手助けをしてくれています。そうしたモノの中には 私たちの見かけの美しさを後押ししてくれるモノもたくさんあり 機能美を満たしてくれています。

私たちにとっての「用の美」とは 「所作の美」といったところでしょうか。見かけの美しさではなく 偽らざる美しさ=真の美しさ。真が身につくことによって醸し出される美しさ。ここでいう所作とは 人間の行為・行動のことではなく 身のこなし・動作のことです。「どのような姿勢で 日常を送っているのか」で 実際の問題も異なります。所作が因果を作り出します。

何気ない日常の動作である 起居動作(起きる・座る・立つ)において バランスを崩しやすかったり 手すりの代用が必要であったり 余分な動作が多かったり……  。立ち姿・座り姿に不満があったり……  。「所作の美」のためには 日常生活で繰り返し行われる基礎動作の身体能力(歩く・しゃがむ・拾う・持ち上げる・押す・引く・起きる・座る・立つ など)を主観的に評価できることが大切です。

スポーツやトレーニング・エクササイズなどでも その動作に美しさを感じる人とそうでない人がいます。熟練者であるから美しい動作であるとは一概に言えません。歩行での脚のおくり方・立位座位での脊柱や肩幅にも因果は現れます。基礎動作の身体能力が低下した人の所作は美しいモノではありません。

所作には たくさんの身体機能の情報が詰まっています。身体機能の連動連鎖したリズムに興味を持ち その能力の改善・向上をはかることは 「醸し出される美」を得ることにつながると考えると よりやる気になりませんか?

基本の型を 理屈として頭で知るだけではなく からだで覚える。基本を繰り返し学び 習得することで 自由に動くことができる。できないことを習得するために 基本を繰り返すことで  楽しさや喜びを発見できる。所作の改善からたくさんの知識を得られるのです。

「ちょっとやってみようかな、マネしてみようかな」というところからカラダの使い方に興味をもってもらえれば嬉しいです。