引きで見たら「!」の日記

日記書きたいという気持ちはあるんだけど書くことがない。ほんとは書くことがないとかほざいている日記ほどつまらないものはないし読もうとも思わないから書くべきではない。じゃあなんでそんなことを書くかっていうとそんなとっかかりでもないと書ける気がしないから。じゃあなんでそこまでして日記を書こうとするかというと謎に書きたい気持ちだけは湧き上がってくるから。この日記書きたいというのは日記を読者に届けたいというような勘違い身の程知らず欲求ではなく心のうちから生まれてくる欲なのでそこはおさえて欲しい。なんで日記を書きたいという欲が生まれてくるのかを冷静に考えると昔と比べて今はSNSをあまり活発にやっていないこともあって外部との関わりを感じることが出来なくなっているからだと感じる。noteをやったことある人はわかるだろうけどこういう一般人の何気ない日記っていうのはおそらくよっぽど面白い内容でないとまともに人に読まれるということはない。稀に自分の記事が何人かの人の目に触れて「スキ」というハートマークを押してもらえることがあるがあれって大体の人は記事の中身など見ていない人からのものが多い。どういうことかというとハートを押してくれる人のほとんどは自分のページに飛んでもらうのが目的で中身なんざまるで読んじゃいない。なんでそれがわかるかというと実際そういう人のページに飛んでスキボタンを押した記事一覧を見てみると1分前に投稿された日記がずらっと並んでいたりするからである。中身なんてさらさらみていない。こうして僕がその人のページにアクセスしたようにそういうきっかけをばらまいているだけの人がほとんど。noteって思ってる以上に誰も何も見ていない。何も見ていない人同士がスキボタンを押しあっている。フォロワーとして押してる人は見てんじゃないかなと思うけど。それも実は中身なんて見てないかもしれない。まあこれはnoteユーザーの中の話でnote非会員の人は自分のページがないわけでわざわざハートをつけるメリットがないから非会員の人でハートをつけてくれる人は読んでくれてるんじゃないかと、まあ要するにSNSをやらなくなった今noteを書いて外部の人がハートを押してくれることだけが唯一外部と触れ合っている感じがするから日記を書きたいという欲が湧き上がってくるという話。誰に何を言われたわけでもないのに日記を書きたいことの言い訳のようなことをここにつらつらと書いている。数年前は毎日学校に行けば誰かと会話はできるしTwitterも多くの同級生をフォローしたアカウントがあってそこで仲良くしてみたり毎日誰かしらとLINEしてみたりでずっと外部との関わりを感じていたけど今はTwitterもアカウント削除しちゃったしLINEも誰ともしなくなったしもはや気楽に連絡できる人も数少ないしで思いのほか交友って自分でかき乱そうとしなければ自然と消滅していくんだなっていうのを実感してきている。まあでも今までだらだら書いてきたけどnoteは反応がなくても書きたい気持ちは何となくずっとあると思う。なぜなら自分が生み出したものが全部好きなキショナルシストの才があるから、占い師風に言うと自分が生み出したものが全部好きなキショナルシストの星をもってるから。まじで自分の書いた文とか何がいいのかわからなくても何回も読んじゃう。何がいいのかわからないのがいいとまで思えるほどのポジティブシンキング。自分が生み出したものについてだけは。自分の考えたこと至上主義の人間。インスタのストーリーとか外でないから映えとか関係ない。ディズニー行かないし海行かないし友達としょっちゅう会わないし、思いついた面白発表場所だと思ってる。みんなはどういうものだと思ってんだろストーリー。ストーリーあげるときなんて誰か反応してくんねえかなとしか思ってない。これずっと何の話?

まあ何が言いたいかっていうと皆さん地震は大丈夫でしたか?僕は大丈夫でした。地震が起きた時だけでもいいのであいつ今無事かな、何してんのかな、生きてんのかなでも何でもいいので思い出してください。
余裕あれば連絡ください。そういう話。頭痛い。

万が一お金を捨てようという発想に至った場合のみ僕に引き受けさせてください。リターンはありません。