間違っている事だけはわかる

どこかに行くという目的がある場合に誰をどう誘っていいかわからない。
例えば仮にディズニーランドに行きたかったとしてどれ程のレベルで仲良い人を誘っていいかもわからないし、どのタイミングで誘えばいいかもわからないし、そもそも行き方なり楽しみ方の相場がわからない。なんでもわからないで済まされる学生のうちにそういう経験をしてこなかったツケが今になって回ってきている。ディズニーランドくらいの大きい楽しさを求めて行くような場所にはどこまで親交を深めていることが誘って良い条件なのかがわからない。この言い方だと大きい楽しさじゃなければわかるみたいに聞こえるけどもちろん映画館に行く程度の小さい楽しさレベルでもわからない。映画くらい一人で観に行けよという意見はよくわかる。確かに一人でなんの問題もなく行くことができる。ただ一人で行けるということに甘えてこのまま生きていくと逆に一人でしか生きられなくなるような気がしてどこかで抗う必要があると感じている。もう既に手遅れな部分もあるがそれを諦めてしまったらもう今後ずっと手遅れの悲惨さが広がっていくのを見過ごすことしかできない。最小限の手遅れにするためになるべく早くどうにかしないといけない。ディズニーランドやら映画館やらに別に今行きたくないとかそういう感情面のことは置いといてとにかく誰かとどこかに行くというある種のリハビリ、特訓をしないといけない。しかし人の誘い方がわからない。思考の永久機関が今ここに完成してしまった。

わからないなりにとりあえずやってみようというのがどうしても苦手だ。全てにおいて間違いたくない。何をやるにもどこへ行くにも下調べをしっかりしたい。カフェひとつをとっても一人ですんなり入れない。入る前に「ドトール 入り方」とか「デニーズ 一人」とか馬鹿みたいなワードでネット検索して色々と安心してからじゃないと入れない。今まで何度か経験したことがあって間違うはずのないことですら急に不安になって検索しまくったりする。美容院を予約して行くだけでも本当にネットで予約した店と今から行こうとしている店が同じなのかとか、名前が同じだけで違う店を予約してしまったんじゃないかとか、時間は合っているかとか、そもそもスマホの時計は狂っていないかとかを店に入る直前まで何度も確認してしまう。電車も自分が乗ろうとしていた電車に確実に乗れているはずなのに一駅一駅本当に正しい駅に止まっているかとか、何分に何駅を通過するだとか、遅延はしていないかとか、そもそもアプリの情報が間違っているんじゃないかとかが頭の中を占領してしまう。一人の時だけ。これに関してはとりあえず何かをやってみるのが苦手とかの話ではなくて極度の心配性という病気なのかもしれない。

全てにおいて間違いたくないとかさっき言ってたけど、この性格もそれをこうして明かす事もそもそもnoteで日記を書いていることも全て間違っている。

万が一お金を捨てようという発想に至った場合のみ僕に引き受けさせてください。リターンはありません。