22年

1月14日で22歳にならせてもらいました。
22歳て。22年も生きているのか自分。

22年間生きてきて僕は立派な大人になれているでしょうか。小学校1年生の頃は6年生がとてつもなく大きな存在に見えて、中学に入ると小学6年生がどれだけ子供かを思い知り、中学3年生がものすごく偉く見えた。高校生になると中学3年生がとんでもなく子供に見えて、高校3年生がとても大人に見えた。大学生になるとその高校生もまたクソガキに思えたし、今大学卒業を目の前にして周りを見渡してもみんなたいして大人になっていない。
小さいころ見た大学生はあんなに立派な大人に見えたのに、いざなってみるとどこにも立派な大人はいない気がする。
立派の定義も大人の定義もわからないけど、まだならないでいい気もする。23年目もまだまだ子供で生きていく所存であります。

22回目の誕生日を迎えた今日の出来事はというと、このnoteで1000円支援してくれた人がいたり(厳密には昨日)、LINEでスタンプをくれた人がいたり、LINEギフトでケンタッキー10ピースバーレルをくれた人がいたり、何も言ってないのに誕生日を覚えてくれていてお祝いしてくれた人たちがいたり、押せば買ってくれそうな先輩にAmazonの欲しいものリストを送り付けたり(そして本当に買ってくれたり)、図々しくインスタで誕生日祝いを強要してみたり、そんな茶番に多くの人が反応して祝ってくれたり、あとは普通に9時間バイトしたり。あとは日記を見てるって言ってくれる人たちがいたり。この面白みのないただの日記の存在を知ってくれていること、興味を少しでももって覗いてくれること、これはなんやかんや嬉しい。

振り返ってみると、ポテンシャルのわりになかなか恵まれた誕生日を迎えることができている。感激している。中にはその程度でと鼻で笑う人がいるかもしれないけど、僕の誕生日にこれはとてもじゃないがもらいすぎている。感謝してもしきれない。僕なんかよりもっと煌びやかな人たちはこれ以上のお祝いが待っているのだろうか、いや、考えるだけ野暮かもしれない。これ以上ない素敵な誕生日になりました。ありがとうございます。

前に言ったようにこの日記は毎日反省や理想を語ってばかりのものになりつつある。23年目に突入する今、折角だから今年の目標設定をしておこうと思う。今年の目標はとにかくがむしゃらに行動する。何でもいいので1番を目指す。僕のことをよく知っている人が見たらこの子変わったわと涙を流すかもしれない、あるいは頭を打ち付けていないか心配するかもしれない。それくらい普段と違うことを言っている。がむしゃらという言葉が一番似合わない冷めた男ががむしゃらに行動することを目標に掲げている。何においても1番を目指すことをせず平均点、及第点で満足していた男が1番を目指すと宣言している。一般的に見たらありきたりな目標かもしれない、自分で言うのもなんだが僕がこんな目標を掲げているのは相当めずらしい。一生懸命をはたから見て嘲笑うような人間からは卒業する。今年は、いや今年からは何事も一生懸命に取り組みたい。

結局理想を語っているのと変わりないけどこれが今年の目標とする。
とにもかくにも誕生日を祝ってくれた方、本当にありがとうございます。22歳の僕も優しく見守ってくれると助かります。あと、冬好きですは食らいました。

万が一お金を捨てようという発想に至った場合のみ僕に引き受けさせてください。リターンはありません。