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小山田圭吾のいじめ問題

 汚職やスキャンダルで炎上だらけの東京オリンピックが始まった。

過去の壮絶ないじめとそのいじめ自慢について炎上していた、開会式の作曲を担当していたミュージシャンの小山田圭吾が、当初は炎上してからツイッターで謝罪しつつも辞任の意向はなく組織委員会も辞任させるつもりもなかったようだが、海外でも報道され炎上も止まらず、オリンピックの4日前になって辞任した。

 いじめの内容は壮絶、障害のある級友に便を食べさせたり、縛り上げた上に人前で自慰をさせるといったおぞましい物だった。しかし、なおひどいと思うのは、それを大人になってから、有名人の立場で、若者に高感度の高いロッキング・オン・ジャパンという音楽系の有名雑誌で、武勇伝のように自慢していた事だ。

その上、最初に炎上したいじめの他にも、若い頃に病院で入院中に夜中に友人とギターを弾いて大騒ぎをし、騒音によって末期患者が苦しむ様子を楽しみ、それによって人が死んでいるかもしれない事、それを過去に別の雑誌のインタビューで笑って自慢していたという事まであった。こんなひどい事をしてこれだけで済むとはとても思えない。こんな事は日常茶飯事だったのではないか。

 しかし、こんな事ばかりしていたのだとしたら、疑問が湧く。
誰か止めようとしただろうか?
雑誌で自慢しているのに家族も知らなかったのだろうか?
深夜にギターを弾いて人が死ぬほど騒いでいるのになぜ病院を追い出されなかったのか?
雑誌の関係者は、なぜ批判したり、止めたりしなかったのか?
雑誌は、なぜそれをあたかも楽しい事、かっこいい事であるかのように広めたのか?
しかもそれらに対する報道が「いじめの告白」としてなのだ。どう見たって告白ではなく「いじめの自慢」なのに。明らかにおかしい。そしてそれは3、40年前。

オリンピック組織委員会は小山田圭吾の炎上を受けても辞めさせようとしなかった。その上多くの芸能人が小山田を擁護し、音楽クリエイターの仲間は小山田を外すなら自分達もやめる、とまで言い出していた。芸能人の炎上全てに対してこのような擁護があるわけではない。悪いのかどうかもよくわからないような芸能人が炎上してもここまで味方が多いとは思えない。まして炎上の内容から考えると小山田圭吾の擁護はどういう事だろう。

そんな中、音楽プロデューサーの田辺晋太郎が小山田圭吾を批判する人達に対して「はーい、正義を振りかざす皆さんの願いが叶いました、良かったですねー!」という擁護ツイートでさらに炎上。

田辺晋太郎は小山田圭吾のいとこだった。そして田辺晋太郎の親で小山田圭吾の叔父は紅白2回出場の歌手の田辺靖雄、その父は紅白の司会者、小山田圭吾の親は日本レコード大賞を受賞した歌手の三原さと志、親戚には紫綬褒章・瑞宝中綬章受章の版画家中林忠良がいる事など、小山田圭吾が芸能一家で上級国民である事が明らかになってきた。

そしてさらに親戚が安倍晋三前首相の桜を見る会に出席していたという事も明らかになってきた。擁護している芸能人も桜を見る会に繋がる芸能人が多いようだ。

 基本的に個人の問題が家族に責任があるとは思わない。家族を責める事には基本的には反対だ。しかし上記のような擁護や過去に批判や制止が伺えない事、そして家族構成を考えた場合には、芸能ファミリー、上級国民に対しての忖度により、誰も注意できなかった、追い出す事ができなかった、いじめに追随して忖度すればよい事があると言ったような問題なのではないだろうか。つまりこの問題は忖度、世襲、上級国民問題でもあるかもしれず、その場合には家族が誰であるかは重要だ。であるならば小山田圭吾に限らず上級国民の回りには同様の出来事が起きている可能性がある。

忖度により止める者がいなかったという事ならいじめ問題にとどまらず、また忖度が政治家だけ、大人だけの問題ではないという事ならより重大だ。赤木ファイルや公務員による忖度の問題と根が同じと言える事だ。

また桜を見る会と関連があるならば政治と関係している事もありうる。

また小山田圭吾を解任させなかった組織委員会だが、辞任した小山田炎上の最中に演出家の小林賢太郎を過去にナチスやホロコーストを笑いのネタにしたという理由で突如解任した。これはナチスやホロコーストという強烈なインパクトにより小山田のいじめの壮絶さを薄めるためではないのか。実際炎上のパワーは分散したように見える。

そういった事からも組織委員会に任命された理由や小山田を解任しなかった理由は重要だ。


 また、若者に高感度の高い音楽雑誌がいじめ自慢を掲載した事は、いじめがかっこいいと勘違いする者を量産した可能性があるだけでなく、いじめはかっこいい事であり、いじめを止める事はださい、かっこ悪い、という空気を作る事に貢献しただろう。空気を読まなければいけないかの如く言われるが、空気を読んだ事により止めなかった者が多かっただろう。もし誰かが批判できていれば、あるいはもうやめようよと止める事ができれば、深刻な事態に至る事はなかったかもしれない。しかしこういった空気の中で批判した者は別のさらなるいじめにあうという悪循環が作られただろう。

もし自分がその場にいたら止める事ができただろうか。
恐らく止めに入って自分も便を食べさせられたか、あるいは、復讐を恐れて何もできなかったかのどちらかだろう。


 そして、この空気を作る事に貢献しているのは小山田圭吾とロッキン・オン・ジャパンだけではなく、ずっと作られ続けている。

テレビ番組はずっと、どう考えてもいじめを助長しているとしか思えない物が多すぎる。いじめを楽しむ事を商売に利用している人達が明らかに存在していて、見ていて不愉快になる物が多い。

学校もいじめを助長してきている。学校の先生が一人の生徒をいじめの対象にしてクラスをまとめる、先生だけではなく学級、部活がいじめの温床なのは周知の事実だ。いじめられる側にも非があるなどと言う屁理屈が使われるが、非のない人間などいない。その上そういう時にいじめる側の非については語られない。

出る杭をうつ。空気を乱す者を排除する。
テレビと学校、社会によりいじめの空気は作られて続けている。


 そうしていじめはこの件だけではなく、似たような事は常に起き続けている。止めようとすら思わない人はたぶん多い。復讐を恐れるかあるいは思考停止であるいは一緒にいじめを楽しんで。そうして育った子供が現在の大人の中にたくさんいる。

いじめを主導するのは小山田圭吾もそうだが僕の知る限りでは親が金持ちだったり有力者など立場が上などの者だ。ドラえもんでいじめをするジャイアンは貧しいが実際はいじめの主導は大抵はスネ夫であって親の七光りやコネで出世できる可能性が高く、いじめを主導した人ほど大人になって社会の上層部にいる可能性が高い。実際コネで突然やってきた者が場をめちゃめちゃにしたあげく責任も取らず異動して逃げたなどの話も耳にする。それは考えてみれば総務省接待汚職問題の東北新社の部長で問題が起きた後に人事部に異動したというスガ首相の長男の菅正剛氏も当てはまるのではないか。


 いじめと言っても仲間はずれ悪口から暴力や殺人に至るような物まで様々だ。そしていじめという曖昧な言葉で十羽ひとからげに犯罪色がごまかされ続けている。今年起きたばかりの旭川の事件などの集団による暴力もにうやむやにごまかされている。記事を見る限り学校や教育委員会の対応はどうかしているとしか言いようがないし、それには何か理由があるのだろうが、そういった事も旭川だけに限った話でもないだろう。

なぜごまかすのか。
なぜひどいいじめはなくならないのか。
それは、やましい大人が多すぎるからだろう。特に社会の上層部に。
そして下層もそれを真似る。子供も真似る。悪循環は止まらない。


この問題はいじめとしても大問題だが、単なるいじめだけの問題にとどまらない。なおかつ、いじめは当事者だけの問題ではない。社会の問題だ。

 人は誰でも過ちを犯す。そして過ちに気付きそれを解決しようとするならば赦されるべきだと思う。誰も傷つけずに生きて行く事などできない。しかし隠そうとされるなら赦されるべきと思わない。また自分の汚点になった事や身内に迷惑をかけた事を後悔する事は過ちに気付く事ではないと思う。
小山田圭吾の問題は解明されるべき事が多すぎる。


そしていじめを個人の問題として終わりにするなら問題は解決しない。
1人を叩いて済む問題ではなくいじめは社会全員に関わる社会の問題であり、当事者だけの問題ではないという事を、全ての大人が強く理解すべきだ。

いじめは民主主義、個の尊重、平等、基本的人権に関わる問題だ。




参考












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