島原駅伝を終えて2区 河野颯太
今回2区を担当させていただきました。3年河野颯太です。
1.島原学生駅伝前
まず、当日に至るまでの流れを説明したいと思います。鞘ヶ谷記録会からの流れは以下の通りです。
10/15 鞘ヶ谷ナイター 5000m14’56”17
(10/19 2000m*10 6’20”~6’30”)
(10/23 30kmB-up 1°50’25”)
(10/26 21.1kmPR 1°12’38”)
11/6 下関海響マラソン 2°28’08”
(11/16 2000m(6’07”)+1000m(3’05”)+2000m(5’50”))
11/19 島原駅伝試走(2回目)
11/26 熊本中長距離記録会 DNS
鞘ヶ谷記録会が終わり、フルマラソンに向けて練習を行い、フルマラソン後は1週間ほど休養をとったのちに、身体と相談しながら丁寧に島原に向けて調整していこうと考えていました。
また、フルマラソンの練習をしていたため、島原に向けては3回のスピード系のポイント練習+11/26の記録会で追い込むことができれば良い状態で島原に臨めるというふうに考えていました。
しかし、2週間前の5区の試走で怪我をしてしまいそこから1週間はまたしても休養。11/26の大会は欠場し、そのときに自分の状況をチームに伝えました。正直、もっと早く伝えるべきだったと思っていますが、5区を試走していたのはチームの中で自分だけであり、さらに、15分前半を持っている仲里が疲労骨折しておりなかなか言い出すことができませんでした。
しかし、不思議なもので、島原駅伝を走ることが厳しいかも知らないと伝えた翌日の11/27(日)からジョグが再開できるようになりました。そこからなんとか少しずつ復調しなんとか島原駅伝出走までたどり着くことができました。
2.駅伝前日とレースプラン
島原には前日入りし、競技場で素早く刺激を済ませたのちにお昼を食べ、コースを車で2度ほど下見しました。また、ホテルについて仮眠をとった後、昨年2区を走ったの益永のラップを見ながらレースプランを考えました。
レースプランとしては、前半の4km、後半の4km、最終盤400mと大きく3つに分けて捉えることにしました。
•前半の4km
最初の1kmは3’05”~3‘10”くらいで入り、そこからの2〜4kmの下り区間を2’58”前後でゆとりを持って押して、結果的に4kmを12’00”で通過
•後半の4km
小刻みなアップダウンが連続する中で3’05”~3’10”で押していき、12’20”~40”くらいで通過
•ラストの400m
下りを利用して切り替えて70”以内に帰ってくる
とにかく自分がどれくらい走れる分からないので、前半抑えて後半勝負にするというプランにしました。(ここで、適切なプラン設定をできたのが後から考えれば冷静に走れた最大の要因になったと考えています。)
3.駅伝当日と結果
当日はまず6時20分ごろに起床し、朝ごはんにおにぎりを2個食べ、身支度を行いました。寒いことが予想されていたため、アップジェルやワセリン等を身体に塗りたくっておきました。
今回の駅伝では、自分がどのようなタイムで走れるか分からないので周りの選手が少しでも速く走れる配慮をしようと心掛けました。結果的には、朝食会場でみんなに声をかけるくらいしかできませんでしたが、走る前に次走者やチームメイトと一言交わしておくのは駅伝では大事なのかもしれないですね。
その後、みんなのお見送りを受け付き添いの下原と共に中継所へ向かいました。そこからは、想定していたよりも時間がなく、身体をほぐして動き作りとアップをしたらすぐに最終コールの時間になりました(できるだけ準備はホテルで済ませておいたので落ち着いて最終コールを迎えられました)。
ここで少し出遅れている情報が入り、とりあえず1桁順位まで持っていこうという気持ちでスタートしました。
結果は以下の通りです。
前半4km 11’48”6
2’57”9 -2’53”8 -2’58”1 -2’58”9
後半4km 12’40”1
3’03”5 -3’10”8 -3’12”3 -3’13”5
ラスト400m 78”6
合計 25’47”
区間5位全体11位で襷を繋ぎました。4km手前でOPN参加を含めて5チームを抜き長崎大学を捉えたのですが、2km程度(?)並走した後に離されてしまい、中継所では結果的に13秒も離されてしまいました。ここは本当にもったいなかったと反省しています。しかし、全体を通してみればほぼプラン通りの走りをできたのではないかと思います。
その後チームは多少、順位の変動等がありながらも最終的には7区で1つ順位を上げ10位という結果になりました。チームとしての目標である8位には届きませんでしたが、周りの大学のレベルの上がり方を見ても十分と言っていい結果になったと思います。来年の目標を掲げるとするならば、佐賀大と長崎大との争いに加わり勝つことではないかと思います。
4.感謝
今回の駅伝では、付き添いなどのメンバー以外の長距離ブロックの人、短距離ブロックの人、OBなど多くの手厚いサポートを受けて駅伝を走りました。ここまでのサポートを受けながら走ったのは人生で初めてでした。自分の付き添いをしてくれた下原士侑をはじめとして全てのサポートメンバーに感謝したいと思います。
5.その他諸々
さて、ここまでは、島原駅伝に至るまでの流れや当日の流れなどをなるべく詳細に書いてきました(いつか誰かの役に立てばと、、、)。最後に少し関係はないかもしれないですが駅伝を通して感じたことを書こうかなと思います。
自分への理解不足
自分の理解は、とても難しいですね。身体の状態や精神の状態、走りに対する特性などなど、、、他人を評価するのは簡単なのですが、自分となるとどうしても飾ってしまい、その結果見失ってしまいます。
試しに今回の駅伝の前に疲労骨折してしまい、このノートを書くことができなかった(駅伝に出走できなかった)福岡県小郡の妖精こと仲里拓真を評価してみましょう。
HP:さいこう
こうげき:さいこう
ぼうぎょ:さいこう
すばやさ:さいこう
よかろうもん:さいこう
車の運転:ダメかも 惜しくも5vでしたね。
時事ネタはさておき、練習も試合も自分にあったことをできるかどうかだと思います。強いランナーを才能があるという言葉で一括りにしてしまいがちですが、やはり話をすると自分に対しての理解があり、やっていることに対する足し算引き算が非常にうまい印象を受けます。これは、経験が頼りにはなるとは思いますが、益永とか溝江とかを見ているとやはり、上手ですよね。ただ、ここを参考にしたらうまく行く訳ではないのがミソですよね。(そこを知るために旅にでも出ようかな、、、)
益永聖司という男
熊大生1000人(FORICO)に聞いた益永聖司の印象(嘘)
覇気がありますか?
Yes 0%
No 100%
という結果になること間違いなし。そのくらいゆるフワな雰囲気を醸し出している彼ですが、レースになると豹変します。
今回の駅伝、益永なしでは恐らく成立していなかったでしょう。自分が駅伝を走り終えてゴール地点でみんなを待っているとき、益永の話をしていたのですが部員から圧倒的な信頼度。「まぁ、どんな展開になっても益永おるから大丈夫やろ」「試走してないけどなんやかんや走るやろ」という謎の期待を背負いながら、見事なまでの快走。記録に全く納得していない当人。
今回の駅伝の前に、メッセージ入りのTシャツをもらい、そこにちらほら自分に対して”熊大のエース”という文字があり、そうなれたら嬉しいなと思いつつ走ったもののやはりエースは益永でした。
昨年の益永の記録に1秒負けたというのが全てを物語っているでしょう。しかし、2022島原学生駅伝での、熊大のエースの奪い合いはこの物語の序章にすぎませんでした(というオチにしたい)。
6.最後に
今回が人生初の学生駅伝となりました。私が高専のときに出場していた、高専駅伝と比べると比較にならないくらい規模の大きい駅伝となりました(昨年の高専駅伝は7.5km区間で実際の走行距離が8.5kmあったことと、ホテルのが斡旋がなく予約の際の不手際でホテルがちゃんと予約できずに路頭に迷いかけたことはいい思い出🫢)。
来年、熊本大学がどういう方針でこの駅伝に向けて取り組むかは、まだ明白ではありませんが、学生駅伝だけに関しては学生の時にしか取り組めないものであるからこそ、今のチームのメンバーと来年入ってくるであろうメンバーといい結果を残せたらいいなと考えています。また、その過程に対して有意義な時間を過ごしたいと考えています。
さぁ、その前に院試と研究室配属だ!!
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