激情型の歌が歌えない

心を鈍くして考える余地を作る人と
精神科医に言われた白井クマです。

知らない人の方が少ない
エヴァンゲリオンの二曲
残酷な天使のテーゼ
魂のルフラン
私にとって、これらは気持ちの良い発声をするための歌。
声帯を痛めていても出せる音域。

エネルギーが無い。
パワーのいる歌は、性に合わない。
静かに切々と訴える気持ち的なエネルギーが必要なのも駄目。

中森明菜の「難破船」
中島みゆきの「地上の星」
松任谷由実の「真夏の世の夢」
nokkoの「人魚」
縋りついてどうするのか
2人の感情がすれ違ったら終わりなのは当たり前じゃないかと50を過ぎたせいかもしれない。
若い時はアダルトチルドレンでしたから、執着型でした。
愛情じゃなくて、あれは執着であり、寂しくて離れたくなくて、
誰でもよかったという相手に失礼なもの。
根底では今も昔も愛する事も愛される事も他人事な部分は捨てきれていない。
それこそが私が傍観者と言われる所以である。

なんというか、どんなに激情に駆られても
その感情が長続きせずクールダウンに入る
号泣したとしても、それは3分も続かない。
感情が強制終了します。
大笑いは強制終了しないのが不思議。
やはりマイナスの感情と脳が判断するとクールダウンするらしい。

子供や夫との関係にも、それはあって諦めではなく達観。
私には私の、彼らには彼らの人生しか歩めない。
出会えて一時一緒に歩く事が出来た事自体が奇跡の瞬間。
出会いが別れとセットである事を忘れる事は無い。

私には見えない世界の歌ばかり。
童話の中の人物が童話の中で歌う歌。
聴いている分には良い歌でも
歌うのは距離が遠すぎて、
私が歌うとなぞらえて居るだけの白々しいものになってしまう。
上手い下手の問題ではない。
背の小さい私がマキシ丈のワンピースを着ているような滑稽さが出てしまう。
本当に合わない。

中森明菜の「LIAR」
中島みゆきの「時代」
松任谷由実の「守ってあげたい」
nokkoの「LONELY BUTTERFLY」

これらの方がしっくりきます。
最近はカラオケに行くエネルギーも無くなってきていて
行く目的は、声帯の状態チェックがメインです。
調子の良さそうな時には
「愛・おぼえていますか」で一番高い音が出るかチェックします。
声帯を痛める前は、余裕で出ましたが、現在は一番上は出ない事が多いです。
挑戦できない位音が出ない日は無理をせず、
地道に声帯マッサージをしたり
サプリの種類を変えたり漢方を増やしたり
微調整をして一か月後に又チェックする時間を作るように心がけています。

姑からの嫁いびりで声帯を痛めてからは純粋な趣味では無くなりました。
亡くなってから10年程経ちますが、これほど年月が経つ程に悪意のある人だったと事実が露呈する人も珍しい。
私には思った通りの人でしたが、親兄弟子供というのは盲目的に身びいきするのが滑稽です。


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