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五輪開催に必要なのは「国力」

2019年5月12日

東京2020オリンピック・パラリンピック選手村建設地にいます。

【記録】今朝の晴海 五輪選手村建設状況
見る毎に進んでいる なんか街がデカい。。。
あらためて、開催地に選手宿泊のための村までつくってしまうという世界最大のスポーツイベント(17日間)について思いを馳せる次第
2013年にジャックロゲが"Tokyo"と叫んでから6年、東京五輪をめぐる状況を一次情報として日々体感しつつウォッチし続けてるわけですけど(ニュースやワイドショーを見ないのが幸いして、自分にはある意味pureな情報しか入ってこない)
まぁ一言でいえばスポーツイベントとは政治、そして経済そのものです。
五輪招致からの一連の流れにおいてオトナたちが気にかけていたのは結局経済効果だけでした。
五輪に限らずスポーツイベントは皆同じです。
プロもアマも関係なく。
でもやっぱ五輪は特別で、開催に必要なのは「国力」ですな。。ここ数年の有無をいわせぬインフラ整備状況を見るにつけ、そう思わざるを得ません。
ちなみに事実としてそうだということであって否定も肯定もしていません。
五輪競技から落選した🎳の業界関係者も、それなりな費用をかけて東京五輪音頭を新しくつくって普及を図っている人たちも、五輪閉会式に盆踊りをいれようと画策しているアノ方も
まさに「夢見る少女👧じゃいられない♪」by相川七瀬
ってわけです
以前もそして今も、五輪にこんなにお金をかけるなら●●に回したほうが、という意見や批判は聞くけれど、それに対する解はひとつしかなくって
五輪にも、●●にも、お金をかければいいんです。
お金は生み出せるものなので(単に札を刷るっていう意味じゃないよ)、どちらかといえば無限に近い。有限なのは時間なのよね。
受動的な経済効果を期待するんじゃなくって、これを機に自ら価値を創出していけばよいのです。

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