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【shelikes】価値はだれが決めるのか

フリーランスの講座

講師はいしかわゆき(ゆぴ)さん。

内容としては、フリーランスとしての働き方や生き方について、実際の仕事の取り方まで触れられている実践的なもので、フリーランスというものが身近に感じられるものとなっていた。

その講座の中でゆぴさんが、「すっごく上手なイラストではないけど、自分が描いて発信していたらイラストのお仕事の依頼があった。だからこそ、自分の価値を決めずに発信して欲しい」と話されていた。

自分の価値を自分で決めない、よく言われるセリフではあるなあとその時は思っただけだったのだが、その後ぼんやりとそのことについて考えていたら突然腑に落ちた。

金額=価値を自分で決めること?

以前から、商品に対しての金額を自分で決めることが気になっていた。
自分の商品に自分で金額を決めて販売している、フリーランスやハンドメイド作家、はたまた単なる趣味の延長なのか、副業や複業で取り組まれている方達。

なにを基準にしてどうやって金額を設定しているんだろう、と半分興味から、半分は否定的な気持ちでずっと気になっていた。
ある程度ハンドメイド作品は作れるし、挑戦したことはないもののアクセサリーも恐らく作れるだろう。ネイルチップやお菓子も作れるし、イラストも簡単なものであれば描けると思う。

正直になって言うと、わたしは自分が作れるだろうと思うものに価値を見出すことができなかったのだ。つまり、お金を出して買うまでのものはないと思っていた。
それと同時に、金額を設定して誰かに買ってもらえるような価値のあるものを作ることが、自分には全くできないと思っていた。

突然ですが、

この文章を読んで、気分を害した方がいたら申し訳ありません。わたしはあなたのことを傷つけたいわけでも、否定したいわけでもありません。逆に、わたし個人の意見に対して非難や批判も望んでいません。目的は内省です。不快に感じられた場合は、読むのをやめてください。

ここで、ゆぴさんのお話に戻る。
今までずっと、自分の商品に対して(見えるもの・見えないもの両方に対して)価値を決めるのは自分自身だと思っていた。
しかし、わたしは突然気がついた。
価値を決めているのは、その商品を購入するかしないかを決定する、自分以外の人間なのだ。

購入するかしないかは買い手であり、売り手が決めることはできない。その商品に対して、その対価を払ってもいいと思う人は購入するし、そこに価値を見出せない人は購入しない。

文章を書くこと

文章を書くことは、どちらかと言うと好きな方だった。人よりも得意な分類にも入ると思う。
看護師だった経験から、学生のうちから大量のレポートと実習の記録、卒業論文、社会人になっても毎月の振り返りと勉強会のレポートなどなど、大量に文章は書いてきた。
思ってもないこともすらすら書けるし、それっぽく硬い言い回しを使えるようになって、なんとなく分かったような分からないような文章を書くことも上手になった。

きっと、これだけの文章を時間をかけて推敲し、仕上げていることを夫が聞いたら、全く理解はされないだろう。彼にとって、わたしの文章に価値はない。

わたし自身、自分の経験や考えに価値はないと思っていた。以前は発信したこともあったが、もっといい回答をしてくれる人がいるし、とか、考え方は間違ってるんじゃないか、とか思うと怖くなってしまった。
他人にとって意味があるかないか、価値があるかないかを自分で決めて発信することをやめてしまっていた。

ゆぴさんのお話を聞いていて、それこそが自分のことを制限してしまっていることだと、すとんと理解できた。
わたしがなんとなく感じていることや、日々考えていること、それを言葉にすることで誰かが静かに共感してくれたり何かの足がかりになるかもしれない。ならないかもしれないけど。

有益であるかどうかばかりを考えず、少しずつ心の中を文章に落とし込んでみたい。みんなと同じ言葉しか出てこないかもしれないけど、夜に泣きながら救いを求めて言葉を吐き出す場所を探していた、あの時のわたしのためにも。

最後まで読んでくれた人がいたなら、本当にどうもありがとう。
なんでこんなに長くなっちゃうのか、自分でもわかりません。笑

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