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ペンギン・ハイウェイとハマモトさんのあれこれ

 昨夜ペンギン・ハイウェイがYouTubeでプレミアム公開されました。

 やはり素敵な作品ですね。上質なストーリー、個性的な登場人物、映像の美しさ、ノスタルジー、ペンギンかわいい。そう言えば、脚本を務めた上田誠さんがTwitterで「夏休み映画のふりしたハードなSFです。」とコメントしていました。

 様々な楽しみ方ができるのも、ペンギン・ハイウェイの魅力の一つと言えるかもしれません。

 Twitterでぷつぷつと呟きながら、私が感じたペンギン・ハイウェイの魅力の中で言葉にできたことを、覚書として記しておこうと思います。

 なるべく重要なネタバレは避けて書こうと思いますが、ネタバレが苦手な方を注意してください。


ハマモトさんと「あの世」と「この世」

 『総特集 森見登美彦-作家は机上で冒険する-』の中で、山崎まどかさんが(P.235 論考「乙女とは遠くにありて思うもの」)、森見作品に出てくる女性のパターンを「あの世」と「この世」という言葉を使ってカテゴライズしています。

 それによるとペンギン・ハイウェイのお姉さんは「あの世」と「この世」の狭間におり、男性が抱く幻想の女性とのことです。そして、この女性は幻想と現実を繋ぐ役割を担っています。一方ハマモトさんは「この世」の女性だそうです。「この世」の女性は、妄想を見抜いて現実を突きつけるような、男性にとっては怖い一面を持っています。”邪眼”を持つ植村譲はまさにその代表と言えるかもしれません。

 特に思春期の女の子の真実を見抜く”邪眼”の切れ味は、大人の女性のそれを軽く凌駕します。

 大人の女性は”邪眼”を常に使っていると疲れてしまうことを知っているので、必要なとき以外は封印しているのです。しかし、”邪眼”に芽生えたばかりの思春期の女の子は、若さの特権であるエネルギーをフル活用して、男の子の、時には大人の幻想を見抜き、冷ややかな視線を浴びせてきます。

 なんておそろしい…!

 お姉さんはアオヤマくんにとって“幻想と現実を繋ぐ役割=現実の女の子の怖い一面を和らげるクッション”であったとも考えられます。お姉さんがいたからこそ、アオヤマくんは自分にとって怖く鋭い一面を持っているハマモトさんと仲良くできたのかもしれません。

 ハマモトさんと上手に関われなかったスズキくんには、お姉さんというクッションがなかった、もしくはクッションが未熟だったと思われます。だからこそ、へたに近寄ってハマモトさんの鋭い”邪眼”を浴びることが怖かったのでしょう。ハマモトさんへのちょっかいも、鋭い”邪眼”から身を守るための手段だったのかもしれません。

 ただ、怖がっていてはハマモトさんは心を開いてくれません。アオヤマくんのように、見た目やスペックに騙されず、生身の女の子として対等にかかわることで、ハマモトさんは女の子型ロボットではなく、おちゃめでかわいい生身の女の子として姿を現してくれるのです。

 お姉さんの存在はハマモトさんにとっても、良い役割を果たしてくれています。けれど、同時にアオヤマくんを幻想へ連れ去ろうとする嫌な存在でにも見えるのです。だからこそ、ハマモトさんはお姉さんを非常に用心していました。

 ペンギン・ハイウェイはアオヤマくんにとってお姉さんがどれほど大切な役割を果たしているかを丁寧に描いた作品でもあります。そのため、ハマモトさんはかすんで見えてしまいますが、実はハマモトさんもアオヤマくんに恋するだけの女の子として登場したわけではないように思います。

 アオヤマくんにとっては、ハマモトさんも「この世」の女性として大きな役割を担っていたのです。


(…思った以上に長くなったので何回かに分けることにしました。)

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