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『有頂天家族』が切り開くもの

 森見登美彦の『有頂天家族』を読み返したのでちょっと思ったことを。ちなみに『二代目の帰朝』の内容はは含まない。


❝阿呆の血❞が動かす物語

 『有頂天家族』を初めて読み終えたとき、とても不思議な感じがした。
 この物語を大きく動かすのは、下鴨総一郎という偉大な狸の❝阿呆の血❞のしからしむるところなのである。しかし、この狸はあろうことか、実弟の策略によって狸鍋となり、人間においしくいただかれることとなった。
 この話の流れから、残された総一郎の4匹の子らの目的は、自然と恨みを原動力とした敵討ちにの物語になるのではないかと想像する。
 しかし、『有頂天家族』を動かすのは清々しいまでに❝阿呆の血❞だなのだ。父とその弟のドロドロとした関係性の上に成り立ちながら、残された4匹の子らは敵討ちに落ちることなく、どこまでも❝阿呆の血❞によって混乱を招き面白き物語を動かし続ける。それが不思議と小気味よい。

 そして、より一層色濃く❝阿呆の血❞を受け継いだのが、主人公の矢三郎である。


由緒正しき日本らしい英雄 矢三郎

 矢三郎は幼い頃から❝阿呆の血❞による破天荒ぶりを発揮した。それがよく分かるのがへそ石様のエピソードである。

 「へそ石」とは京都にある紫雲山頂法寺(通称六角堂)にある「要石」のことを言う。偉い狸がこのへそ石に四六時中化けているらしい。それで、狸界では「へそ石様」と呼ばれるのである。
 しかし、その巧妙な化け術が災いして、洛中の狸たちは日がな一日、石ころに化け続けられるわけがないと半信半疑。へそ石様を路傍の石ころ扱いしていたのだ。
 そこへ一石を投じたのが矢三郎である。子狸時代の彼もまたへそ石様に対し「ただの石ころではないか!」と思い様々な悪戯を仕掛けた。
 もちろん、へそ石様への悪戯は禁忌であるが、矢三郎は禁忌を破るのが生き甲斐ともいうべき狸であった。物怖じすることなくいくつもの悪戯をへそ石様にしかけ、ついにへそ石様が本物の狸であることを証明したのだった。
 その結果として矢三郎は「灼熱の鉄槌」というべき大目玉を狸の長老たちから喰らうことにはなったが、へそ石様はまた狸たちに大事にされるようになった。

 矢三郎の❝阿呆の血❞のしからしむるところによってなされた悪戯が、へそ石様にとって良い結果をもたらしたのだ。
 矢三郎が、恨みではなく、❝阿呆の血❞によって面白きことを追い求め、禁忌を破り、ピンチを招いたり、それを凌いだりすることで、そこに新しい世界が開かれていく。
 この新しい世界が開かれていく瞬間に、感動するのである。
 悪戯によって禁忌を破っては新しい世界を開く姿は、まさに日本神話に登場するスサノオに重なる。

 スサノオは、誓約の勝負により姉であるアマテラスに勝利する。その喜びのあまりに、アマテラスの治める世界にいくつもの非道を働いたのである。
 そして、その非道っぷりにとうとうアマテラスも我慢ならず天の岩屋戸に身を隠し、高天原も葦原の中つ国も暗闇に包まれ、日の光のない夜だけが続く世界となったのだった。
 オモイカネの機転とアメノウズメの裸踊りにより、神々は高天原が揺れ動くほど大きな笑い声をあげた。その笑い声をいぶかしく思ったアマテラスが、何がそれほど面白いのかとアメノウズメに尋ねると、アマテラスよりも貴い神が現れたと答えた。
 自分よりも貴い神を一目見ようと天の岩屋戸から顔を出したアマテラスは鏡に映った自分の姿を見て、さらによく見ようと天の岩屋戸から外へ身を乗り出した。そこを引っ張り出されて、世界はまたまばゆい日の光を取り戻した。

 スケールは違えど、スサノオがアマテラスに対して様々な無礼をはたらく様子は、まるで矢三郎がへそ石様に無礼をはたらく姿に重なる。
 そして、スサノオの行いによって天の岩屋に閉じこもったアマテラスが、今までの彼女よりも貴い神となりさらに尊敬を集めるようになった様子は、矢三郎の悪戯によってへそ石さまが洛中の狸の尊敬を再び得ることとなった場面に重なる。
 矢三郎もスサノオも手ひどい処罰を受ける結果となったが、どんな結果になろうとも危ない橋をあえてわたり禁忌を犯すことで世界の枠を打ち破り、そこに新たな世界が開かれていく。
 もしかしたら、日本神話時代から日本人には由緒正しき❝阿呆の血❞が脈々と受け継がれているのかもしれない。


4匹で1つの❝阿呆の血❞

 矢三郎のスサノオらしさというのは、他のエピソードでも遺憾なく発揮される。
 奥座敷を粉々にし、風神雷神の扇を失くして、弁天に金曜倶楽部の前で芸をするように言われ、「びくびくするよりも狸の王道を行ってやれ」と矢三郎は正体が暴かれるリスクを冒して変化して見せる。
 しかし、このために金曜倶楽部から認められ、淀川教授との関係を切り開き、それが最後に家族を救う布石となっていく。

 とは言え、最後に叔父早雲と、その子ども金閣と銀閣に一計を案じられたときは、矢三郎はさほど活躍しない。
 ここで❝阿呆の血❞を発揮して活躍するのは、他の兄弟たちであった。矢三郎によって切り開かれてきた物語は、他の兄弟によってさらに切り開かれていく。
 矢四郎は矢次郎に酒を与え、酒を与えられた矢次郎は偽叡電となり千歳屋に突っ込み、一番の堅物であるはずの矢一郎も虎に姿を変えて場をかき乱した。総一郎の❝阿呆の血❞を四等分した兄弟皆一緒に危ない橋を渡らなければ、家族の危機を打ち破ることができないということだろう。
 最後はやはり矢三郎が、弁天と淀川教授の浮気をでっちあげるという咄嗟の機転によって、怒り心頭した赤玉先生の超弩級の天狗風が巻き起こり、狸と人間たちは手を取り合って宙を舞った。
 狸を食べようとする人間と対決しようとも、まったくの決裂ではなく、手を取り合って、つまり結びついて終わるところもまた『有頂天家族』の面白いところかもしれない。
 ともあれ自分たちの❝阿呆の血❞と、狸と人間を結びつけるほどの強力は天狗風によって、下鴨一家は救われたのである。

 矢三郎が禁忌を破り新しい世界を開いては、誰かと結びついていく姿を見て、私にも流れているかもしれない由緒正しき❝阿呆の血❞が騒いでいるのか。何かドロドロしたものに襲われようとも、この❝阿呆の血❞のしからしむるところによって面白いきことを求める限り、きっと良い世界が開かれていくことだろう。
 そう感じる心すら『有頂天家族』によって切り開かれているのかもしれない。

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