39 宗教被害者の絶望はどこから来たのか


安倍元首相のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


昨日の事件で何も書く気が起こらなかったのですが、明日の参院選後はまた権力が固定化するので、やはり今日のうちに書いておこうと思います。

今回の事件で多くのネット民が、自民議員と統一教会の関係を知っていたと口を開きました。その状況の中で、加害者の顔を見ていますと、一つの考えが浮かびます。

この事件の背景には、
自公連立以後、(政治と結びついた)宗教に
ものが言いにくくなったことがある。

いくつものツイが言及していたように、
連立政権により宗教問題の報道が減ったという
報道の問題でもありましょうが、個々の市民も宗教への苦言を避けるようになった。社会全体がそうだったのです。マスコミや公共機関だけの問題ではない。

元から宗教には信仰の自由があり、物が言いにくい。その上与党と関係を持てばますます批判できにくくなります。

宗教そのものがタブー化すれば、宗教の被害を受けた人間への救済の道は閉ざされます。

宗教の被害者は、社会から救済されず、黙殺され、絶望するしかないのです。

今現在入っている情報では、加害者に救済につながる社会リソースは無かったように思います。人的繋がりが少ない中、社会が総体で問題を見殺しにすれば、絶望するしかないでしょう。絶望したまま生きるには人生は長すぎます。

加害者を裁く際に、社会が彼のように人間を見殺しにしてきた視点を忘れないでください。そして宗教に物が言えない状況を変えるようにするべきです。

政治権力は、特に与党は、支持団体の抱える問題を公正に扱うようにしてください。これを機に、絶望させる権力行使についても再考いただきたいと思います。


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