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99歳の祖母との会話で顔も知らない亡き祖父の存在を感じた

2022年1月11日に祖母は100歳になる。


「100歳のおばあちゃん」のイメージとは恐らく全然違うであろう祖母。

90代で杖もつかず、コロコロ付きのキャリーバッグも使わず、気づけば一人で買い物に出かけ、道で転んだり家の中でも転んだりして顔に痣をつくることがあっても骨折をしたこともなく。

さすがに危なすぎるので一人で外に出ることは無くなったけど、耳が遠くなることもなく、一切呆けることもなく99歳になった。

2021年夏、祖母と一緒に住んでいる妹から
「ばぁちゃんが心不全で入院することになった」
とLINEがきた。

心不全で倒れるのは80代前半のとき以来、二度目である。

「いよいよか。」

と家族全員が覚悟をした瞬間だった。

コロナの影響でお見舞いはできないと言われ、顔を見に行くこともできずソワソワしていた。


そうして入院からちょうど1週間後、「2日後退院だって!」と連絡がきた。


99歳で心不全で入院したのに予定より早く退院とは。


「危ないから一人でトイレに行ったらダメですよ」

と言われているにも関わらず、祖母は一人でトイレに行っていたらしい。


昔からそうだった。

人にお世話になったり、手伝ってもらったり、おばあさん扱いされるのが嫌いだった。

病院に行くときも髪の毛を整えて綺麗なスカーフを巻いて行く。

年齢より若く見られるのが嬉しい祖母は、若くて元気であることにプライドを持っているのかもしれない。


この年末年始に祖母に会いに行った際、私がリビングでテレビを観ていると、厚めのクッションを抱えて移動し、座るのかと思いきやクッションを置いてその上に上がろうとしていた。

吊るしていたパラソル型の洗濯物干しを、洗濯物がかかったまま取り外して別の場所に移動させようとしていたのだ。クッションの上で背伸びして。


「ちょちょちょ、ばーちゃん、危ないよ!」


そう声をかけて初めて「ちょっと、これ取ってくれんね」とお願いをする祖母。

そのあとソファに腰を下ろしてポロっと言った


「みんな死んでしもーた」


みんなってお友達のことかな?と思ったけどそうではなく兄弟の話だった。


「ばーちゃん何番目の子なん?」

「5番目よ」

「5!?末っ子やったん?」

「んにゃ、下に5人おるばい」

「・・・・・・え?」


祖母は10人兄弟だった。

そんな衝撃事実を何十年も知らなかったなんて。

考えてみたら何十年も会話という会話をしていなかったように思う。

日々必要なことは話すけど、祖母がどんな人生を歩んできたのか全くと言っていいほど知らない。


この日、100年の人生の中のほんのちょっとだけ話を聞くことができた。

祖母のお父さんは子牛を買って育てて売って生計を立てていたこと。

裕福な家庭だったこと。

当時は珍しい飴玉をもらうこともあって、周りの友達に憧れられたこと。


旦那さん(私の祖父)は咽頭がんで私が生まれる前に亡くなったことだけは知っていた。


「じいさんはね、散歩するときにいつも小さい紙と鉛筆をポケットに入れてね、俳句を書きよんしゃった。ただ歩くだけじゃつまらん言うてね。その俳句が本にも載ったりして見せてくれよったよ。頭のいい人やった」


ブワっと情景が見えた。

景色を見ながらゆっくり歩く祖父。
少し後ろをついて行く若かりし頃の祖母。

立ち止まって俳句を書く祖父の横に黙って待つ祖母の姿。


このとき初めて祖父の存在を感じた。
顔も知らない祖父。

私は一切霊感はないのだけど、何かに「守ってもらっている」感じはずっと持っていた。

神様なのかご先祖様なのかわからないけど「あぁ、守ってもらってるなぁ」と感じることがある。


もしかしたら守ってくれてるのはおじいちゃんなのかな。

そう思った。


100歳のお誕生日のお祝いをしにまた祖母に会いに行く。

今度はどんな話を聞こう。





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