美容師の娘
失敗した。
どうしよう、先生に怒られる……
人生で初めて髪の毛を染めた日、私は絶望した。
元ヤンではないし、ヤンキーに憧れたタイプでもない。
むしろ目立たないように、怒られないように、細心の注意を払って日々を生きていた。
大嫌いな勉強も、何とか赤点を免れるように毎回一夜漬けをしたし、「スカートの丈はひざ下5cmより長く」と言われれば5cmギリギリを攻めるような、とても真面目な学生だった。
真面目に加えてチャレンジ精神が旺盛な私は、中3の終わり頃、学校生活も残りわずかというタイミングで髪の毛を染めた。
私が人より少しだけヘアスタイルに興味を持つのが早かったのは、父と母が美容師だった影響が大きいかもしれない。
木村拓哉さんよりも、江口洋介さんよりも先に父はロン毛だった。
母はベリーショート。
ヘアカットは両親の経営する美容室で。
父はサラサラのツヤツヤにブローをしてくれたし、編み込みにしたいと言えば、母がササッと仕上げてくれた。
中3のいつ頃だったか、両親が離婚した。
引き取ってくれた母になるべく負担はかけまいと、授業料の安い公立高校に入学すべく、大嫌いな勉強も一層真面目に取り組み、無事合格。
そして私は髪の毛を染めた。
それも自分で。
卒業間近で先生も寛大になっているに違いない。
万が一失敗しても逃げ切れるはず。
いたって真面目な私がそんな思考を持ったのは、知らず知らずのうちに鬱憤が溜まっていたからだろうか。
受験がひと段落して、何か張りつめていたものがふっと切れたのかもしれない。
離婚後も父の店に行ってもいいと言われていたけど何となく行けずにいた。
他人になってしまったような、なんだか父が遠い存在になってしまったような気がして。
薬局でカラー剤を手に入れ、ビニール手袋をして風呂場で2種類の薬剤を混ぜる。
当時のカラー剤は臭いがキツく、鼻をつくツンとした臭いが浴槽に充満した。
付属のハケを使って、何の躊躇もなく頭頂部からベッタリと薬剤を塗りたくる。
そこからが大苦戦だった。
母が白髪染めをする際にやっていたように、クシを使って髪の毛を少量ずつ分けようとしても上手くいかない。
生え際に塗るのも困難だし、後頭部なんてどうなってるのか全然わからない。
母のようにはできないと諦め、ビニール袋をした手でワシャワシャと髪の毛全体を揉み込んだ。
頭皮がヒリヒリして、刺激臭で目も痛くなってきた。
何分経っただろうか。
推奨放置時間をとうに過ぎている気がして、焦りながら薬剤を流す。
「ちゃんと染まったかな」
乾かした髪の毛が映った鏡を見て愕然とした。
なんだこれは
イメージしていた「栗色」とは程遠く、頭頂部が不自然に明るくなった髪は、誰がどう見ても失敗だった。
ギリギリ怒られないラインを狙うつもりが、隠れてタバコを吸うような生徒にしか見えない。
どうしようどうしよう。
明日学校行きたくない……
しかし根が真面目な私はサボることもできず、震える気持ちで登校した。
そうだ、髪の毛を乾かす前まで明るさはあまり目立たなかったじゃないか。
授業と授業の間の5分休憩にトイレに行き、髪の毛を濡らして教室へ戻る。
この日、友人からも先生からも何も言われず乗り切ったのだが、ごまかせたわけではないと今ではわかる。
どちらかというと目立たない私が、ある日急にヤンキーのような髪色になったのだから、
「のっぴきならない事情があるにに違いない」
と思わせてしまったかもしれない。
休憩時間のたびに髪の毛を濡らして戻ってくる異様な姿に、かける言葉もなかったのだろう。
「なんね、この色は」
笑う父。
久しぶりに再会した娘が、美容師の娘らしからぬ髪色をして来たのだから、実際は戸惑ったかもしれない。
「高校は染めても大丈夫なんか」
「大丈夫ではないと思うけど…少しくらいなら…」
じゃあ真っ黒にはしないどくか。と言い、手際よく薬剤を塗っていく。
そうだ。私はお父さんのこういうところが好きだった。
怒られたこともないし、私がやることには何も言わず認めてくれた。
久しぶりにサラサラのツヤツヤにブローしてくれた髪の毛は、イメージしていた暗めの栗色に仕上がっていた。
「ありがとう!また来るね!」
出口まで見送ってくれる父に笑顔で手を振る。
太陽の光に透けた髪はハッとするほど明るく輝いていた。
「綺麗な色……」
次はパーマをかけてもらおうかな。
校則に引っかかるか引っかからないかギリギリの、ゆるふわなパーマを。
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