無機物の命。

先日、パート勤務中のこと。
再発行か何かで、ポイントカードを2枚持っているというお客さんが来た。
2枚のポイントを統合できないか、と聞かれたので調べてみると、片方はそれなりに溜まっていて、もう片方は0ポイント。
「だったら溜まっていない方はいらないから捨ててくれ」
と言って、0ポイントのカードを置いていった。
社員に処理の仕方を聞くと
「ハサミで切って捨てちゃっていいよ」
何とも簡単な処理の仕方だが、本当にハサミで切れるのか。
実際にハサミを入れると、いとも容易く切れた。

せっかく作られたのに、全く役割を果たすこともなく散っていった彼が哀れに思えて、供養の意味を込めて手を合わせた。
「南無阿弥陀仏…」と簡単に念仏を唱えていると、社員とパートの先輩に
「君は律儀だねぇ」
と笑われた。
いえいえ、供養してるんですよ。そう私が言うと、
「なにそれ」
と言って、また笑った。

確かに、使わなくなって廃棄になったカード、言ってしまえばゴミに一々合掌し、供養する人はそうそういないだろう。
ただこれは、私なりの考えなのだ。

「たとえ無機物であっても、あらゆる物には命がある」

前職でセルフレジを担当していた時のこと。
12台あったレジは酷使された結果、調子が悪いことが多くエラーが頻発していた。
ただ、毎日不調だったかというとそうでもなく、調子のいい日と悪い日があった。
調子の良し悪しにかかわらず、お客さんが少ないタイミングを見計って、消毒を兼ねてレジを1台ずつ丁寧に拭いて回る。
すると、調子の悪い日でも多少はまともに動いてくれる。

それが、何となく「綺麗になって機嫌が良くなった」ように感じた。

機嫌が良くなるというのは、すなわち意思があるということ。
意思があるものは、命があるということ。
機械に命があるのなら、たとえそれが生物ではなくても、あらゆる物には命がある。

機械は部品を交換したり、きちんとメンテナンスしてあげれば、長く使うことができる。
言うなれば延命だ。
それでもいつかは、限界を迎えてお役御免となる。
お役御免になることを、「寿命が来た」という言い方をする。
寿命を迎えたり、あのカードのように不本意な形であっても、命が終わった物に対しては、簡単であっても供養してしかるべきではないか。
自分が世話になったり、手をかけた物に対しては尚更だ。

というのが、私の考え。
もっとも、側から見たら「いちいち律儀な奴だな」と思うのは自覚している。
律儀だと思われても、少しはねぎらってあげたい。
ただそれだけの気持ちだ。

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