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別居生活と冷凍餃子

夫との別居を少し考えている。


別に喧嘩したり離婚したい訳じゃない。
単身赴任とかでもない。

流行している感染症の問題からだ。

私たちは医療福祉従事者なので、早々と春先にワクチン接種は済ませている。
訪問先の利用者さんたちも高齢者の方が多いので、あらかたワクチンの接種は済んでいる方が多い。だから昨年の状況から比べると少し安心している部分はある。

でも、それでも用心は充分必要なので、手洗い、消毒、マスク、換気、ちょっとした体調不良には気を配って生活しているつもりだ。


心配なのは、夏休みが終了した時だ。
私の子供たちは9月から新学期が始まる。

上の子は今月の初旬に接種の申し込みが可能となり、電話で問い合わせてみたが「今月分は受付終了」となっていた。(電話受付が午前9時からで訪問業務が9時からあり、業務終了後の40分後にかけたが、もうそんな状態だ)

もし仮に子供達が無症状で感染したら、私たちにうつる可能性は高い。

うつらなくとも濃厚接触者として、しばらくは仕事ができない状態になる。

私たちの会社のリハスタッフは現在、私と夫だけである。

2人がそんな状態になったら、多大な影響が会社や業務に出てしまう。

下手したら会社の存続の危機である。


「別居するならぼくが出ていった方がいいね。家事は君が行なっている部分が多いから」

そう、夫は話した。

ビジネスホテルか、賃貸かわからないが、そんな生活を想像してみる。

生きていくためには、どの道を選んでもすっきりとしたものにはならないだろう。

何をどれくらい取るか。家庭、仕事、育児、自分、楽しみ、生きがい。
どれかをある程度犠牲にしないと今の生活は成り立たない。これはみんな誰しもそうであろう。

それどころか生きていけないくらいのぎりぎりの人はいっぱいいる。

医師などでもう一年以上、自宅へ帰らないで診療に当たっている人もいると聞く。家にいる時間が長くなり家庭内のDVやネグレクトが増えていると聞く。失業して生活保護を受ける人が増えたと聞く。施設入所で家族に会えないまま亡くなる方もいる。在宅生活の高齢者はのきなみ活動性が低下していて、心身を壊す方も多い。

「しょうがないね」とよく口にする。周りも口にしている。
たくさんの「しょうがないね」は体に積み重なって、知らないうちに蓄積される。気づかないうちに積もった何かは、普段気にしないような何気なく耐えているような些細な出来事でも、全てを崩してしまうくらいの大きな引き金となって、今までのその人を嘘のようにぐらつかせる。

学校から現時点で連絡は来ていないが、私は正直学校が休校になればいいとも願っている。でも、子供たちの事を考えると諸手を挙げて賛同するような事ではない。

もし、本当に別居生活をするならば、夫婦で離れた生活というのは、夫が手術で入院して以来となる。

「しょうがないね。」「もっと離れた生活をしている人はたくさんいる」

その気持ちに蓋をしないようにしたい。夫がいないと私はつらい、それだけはちゃんと感覚として感じ取りたい。今はお腹のあたりがくるくるとまわるような感覚だ。私は不安があると胃のあたりがおかしくなってくる。それはもしかして古くからあった事なのかもしれないが、つい最近まで、気がつかなかった私の感覚の1つだ。

まあ、それなりの切迫感はあるのだなと自分でも思う。

選択を間違えないようにという切迫感。

1つボタンを掛け違えると、パズルのピースを間違えてはめてしまうと、大変な事になるという切迫感。

終わりが見えないゲームで、ただひたすら見えないボスに対して、レベルを上げ続けているような感覚。

そろそろボスが竜王なのか、ハーゴンなのか、バラモスなのか知りたいところだ。



いつもの通り、ちょっと脱線してきたので

ここで少し話題を変える。

先日、冷凍餃子の無人販売店で餃子を購入してみた。

何人かの知り合いから「買ったらおいしかったよ」と言われて気になっており、ちょっと空いた時間で訪れる事ができた。

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店内は無人だ。私が行った時は誰もお店にいなかった。

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冷凍庫から餃子を出して、お賽銭箱みたいなやつにお金を入れる。

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タレも売っていたので購入した。

その日の夕飯はその餃子にした。冷凍のまま焼けるから、遅い帰宅後でもすぐ調理できて便利なんだな。

味はとってもおいしかった。

子供たちもたくさん食べてくれた。

(肝心の焼いたあとの餃子の写真を撮るのを忘れていた)

(メシテロにならない配慮←嘘です)

こういうお店ってすっごく助かる。

昔の道端にある野菜の無人販売店みたいだけど(うちの地域はこれもまだ見かけるけど)人を介さないで購入できるのって安心するのだ。

もっと無人販売が増えたら個人的には嬉しい。

仕事をしている主婦にはえらい助かる存在だ。



『ふざけんなよ、ばーか』と思う。

誰に言う訳でもない。誰に向けてでもない。自分の脳内の声だ。

『ばーか、ばーか』と頭の悪い感じで言ってみる。

そして「楽しく生きてやるからな」と思う。


どんな些細な事でも、むしろ些細な事だからこそ、必要だと思う。

それは今だからこそ、味わって感じて...冷凍餃子のようにおいしく幸せを感じたい。

あなたと2人で過ごした
この脱線しがちなくだらない時間を
特に意味もないような、けれども思わずクスッと笑えるような
あとで思い出すと少し体温が上がるような
心がほわっとゆるむような
過ぎ去ったあとで
もう2度とそれが訪れない事に気づき
心臓がきゅっとなる
あのなつかしい笑顔が

全てわたしの宝物だ。


そういうものを
今は大切に生きていきたいなと思う。

そして「ばーか、ばーか」と悪態をつきながら、悪あがきをしながら


日々を慈しんでいきたいと思っているのだ。


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