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夫につられて書いてみた

私の夫がnoteを始めたようなので、私もつられて書いてみたいと思います。

私の夫は約5年前に大腸がんと診断をうけました。

5年前ということなのでご存じの方はピンと来るものがあると思いますが、5年経過したことで「治癒」とみなされ、定期受診はこの夏で終了しています。

この5年は、様々なことがありました。少し備忘録的に振り返ってみたいと思います。

「がん」というのは特殊な病気で、聞いただけでも死のイメージがまとわりついている印象があります。

「がん患者の家族」というのも特殊なひびきがあって、夫ががんと診断を受けただけで、急にむこうがわの人間になってしまったような感覚がおとずれる事がありました。

それは社会生活の中で人と関わるときに立ち現れます。

「かわいそうにね」

「なにが原因なんだろうね」

「これからどうするんだい」

「仕事はもうできないんじゃない」

「夫の事は考えずに自分の人生を生きたらいい」

「悪いものを払うためにお参りに行くといい」

「小さい子がいるのに不憫だね」

「・・・・・・」(何をいっていいのかわからなくて黙る)

むこうがわにいる私に対していろいろな言葉や態度をなげかけてきます。

そんな時に救われたのは、いつもと変わらず接してくれる人でした。そういった人たちからは壁を感じずむこうがわの人間になってしまう感覚はありませんでした。

この感覚はなんなのか。

壁はいつ立ち現れたのか。いつ消えるのか。

最近になって磯野真穂さんの「語ることで見えるもの・見えなくなるもの」というWEB上でのお話を聞く機会がありました。そこで、病名は「ラベル」をつけているのか「容れ物」に入っているのか?という問いがあり、医療者は「ラベル」をつけているつもりの方が多いが、実際の患者さんは「容れ物」に入っているのではないかという、大変興味深いお話を伺うことができました。

摂食障害の「容れ物」、がんの「容れ物」、認知症の「容れ物」。
病気というカテゴリは、カテゴリ自体が人格と物語をもっている。
「容れ物」の中で物語を変容させる人たち、「容れ物」に入りたがる人たち、「容れ物」に入って分断される人たち

思い返してみると、おそらく、私を「がん患者の家族」という容れ物に入れてしまう人たちがいたのだと思います。それはその方の都合でそうなっていたり、半ば無自覚にそのような態度をとっていたりと様々な形で行われていました。私自身が入り込んでしまうこともあったのだと思います。そこで分断が生じ壁を感じていた。

むこうがわにいる私は何を感じていたのか、はっきりと覚えていませんが、とにかくそのように壁のある人たちとの対話を自分自身が望んでいなかったような気がします。当時はそのような余裕がなかった。


写真家の幡野広志さんはがんを「コスパの悪い病気」とnoteで書かれています。

コストは経済的なコストだけでなく、時間的コスト、肉体的コスト、精神的コストまである。病気になると生活の質を落とすことをひきかえにして生きることを余儀なくされる。対価となった生活の質に対して、無駄な大変さがまさに本当に無駄なのだ。無駄な大変さをはっきりいってしまうと、人間関係や人の目を気にすることだ。がんによってあぶりだされた人間関係で無駄な大変さが発生する。

幡野さんも病気によって生じた人間関係が大変であると著書などでもたくさんお話をされています。

私は病気の当事者ではないのに分断された壁を感じていました。当事者である夫はさぞかし、感じることがあったのではないかと思います。

そして振り返ってみると、私自身が社会の誰かに対してそのような態度をとっている事はあるのだと思います。

まず自覚できるだけでも・・と思いながら、私自身の日々の仕事や生活の振り返りをすることが必要なのかもしれません。


がん患者の家族になって得た体験や気づきがたくさんありますので、また少しずつ書いていけたら良いなと思っています。

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