ヴァッサーブルクと馬と湖への跳躍
淡いピンクと淡いブルー
白昼のWaning Crescent
ひんやりと陶器の質感のような優雅な白馬
湖水は深く濃く
平らな水面はどこまでも沈黙を保ち
奥にそびえたつ水城は
クリーム色の立派な石畳に覆われ
金青の鋸壁を備えている
その絵に出会ったのは
私が中学3年生の頃。
私は放課後の美術室のさらに奥。準備室の中で、油絵の画集を眺めていた。
ページを繰る手は迷いがあり、いったりきたりをゆっくりと、あるいは早く繰り返す。
選択することは昔から苦手だ。
私は初めての油絵に挑戦するために、モチーフとなる絵を選んでいた。先生からは「最初はこの本の絵の中で気に入ったものをマネして描いてみなさい」と言われた。
私は何回か確認して、その絵を選んだ。
それは、今となっては誰が描いたかもわからない、非常に幻想的な絵だった。
私は先生に指導を受けながらその絵にとりかかった。
描くことは単純に楽しかった。
中学1年生から所属していた美術部で、なぜ1年から油絵を習わなかったかというと、教えられる先生が不在だったからだ。
結局絵は未完成だった。
3年で始めたものの、受験があるため、実際の活動期間は短く、私はそれ以後油絵を描く機会には恵まれなかった。
時は経ち。結婚して2年目の秋。
私は夫と、ある通信制の美大の説明会に参加していた。
結婚してから私の望みをいつも夫はなるべく叶えようとしてくれていた。
私が行きたいとつぶやいた所はすぐに調べて、2人で身軽に旅行に出かけた。
就職したばかりでお金がないというのに、犬がほしい私のために、黙って一緒にローンを組んでくれた。
美大へ通うことも応援してくれていたが、そのすぐ後に私のお腹に1人目の子がいる事が発覚し、私は翌年出産した。
昨日、夕飯後に横にいた夫が
「僕の癌がわかった年。君は君自身が33歳の歳で一緒に病気を支えてくれていたんだよね。」
と話しかけてきた。
夫は遠い目をしていた。彼はきっとその時の気持ちや情景を思い出していたのかもしれない。
私は「そうだよ」と返した。
そしてしばらくして「自分でもよくやったと思う」と小さな声で返した。
そうなんだ。
私はあの時、本当によくやっていたと思う。
少し常軌を逸しているくらいに、勘がするどく、緊張感があった。私はまわりの全ての人間が望むように恐ろしく「正確に」「正しく」動いていたと思う。
踏み外してはいけない。
間違ってはいけない。
と、思っていた。
少し間違えるだけで「全てが崩れてしまう」「夫を失ってしまう」と恐れを抱いていた。
そして、その生活は
我が子2人も幼く
仕事も忙しく
職場は管理職の夫が不在で
私が一番上の立場となり
自分の事を考える余裕なんかどこにも見当たらなかった。
「フランシス・ハ」
という映画を数ヶ月前に観た。
ニューヨーク、ブルックリンに住むフランシスは、プロのダンサーを目指している。
恋人と関係を解消し、同居していた仲良しのソフィーという親友も家から出ていってしまう。
フランシスは27歳。将来へのあせりがあり、不器用でがさつでまっすぐだ。うまくいかずに失敗ばかりのフランシスは、困りながらも「HA HA HA」と時には自虐的に、時には力無く、時には足場をしっかりと確かめながら、少しずつ現実に妥協しながら、前に進む。
フランシスはきっとどこにでもいる、そして誰かの心にもいる、身近な存在であるのだと思う。
途中のシーンでフランシスは走る。
そしてジャンプする。
チャイナタウンの通りを全力疾走し、デヴィッド・ボウイの「モダン・ラブ」が流れる。
小さくジャンプ
大きく足を広げてジャンプ
ジャンプの連続
フランシスはあいかわらずどこか不恰好だが
とても楽しそうでもある。
それはまるでたとえるなら
彼女の人生のようなジャンプだった。
昨年の秋から、通信制の美大をいくつか調べ、その中の一つを選んだ。夫に相談し、12月に母校の専門学校へ必要書類を取りに行き、1月に入学願書を郵送した。
この4月に入学し、現在は学んでいる最中である。
私のジャンプ
それはスモールステップでもあり
幅跳びでもある。
「美大になぜ通うのか」とよく問われる。
私はそれに明確に答える事ができない。
ただ、そこに跳躍してみたかっただけだ。
そして、中学の頃に出会った、ヴァッサーブルクと馬と湖の世界に、また再び出会いたいのだと思う。
「おめでとう」
横にいる夫は振り向いて、もう一度私に言う。
「おめでとう」
6月10日は私の誕生日。
「9日だから少し早いけど」と彼は言う。
私は首を横に振って笑顔で夫へ感謝を伝え
心の中で小さく明日へジャンプした。
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