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はたらくくるまとわたしたち

「のりものあつまれ〜いろんな〜くるま〜」
「どんどんでてこい、はたらくくる〜ま〜」

息子が小さい頃によく一緒に歌った歌。

うちの息子はもう小学3年生である。
今の彼の頭の中身は、半分位は恐竜のことで構成されている。(おそらく残りの2割は他の生物のこと。1割はyoutubeのこと、もう1割は好きな女の子のこと、最後の1割はじゃがりこでできている)

「ねえママ〜三畳紀の恐竜はね、サウロスクスがは虫類でね、四つ足歩行で生活していて、全長は5mあるんだよ!」とか
「ねえママ〜ジュラ紀後期のディプロドクスはアメリカで発掘されたんだけど、首を持ち上げると、一般住宅の3階くらいの高さがあるんだって!すごいよね。」とかいきなりペラペラ喋られても

「あ・・・そうなんだ。」みたいな、お笑いや演劇の審査だったらすぐ失格になってしまいそうな、おもしろくない反応しか私はできない。

そんな彼も幼少の頃は恐竜の存在をあまり知らなかったので、いわゆる「The男の子」みたいな感じで身のまわりにあふれている「車」が自然と好きになっていった。

そこで、冒頭の歌である。

この歌は私も幼少の頃に見ていた「ひらけ!ポンキッキ」という子ども番組で聞いたことがあるなじみの曲だ。

だから懐かしい気持ちで一緒によく歌っていた。

「ゆうびんしゃ、せいそうしゃ、きゅうきゅうしゃ、はしごしょうぼうしゃ」など、おなじみの働く車が出てくる。「はたらくくるま」は多くの男の子にとっては憧れの存在らしい。
我が子もきらきらした目で動画に出て来る車両を見つめていたし、町に出かけても「あ!ママ〜コンクリートミチシャーシャーよ!」とつたないことばで、はたらくくるまの存在を教えてくれた。

玩具のトミカなどの種類を見ても明らかであるが、はたらくくるまの種類はたくさんあって、それぞれにそのくるまにしかできない役割がある。

そして、トミカを集め出すと「ハイパーレスキューシリーズ」というのに必ずぶち当たると思う。

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ハイパーレスキューというのは架空の町であるトミカタウンを災害から守るため特殊訓練を積んだエキスパートにより構成されたレスキューチームだ。人を助け、町の災害をおさめ、何でもできるヒーロー的な存在である。

歌もあるし、隊員の設定も細かい。
そして何より車体がかっこいい。

たくさんのギミックがあって、変形したり合体したりする。

我が子もそんな格好良さにまんまと乗せられ、たくさんのハイパーシリーズを購入してほしいとクリスマスや誕生日毎にせがまれた思い出がある。

我が家は息子を筆頭に誰もがハイパーレスキューに憧れていた(私はハイパーレスキューシリーズの歌もいまだに歌えるかもしれない)


少し話は変わるけど、この「ハイパーレスキュー」みたいな人ってまれにいる。格好よくて正義感にあふれて、人助けも涼しい顔でやってのける素敵な人って一定数の割合で(学年に1人位か)いたと思う。

そういう人はいやがおうにも目立ってしまうし、勝手にみんなに憧れられてしまう。

若い頃ってそういう人物に対してどうしても惹かれてしまうし、場合によっては自分自身がコンプレックスを感じてしまうこともあるかもしれない。

マンガだってどうしたってやっぱり主人公や二枚目の強いクールなキャラクターが自分の「推し」になる確率が高い。

でも、年を取ってくると、そういったものへの憧れの色合いが少しずつ変わってくる。

「ハイパーレスキューになれない自分」に気がつくし「ハイパーレスキューでは逆にできないこと」もたくさん見えてくる。

例えば「バキュームカー」

あの車は汲み取り式便器の糞尿や汚水を汲み上げて衛生センターへ運んでいる。

単純に人が嫌がる仕事だと思うし、明らかに人気がなさそうである。バキュームカーってやつはどうしても「苦労人」みたいな印象を受けてしまう。

でも、あいつらがいないとうまく世の中が成り立っていかないのだ。

嫌がる仕事をすすんで引き受ける人、みんなが見ていない所で支えてくれている人、嫌われても真の目的を達成する為に犠牲をいとわない人。

自分が社会に出て働きだすとそういう人たちがたくさんいることに気づいた。

そしてそんな日陰で日々奮闘している人たち、スポットライトが当たらない人たちへの感謝を持ちたいと思った。

はたらくってそういうことかなと思う。

はたらくと世界が見える。

みんながみんなのでこぼこがあって、それぞれの役割があって、お互いに尊重しながら世界を創ること。それが「はたらく」


そして、私は介護老人保健施設に勤めているのだが、定年して年を取っている人たちも変わらずに「はたらきたい」と願っている人が多いことに驚いた。

人間はいくつになってもたとえ自分が動けなくなったとして認知症になっても「はたらきたいんだな」と感じた。

個人的には動けなくてもはたらけると思う。

例えば博物館等で、古い時代から長年使われていた車両が、役目を終えて飾られているのを見たことがある人はいるのではないだろうか。

あのようなカタチで、例え動けなくても歴史を伝えたり、古い傷を見せたり、当時の工夫を伝えてくれることで、若い人たちへのメッセージになるし後進育成につながると思う。はたまたそこから新しいアイディアを一緒に考えることができるかもしれない。

だからただそこに「在ること」だけでも充分に価値のあること。

「はたらきかける」といった意味合いでは、人はいくつになってもはたらける可能性をもっているんだと思う。

「はたらくくるま」のように、人間のそれぞれの働き方や在り方を今後も見つめていきたい。

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