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「じゃあ、気にしなきゃいいじゃない」に少し抗ってみる私

やだなぁって思うことありますでしょ。


これ、私は好ましく感じないなぁ....とか

これ、苦手かも....とか

なんかもやもやする....とか


きらい.....とか

なんか、やだ。


みたいな気持ちって


みんな持つと思うんです。


私もあります。


それでね、自分の中のなんかやだは


また、一つ自分を知ることのできるチャンスかなと思うのです。


なんかやだの反対は


なんかいいがあるかもしれない。


じゃあ、こうだったら「私のいい」になるのかな、なんて。


まあ、それは思ったり思わなかったり、どちらでもいいんですが。

そこは自由なのですが。

(そこを深掘りすると案外きれいな空みたいなものがひらけてきたりするのですが)


話を戻すと


このなんかやだを表明すると


じゃあ、見なきゃいいじゃん、とか


じゃあ、聞かなきゃいいじゃん、とか


じゃあ、関わんなきゃいいじゃんが


出てくることがあって。


もちろん、私も思うんです。


聞いてんの嫌なら聞かなきゃいいじゃんとか


嫌な気持ちになるなら関わんなきゃいいじゃんとか

思ったりします。


でもこのなんかやだ、は


あなたがやだ、じゃなくて


部分的なものかもしれなくて


この思想がなんかしっくり来ないとか


このカタチがなんかおさまりが悪いとか


「ここだけ」が好ましくないことかもしれなくて


そういうものを


あなた、じゃなくて

ここの部分においては

私は「なんかやだ」ということが


うまく伝えられないかなぁとも思ったり


見なきゃいいじゃん!


気にしなきゃいいじゃん!は


お互いに安心な場所へ避難するには


大事なことかなと思うのですが


なんかそれだけですまそうとしてしまうのも


さみしいなっていう。


ばしっと切って終わりっていうのは


そういうものにも


なんか抗いたいなあという


ひとりごとでした。





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