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「よもやよもや」とできごとを引きうける

鬼滅の刃では、それぞれのキャラクターに魅力があり、特定の誰かを「推す」ということはないのだが、しいてあげるなら私は煉獄さんが好きなのかもしれない。

人生におけるピンチは大なり小なり我が身に降り掛かる。

その時にどのようにピンチと向き合うかで、その人らしさが出るのではないかと思う。

ピンチが訪れる時に、人は自分を乱される。

乱された自分を元のトーン、通常運転時の自分になるべくならもどしたい。突然の出来事に判断力や思考力が低下し、身体的な反射でとっさに返すボールはどこに飛んでってしまうかは予測がつきにくく自分もわからない。

もちろんそれがいい場合もあると思う。よけいな思考を挟まず瞬間で返すものや自分から出てきたものは、実は自分の本質や本能に近いものなのかもしれない。

でも、たいていはうまくいかず、「あ〜あ」となる。

私なんかはおろおろとするばかりで、ピンチをうまく受け止められない。

いつだって「あ〜あ」とつぶやいている。

ここで、「あ〜あ」とならず、うまく自分のペースに持ち込めて返せる人は独特の「間」があるのではないかと考える。

そこで、いったん受けた事象を引き受けて自分のものにする。ニュートラルにできるような術があるのでは?と思っている。

それが煉獄さんでいう「よもやよもや」じゃないかと考えた。

「よもやよもや」は「まさかそのような」といったニュアンスがあるらしい。「よもやよもやだ」とつぶやくことで、いったん煉獄さんの中で「なんとびっくりしたなぁ」という咀嚼を経ることで、いつもの煉獄さんに戻ることができるのかもしれない。

そう考えると、村上春樹の小説の主人公がつぶやく「やれやれ」や、ドラゴンボールの悟空の「オラ、わくわくしてきたぞ!」や、スラムダンクの流川の「どあほう」や、るろうに剣心の「おろ?」や、ブラックジャックのピノコの「アッチョンブリケ」や、山崎まさよしさんが言う「うっそ〜ん」は、ピンチな時に、自分を自分に戻して危機を乗り越えられるような魔法の「合い言葉」であるのかもしれない。

そんな私の、最近できた「合い言葉」は「ヘイ」である。

これはしいたけ占いで、物事を乗り越える時に相手に対して「はい、了解致しました」というところを「ヘイ、了解しました。」と返すと(もちろん心の中でですよ)、降りかかるものに対しての負担が軽くなるというようなことが書いてあったので、実践していたらそのまま癖になって残ってしまった。

でも、「ヘイ」と返事をするだけで、江戸っ子のような案配になって、「何でしょうか?旦那さん?」みたいなノリでいけちゃうような感じが気にいっている。

おろおろとしていた自分に比べると、少し引き受けることができるような錯覚がしておもしろいので、これからも「ヘイ」とつぶやきながらのらりくらりと頑張ることにしていきたい。


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