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例えば月のようにそれは変わるのかもしれない

「それでさぁ、ハガキくらいのサイズでいいんだよ」

「ちょっと何枚か写真を撮って、印刷は拡大できるのかしら」

私は今日の午後、ある利用者さんに仕事中に話しかけられていた。

「えーと...拡大と申しますと...?」

「もう、何聞いてたの?」

「あ、えーと。あれ...あぁ!私の絵を描きたいと?!その事ですか?印刷は私の写真ってことですね。」

「そうだよ。もう〜しっかりしてよー。あなたの写真が欲しいのよ。」


彼の趣味は絵。


彼は今日、私の似顔絵を描きたいと私に告げてきた。

私はたぶん、その話にピンと来ていなかったのだろう。
その「似顔絵」の話が私の中に上手く入り込んでいなかったのか、私はいつにも増してだいぶぼんやりとしていたようだ。

急いで「私の似顔絵」を私の中にインストールする。ゴワゴワしてなかなか収まりが悪い。

うーん、どうしよう。
生まれてこのかた(学校などを除いた個人的な場面では)自分の似顔絵なんて我が子以外に描いてもらった事がほとんどない。

さて、どうしたものだろう。


しかし、私の結論は一択である。

なぜならどんなに私が恥ずかしがろうが何だろうが、彼がそのように思った気持ちや意欲を否定する事は私にはできないからである。

これもリハビリテーションの一環である。(結構真面目にそう思ってる)


致し方ないので、まず説明する。
私は自撮りなど一切しないので私の写真フォルダに私の写真はないし、夫は私に関心があるのかないのか知らんが、私を撮る事もなかなかないので、あるものでお渡しできるものはないとお伝えした。

そして、私は彼にどのような写真を取ればいいのか尋ねた。

「どんなって?ヌード!...じゃないよ。1人でうつっているのがいいなぁ。胸から上でいいよ。」

「ヌードは絶対やめましょうね。
1人ですね。
バストショットですね。
角度はどうしますか?
真正面?斜め?横向き?」

「角度かぁ....角度によって印象が違うものね。
僕はね、少し斜めがいいなぁ。
何でかわかる?」

「陰影がつくからですか?」

「そうそう。察しがいいね。影が付くと雰囲気が出て立体的になるじゃん。月みたいだよ。その日の影でだいぶ印象が違うでしょ。あなたはいい顔してるから大丈夫だよ。」


という訳で、私の写真を撮らなくてはいけないことになったのが今日までの話。

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おーい、月よー。

教えてくれー。

私は8年ぶりという中秋の満月に
我が家のウッドデッキに座ったまま
1人問いかける。


私は誰に写真を撮ってもらえばいいのですかー?

(夫に話したが、ずいぶん返事が曖昧だった。いろいろとそれどころじゃないのだろう。お疲れである。)


月のように
きっと撮った人によって
相手との関係性によって
私の表情は毎日変わるのだと思う。

考えるのも面倒くさい。
いっそ、誰彼かまわず撮ってもらいますか。

期日はあせらないって言ってたしね。


おわり。


(おまけ)
月と言えばこの歌かな。

ぼくの未来に 光などなくても
誰かがぼくのことを どこかでわらっていても
君のあしたが みにくくゆがんでも
ぼくらが二度と 純粋を手に入れられなくても
夜空に光る 黄金の月などなくても

この最後の歌詞の部分が
一見救いがないように見えますが
若い頃の私には随分ささりましたし
かえってスガさんのやさしさを感じました。





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