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冠の話

 昨日、9月9日日本時間午前2時半、エリザベスⅡ世の訃報が世界中を流れた。奇しくも日本は重陽の節句を迎えていた。

 不謹慎な話ではあるが、御歳90過ぎ(享年96)昨年には夫のエディンバラ公を亡くした女王陛下が、この先10年20年とご存命であらせられるとは思っていなかった。ゆえに驚きはなかった。しかしながら幼い頃から王族や皇族に親しんでいた僕は、やはり心にぽっかりと穴が空いたような心地になる。何度もBBCの速報を巻き戻してはさめざめと泣く、そんな夜明け前だった。

 陽がのぼりニュースを確認すると、万年皇太子だったチャールズがチャールズⅢ世という立派な名前で即位しているではないか。そしてGod Save the Kingと讃えられるのである。多くの人にとって慣れ親しんだ君主と歌でないので(チャールズが不人気なだけだろ)やはり慣れない光景である。奇妙と言っても良い。しかしながらこの光景は、いわゆる「国王は死んだ、新国王万歳!」というフレーズに象徴されるヨーロッパの君主制の本質なのかもしれない。


王は二つの身体を持つ

 ドイツ出身の中世史学者だったカントロヴィチは著書『王の二つの身体』で、ヨーロッパ独特の王の二面性を説いた。その二面性とは、王の自然人としての自然的身体と、国家政体の持続性を表す政治的身体のことだ。要は衰え、死にゆく自然的身体はあれども完全なる政治的身体は永遠に変わらない、王権は生き続けるというわけである。これは人であると同時に神でもあるキリストの神学を王権論に応用した理論であり、その文化的土壌はキリスト教に馴染みのない我々日本人の想像の及ぶところではない。

 今回のエリザベスⅡ世からチャールズⅢ世への世代交代のみならず、脈々とヨーロッパで続いてきた王の交代の瞬間を眺める我々大衆は、王の自然的身体の破滅に涙を流しながらも政治的身体の持続に涙を拭き新国王の即位を讃えたのである。このように考えると近世近代ヨーロッパの王位で最も重視されたのはあくまで血筋による王冠の継承であって、個人の資質ではないように思える。


冠と血筋は国境を越える

 考えてみればヨーロッパ王家の血筋による継承への執着は尋常ではない。

 ステュアート朝最後の君主であるアン女王が崩御したのち、神聖ローマ帝国のハノーファー選帝侯であるゲオルグ・ルートヴィヒがイングランドに渡りグレートブリテン王に即位したという歴史を高校生の時に世界史の授業で学んで驚いた。当時は「わざわざドイツから連れてくるの!?」と思ったが、ヨーロッパの歴史上王家同士で婚姻関係を結ぶこともあるため、王冠と血筋が国境を越えることは多分によくある話である。

 そういえば昨年亡くなったエリザベスⅡ世の夫であるエディンバラ公も、ギリシャ王室の人間でありながらヴィクトリア女王の玄孫で王位継承権を持っていた。ヨーロッパにおいて血筋による王冠の継承は個人の資質を超えた価値を持つのだろう。


天は有徳の君主に冠を

 このようなヨーロッパの君主観と対局にあるのが中国のような気がする。少なくとも清王朝の時代まで中国政治の看板は儒教であり、中国の君主観はすなわち儒教の君主観と言える。

 中国神話には五帝という理想的な伝説上の名君がいる。特に皇位の文脈で思い出すのは堯舜の禅譲の話である。堯舜はともに儒家たちに崇められる二代に続く名君であるが、この二人は親子関係ではない。尭にはほかに息子がいた。しかしながらその息子の出来が悪いので、尭は人々から推される有徳の人舜を民間から登用し、自らの政務をやらせて天子としての素質を試した。成果を上げた舜はついに尭からその位を禅譲された。と言う話である。

 この堯舜の禅譲伝説は王朝交代の理論的支柱として中国史に影響を与え続けるのだが、ここのミソはやはり個人の資質(徳)が血筋を越える価値として重んじられていることである。

 儒教において徳は最も重要な価値である。たとえば論語の為政篇には「子曰、為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。」とあり、天子が持つ徳が政治の肝要であると述べている。孟子の時代になれば徳治主義は有名な易姓革命論に発展する。天子の徳の有無が王朝交代の理屈にも繋がってくる。その理屈が中国のダイナミックな王朝の興亡史を形作ったのだ。まさに徳治主義は中国史を貫く君主像であると言って良い。

 このように中国では、血筋を超えて個人の資質(徳)が重んじられた。これもまた、儒学を文化的土壌とした地域ではないヨーロッパの人々の想像の及ばないことなのだろう。


相応しい人に相応しい冠を

 よく日本の天皇家は英国王室を範とすべきだという言説を見る。たしかに英国王室は近代国家に自らの伝統性をうまく落とし込んでいるように思える。しかしながらその理論的支柱の多くをキリスト教の神学やヨーロッパ独自の歴史的文脈に拠っており、必ずしも日本人の肌感覚に馴染むとは限らない。では東アジアに多大な影響を与えた儒教的な中国皇帝の君主像を範とすべきかと言えば、民主主義や近代主義の発想が育たなかった中国の君主制は現在の近代国家日本に馴染まないようにも思える。

 現在の日本で相応しい人物に、相応しい冠を授けられる君主制の在り方を考え続けたい。



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