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~チーズと節目~第10回ゆる読書会レポート

居心地のいい場所に、安心できる立場。
それらは揺るぎなく当たり前で、当然の権利としてそこにある。
この現状は維持される。
これからもずっとそうであると、絶対に破られない約束事であるように感じていることはないだろうか。
と同時に、そう感じている現状に対し違和感を抱く自分がいることも。


《シンプルなネズミと複雑な小人》

第10回ゆる読書会の課題本として取り上げたのは
『チーズはどこへ消えた? スペンサー・ジョンソン 著 門田美鈴 訳』
だ。
寓話をとおして、変化の重要性と現状維持の危険性、そして急激な変化にいかに対応すべきかを説く一冊だ。

簡単なあらすじは以下のとおり。

ある迷路のなかで大量のチーズを見つけた2匹のネズミ『スニッフとスカリー』、そして2人の小人『ヘムとホー』
チーズの臭いを嗅ぎつけ、ひたすらシンプルに素早く行動するネズミのスニッフとスカリー。
複雑な頭脳をたよりに、ネズミたちよりも高度な方法をとる小人のヘムとホー。
「やったぜ!これで安泰だ」と、ながらく2匹と2人はチーズを享受していたが、ある日突然チーズが消える。
その事実に、ネズミたちは次のチーズを探してすぐに行動を起こしたのに対し、小人たちは「なぜこんなことに!」と慌てふためき状況を複雑に分析するばかりで行動を起こさない。
そして「チーズはいつか戻ってくる」と信じて待ち続けるものの、一向に変わらない状況にいつしかホーとヘムは別々の道を歩むことになる。
ホーは「何もしないよりはマシだ」と迷路に足を踏み入れ、恐怖と戦いながらも進み続けた結果、ついに新しいチーズを見つける。
一方ヘムは、空腹でどんどん衰弱していくにも関わらず、断固として現状を受け入れず、頑なに現状にとどまり続ける。

ちなみに
チーズとは、私たちが人生で求めるもの(仕事、家族、財産、健康など)の象徴であり、迷路とは、チーズを追いもとめる場所(会社、地域社会、家庭など)の象徴である。
※本著抜粋


《警告書》

「変化こそ安定」
「変わらなければ生き残れない」
新進気鋭の起業家や、成功者と呼ばれる人のインタビュー記事でよく見かける言葉。
最初にこの本を読了したとき、20年も前に出版された本著がまるで未来を予言していたかのように『変化の重要性』について述べていることに僕は驚いた。
と同時に、僕が抱いている問題意識をビリビリと刺激される内容でもあった。

僕は、現在の職場(養豚業)で約8年間同じ部署で働いている。
尊大に聞こえるかもしれないが、地位も技術も安定し、それなりの苦労はあるが日々の仕事は難なくこなせている。
最近は仕事にやりがいよりも安心感を求め、職場が自己成長ではなく自己顕示の場になりつつあるような気がしていた。
このまま現状維持でもいいかな、なんて思うこともあった。

『この本は、そんな僕に警告を発している』

そう感じた僕は、誰かの視点を借りて内容をより深めてみたいと考え、この本を課題本としたのだった。


《オンライン開催の緊張》


今回の参加者は3名。
僕の母と同世代で、穏健、優しさ、慈悲深いという言葉がぴったりな空気感が漂うHさん。
読書会や異業種交流会、ボランティア活動などに積極的に参加されている努力家で人懐っこい笑顔が印象的な20代男性のTさん。
お二人は読書会の常連さんである。

そして、今回初参加となるKさん。
映画と読書が趣味で、教養と知性あふれる雰囲気をまとった30代女性だ。
この本に興味があったそうで、読書会の告知後すぐに参加表明をしてくれた。

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みなさん、貴重な時間をさいて参加してくださって本当にありがたい。

毎回のことだが、参加者さんの顔を見るたびに泣きそうになる僕。
とくに今回はオンライン開催ということもあり、「パソコンがトラブルをおこしたらどうしよう」などと考え、あまり緊張で僕の汗腺と涙腺はいつも以上にゆるゆるだった。

パソコンの横にハンカチとエアコンのスイッチを置き、読書会をスタートさせた。


《それぞれのチーズ》

「みなさんにとってのチーズは、どんなチーズですか?」
今回、僕は参加者さんに本の感想だけではなく、こんな質問を投げかけてみた。
どんなチーズのイメージをもってこの本を読んだのか、その視点を知りたかったからだ。

まずはTさんが、ゆっくりと丁寧な口調で語り出した。
彼はこの本を読んでいる最中、あるチーズのカタチが思い浮かんだそうだ。


「この本のなかで、迷路をさまよう小人ホーがようやく大量のチーズを見つけたとき『そこには新しいチーズが何種類かあった』とありましたよね。その一文を読んだとき、ふと自分のチーズのカタチが思い浮かんだんです。あぁ、ぼくのチーズは『キャンディチーズ』みたいだなって」

キャンディチーズ。
キャンディのようにひとつひとつ小さく包装されたチーズで、よくオヤツやおつまみに出てくるアレである。

「やりたいことはたくさんあってハッキリはしているんですけど、どれも広く浅くになってしまっているような気がして。それがキャンディチーズのようだなぁと。ただ最近、チーズの大きさとかカタチが、変わってきた感覚があるんですよね」
Tさんがそう言うと「それ、わかります」とKさんが話に続く。

「コロナ禍の今、これまで安泰だと思われていたものに暗雲が立ち込めてきたことで、世間が考えるチーズって大きく変わってきたんじゃないかなって思うんです」とKさん。

さらに「ここ最近、従来どおりの考え方が通用しなくなってきたというのは実感していて…。じゃあ、そんな状況下で何が大切なのかっていうと『どこに生き甲斐を見出すか』だと私は思います」と言葉を足した。

なるほど、と僕は思った。
作中、チーズを探して迷路をさまようホーが壁に書きつけた格言のなかに『従来どおりの考え方をしていては、新しいチーズはみつからない』とある。

お金、地位、名誉などなど。
従来どおりに考えると『何を手に入れるか』ということが大切になりがちだが、何かはいつか無くなってしまう。
けれど、考え方を変えて『どこに生き甲斐を見出すか』を大切にすることで、混乱した状況下にあっても新しいチーズを見つけることができるのではなかろうか。
生き甲斐は、自分で創り出すことが可能だ。

「『誰かを笑顔にしたことで、自分も楽しくなる』それが私の生き甲斐であり、行動する原動力かなと」
そう言ったKさんの言葉に、噓偽りのない生き甲斐が感じられた。


《○○のような人生》

読書会も中盤になって、Hさんが穏やかな口調で語り出す。
「この本を読んでいて、『私にとってのチーズって何かしら』って考えたとき、それは家庭であり、趣味であり、信仰であり、生命そのものでもあり、いろいろなチーズが思い浮かびました。それは今、確かにここにある状態です」としたうえで、常に明確な目標を持って一歩一歩踏みしめながら直進してきたかというと、そうではないとHさんは言う。

「『なんだか面白そう』くらいの気持ちで、氷の上をスーっと滑っていくように、興味の向く方へ進むことのほうが多かったように思います。そして気がつくと、想像もしていなかったような素晴らしいチーズに出会っている。まるで、氷の上で誰かに導いてもらっているような。言うなればカーリングのような人生でしたわ。ふふふっ。」
と過去を懐かしむような瞳で語るHさん。

僕はこの『人生はカーリング』という表現に、思わず破顔してしまった。
僕にとって「石鹸みたいな形の石を滑らせて床をゴシゴシする」とか「おやつを食べるモグモグタイムがある」くらいの印象しかないカーリング。

それでも人生を迷路ではなくカーリングだと思うと、僕は意外なほど楽しい気持ちになった。

よく『事実は変えられないが、解釈は変えられる』という言葉を耳にするが、Hさんは解釈を変えることで人生を彩り豊かにしてきたのではないかと感じた。

こういったHさんの発言というか生き方の魅力に、僕は毎回浸ってしまうのである。


《節目で感じたこと》


ワイワイと会話をしていると、気がつけば終了の時間。
幸いパソコンにトラブルもなく、最後までやり通すことができた。
パソコンごしに手を振りながら、みなさんにお別れの挨拶をし、パソコンの電源を落とした僕。

ホッと一息つき、読書会の余韻に浸っていると、ふと今回が節目の10回目だったことに気がつく。

もともと引っ込み思案な僕は、毎回、始める前は不安や緊張でいっぱいいっぱいになる。
大げさな言い方だが、僕にとって読書会を開催するということは、まさに迷路に踏み出すような勇気がいることだった。
けれど毎回、結果はどうあれ最終的にはやってよかったと思えるし、とても満たされた気分になる。
やる前と後で、引っ込み思案な自分が少しでも変化できたような気がして、誇らしくも思える。
そしてまた、迷路に足を踏み出そうとする自分がいる。
そう考えると、自分にとってのチーズは迷路そのものなんじゃないかと思えて仕方がない。

チーズが迷路であり、迷路がチーズ。
スタートがゴールで、ゴールがスタート。

それは幸せなのか、慌ただしいのかはわからない。
けれど、複雑に考えるのはやめようと思う。
「楽しいからやる」
シンプルにそれでいいじゃないかと、僕は思う。

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