ゲームの力

ゲーミフィケーションという言葉があります。
仕事や勉強などにおいてゲームデザイン要素を用いて生産性を上げようとする手法で、人を能動的にさせるやり方として行動経済学の側面からも注目され、一時期すごく流行りました。

私はトラブル対応の際にこれを活用しています。

仕事をしていると、大きなクレームや社員の急病・事故など予期せぬ事態が起きることがあります。
そんな事態に遭遇して「うわあ、たいへんだ」と思いそうになった時に「よし、この難題をゲームだと思って、どうしたら解決できるかトライしてやろう」と自らに言い聞かせるようにしているのです。
時には自分にご褒美をあげることもあります。
解決したら「美味しいモノを食べに行こう」とか「アレを自分に買ってやろう」などです。

ゲーム好きの人は「難しいほど燃える」と言いますが、まさにその感覚を仕事に敷衍してやるのです。

こういうアプローチをすることでトラブルに対する気の持ち方が断然変わりますし、前向きな気持ちで対処することで結果もいい方向に行くことが多い、と感じています。

トラブルに見舞われた時にゲームだと思って対処しようと考えるようになったのは、ある登山家が命の危険にさらされた時に、この手法を使って生き延びた事実を知ったことがきっかけです。(私自身、登山を趣味にしています)

1985年6月、前人未踏だった南米シウラ・グランデ峰西壁登頂に成功したジョー・シンプソンは下山途中に滑落して片足を骨折してしまいます。
同僚のサイモン・イェーツの助けを借りて、少しずつ少しずつ下山していたジョーに再びアクシデントが襲います。
片足をかばいながら歩いていたことでバランスを崩し、深いクレバスに落下したのです。
落下で一時気を失ったジョーですが、クレバスの底に積もっていた新雪の上に落下したことで奇跡的に助かります。
ジョーはサイモンとつながっているザイルを引っ張って無事を知らせようとしますが、なんとザイルはするすると落ちてくるではありませんか。 
サイモンは、深いクレバスに呼びかけても返答がなかったことからジョーが死んだものと思い、彼とつなげていたザイルを切っていたのです。

片足を骨折した身体でクレバスを登ることは不可能。
絶望しても不思議ではない状況に陥ったジョーですが、ここで彼はある決断をします。
クレバスの底が遠くまで続いていることを確認すると、「これはゲームだと考えよう」と自らに言い聞かせて、クレバスの底を少しずつ移動することにしたのです。

「ここから見える、あのポイントまで20分で行けるかやってみよう。行けたら自分に5分休みをやろう」
こうして小さなゲームを繰り返しながら一歩ずつ前進していったジョーは、数時間後に人の足跡を発見します。
俄然元気の出たジョーは、足跡に沿って再びゲームを繰り返していきました。

そして、ついに彼はベースキャンプ近くまで辿り着いて発見され、無事に帰還を果たしたのです。

この話は2003年に「運命を分けたザイル」という題で映画にもなっています。

絶望的な状況下にあったジョー・シンプソンを救ったゲームの力。

この話を知って以後、私はミスやトラブルが起きると「これはゲームだ」と考えることにして解決に取り組むようになったのですが、実際その手法でずいぶんと助けられてきました。

命の危険に晒されたジョーの状況から比べれば、仕事上でのミスやトラブル対応など何ほどのものでもありません。
どんなに大きなトラブルであっても、仕事上のことなら命まで取られる訳じゃありませんからね。

そもそも、学校で出される難問題には「うわあ」となってしまう人も、ゲームで課される難題だと「よし、挑戦してやろう」となることが多い。 
「学校や仕事上の難問題とゲームは全然別だろう」と思われるかも知れませんが、難題を克服するという意味では取り組むべき事の中身は実はさして変わりません。

ゲーミフィケーションの肝は、問題へのアプローチを意識の面から「ゲームと一緒だ」と変えられるかどうかにありますが、やってみると意外にそれは難しくありません。

自分自身にそう言い聞かせるだけで気持ちがスッと落ち着いてモチベーションが上がるし、結果にも良い影響を与えてくれます。 私はそんな「ゲームの力」を信じています。

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