「民主主義」を読む

7月の都知事選、ポスター掲示板や選挙公報を見て暗澹たる気持ちになった人は少なくないのではないでしょうか。
「言論の自由」という名の下に、都知事選とおよそ無関係な写真・文面が並ぶポスターを子供が見ているのに出くわすと、申し訳ない気持ちにすらなりました。

民主主義が危機に瀕しているように見えるのは日本だけではありません。
立場の違いが、論争を超えて互いに相手を罵り合うまでになった二項対立の激しさや、排他的で自国中心主義の指導者を選ぼうとする動きが各国で勢いづくなど、民主主義を標榜する国々が揺れています。

角川ソフィア文庫に「民主主義」と題した一冊があります。
昭和23年から28年まで「民主主義の教科書」として中学高校で使われていたものを全文復刻したものです。

教科書といっても文庫本で400頁を超える分量があり、学術書の趣さえあります。

教科書ではありますが決して上から目線になることなく、中学・高校生に「民主主義とは何か」を理解してもらおうと、情理を尽くした丁寧な文章で書かれており、(この本の解説でも指摘されていますが)構成がしっかりしていて論理が明確なので、現代の我々大人が読んでも「なるほど、民主主義というのはこういうものだったのか」という気づきがある、きわめて優れた書物になっています。

この本は米国占領下にGHQから「民主主義とは何かを教えよ」という指示によって文部省が作成したものですから、基本的に米国型民主主義を範としていますし、GHQの意に添う内容でなければ検閲を通りませんでした。

それでも共産主義や社会主義への記述についても批判一辺倒になるのではなく、冷静かつ論理的な筆致で良い点・悪い点を述べていますし、戦前の大日本帝国憲法下の議会政治についても「明治憲法の中にも相当に民主主義の精神が盛られていたということができる」と踏み込み、ただ「民主主義とはまったく反対の独裁政治を行うことも不可能ではないようなすきがあった」と書いています。

太平洋戦争中「敵性言語」として英語の勉強を軽んじた日本と違って、アメリカでは日本の古典文学まで徹底的に研究して日本人の心性を理解できる人材を養成していたこともあり、GHQには並みの日本人以上に日本語能力の高い人たちがいましたから、大日本帝国憲法を一部擁護するような表現には当然気づいたでしょう。

それでもこれらの文章が削除されなかったのは「民主主義」を執筆した文部省スタッフの、冷静かつ論理的で可能な限り公平な視点を持とうと努めた記述によるところが大きかったのだろうと思われます。

戦争が終わったばかりの文部省に、これほどの知性を発揮する人々がいたことに驚きと共に深い敬意を覚えます。

この本から、私自身多くの気づきを得ましたが、中でも「民主主義にとって、とりわけ重要な意味を持つもの」と記されている「言論の自由」については、その本質をきちんと把握しておく必要があると再認識させられました。

民主主義にとって、なぜ「言論の自由」が重要だとされているのか。

それは、自分の信ずることについて情理を尽くして丁寧に伝える一方で、自分とは異なる意見に対しても「相手の言い分にも理があるのではないか。自分が間違っているのではないか」という謙虚な気持ちを持って耳を傾ける・・・そうした丁寧かつ真摯な議論が自由闊達に行き交うことによって、社会がより良い方向に向かっていく可能性が高いと考えられているからです。

「言論の自由」とは「何でも好き勝手に言える自由」ではなく、「自由闊達かつ丁寧な言論が行き交うことで社会をより良い方向に向ける可能性が高くなる=だから大切にすべき」という「言論の場への敬意」がベースにあるべきなのです。

残念ながら、国会でもテレビ討論等でも、こうした態度で言論の場に臨んでいる人をほとんど見ることができません。
左右いずれの側からの発言も、きわめて一方的で時に恫喝的でさえあります。

民主主義が劣化しつつある原因の一端は「言論の自由がなぜ大切なのか」という根本を多くの人々が忘れ、言論が行き交う場への敬意を持って発言する人が少なくなったことにあるのではないでしょうか。

世界中で新自由主義への過度な傾斜による格差拡大が進んでいることも、民主主義の逆風になっているように思えます。

「三大宗教であるキリスト教・イスラム教・仏教を含め、歴史上どの宗教も成し得なかったほど世界中の人々がこぞって信仰するもの、それが『MONEY』である」と言った哲学者がいましたが、かつて社会主義経済を是としていたロシアや中国もMONEYに対しては貪欲で新自由主義的ですらあります。

新自由主義の跋扈は、企業を成長させるのと同様の運営を国家組織にも求めるようになりました。

確かに企業運営では、優れた指導者が独断専行で物事を決めれば、組織が飛躍的に成長する可能性があり、そうした事例が数多く存在します。
国家に対してもそういう「フォース(力)」を求める気持ちは分かります。

しかし企業でも国家でも、指導者が永遠に正しい決断を続けることはまずありませんし、独裁的指導者が間違った決断をした時の被害の大きさもまた半端ではなく、古今東西の破滅的な事態はほぼすべてが独裁者によって引き起こされています。

企業なら破滅的事態を招いても(自殺する人がいない訳ではないものの)殺されることまではまずありません。

しかし、国家が破滅的な事態になれば、最終的にその被害を受けるのは市井の人々であり、その影響は後世にまで及ぶことすらあります。
我が国でも、一人ではありませんでしたが軍部という独裁組織の判断ミスによって多くの国土と300万もの人命が奪われ、戦後80年近く経っても未だに近隣諸国から非難を受ける事態を招いています。

民主主義は確かに強烈な推進力に欠けることもありますが、破壊的なカタストロフにもなりにくい仕組みなのです。
だからこそチャーチルは「民主主義は最悪の政治形態である。ただしこれまで試みられたあらゆる形態を除いては」と言ったのではないでしょうか。

専制者・独裁者は不安を背景に生まれます。

新自由主義は格差拡大を助長しますし、格差拡大は当然ながら社会不安を生みがちですから、不満を貯め込んだ人々は、現状を打破してくれそうな強い(ように見える)指導者や、打破どころか破壊してくれそうな指導者に注目しがちになります。

この本にも「民主主義の仮装をつけてのさばってくる独裁主義と、ほんものの民主主義とははっきりと識別することは、きわめてたいせつである。いかに難しくてもそれをやらなければならない」と書かれています。

民主主義は国民一人一人がその意義を理解してこそ守られるものであり、一部の政治家に委ねるのではなく、私たち一人一人が守り継いでいくべきものでもあります。

民主主義が危機に瀕していることを嘆くだけではなく、まず自分だけでも「民主主義とは本来どういうものだったのか」を認識し、周囲にも情理を尽くして伝えていく。

即効薬を求めたくなる気持ちは分かりますが、古今東西「正しいことを一気に成し遂げようとした」改革は、ほぼ全てが破滅的事態を招いてきた、という教訓を鑑みれば、時間はかかっても、先ず自分が、そして少しずつ周囲に「民主主義の本質をわきまえた人」を拡げていくことから始めるべきなのでしょう。

「民主主義」
この本が、今一度中学生や高校生はもちろん一人でも多くの日本人に読まれることを切に願います。


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