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自分哲学①

自分哲学とは、「一人の人間が自分の人生をどう生きるか」を考えるにあたって、一体なにを考えていけばいいのかを話していくシリーズである。

第一回の今回のテーマは「人間とは何か」である。

当然だが、私たちは人間である。私たちの人生を考えるにあたって、人間とは何かは避けては通れない問いだ。

もちろん、「人間」について一概こうだと結論づけることはできない。よって、いくつかの視点から人間について語ることになる。

では、その視点とは何か。

ここでは、生物学、脳科学を視点として話す。

まずは、生物学からだ。

生物学的には、人間は遺伝子の乗り物である。こう言ったのは、「利己的な遺伝子」を書いたリチャード・ドーキンス博士である。

遺伝子とは、人間の設計図と言われるDNAの一部だ。

1人の人間は最初は1つの細胞から始まる。その1つの細胞が60兆個まで細胞分裂して1人の人間はできあがる。その細胞の中の「核」と呼ばれる部分に入っているのがDNAである。
そして、遺伝子はDNAの中の遺伝情報を保存している部分だ。

では、この遺伝子とは何なのか。どういった目的で存在し、一体何をしているものなのか。

ドーキンス博士はこう結論付けた。
遺伝子は「自分の遺伝子を増やす」という使命を抱えた物質であり、生物はみな遺伝子が自分を増やすための乗り物である。

この世界は多種多様な遺伝子が浮かんでいる大きなプールのようなものであり、このプールの中では、
その多種多様な遺伝子が自らの生き残りを懸けて、生存競争を繰り広げているらしい。

そして、現在残っている生物は過去の幾千もの生存競争を勝ち抜いた優秀な遺伝子をもつ個体なのだ。

ちなみに、優秀な遺伝子のもつ特徴として、ドーキンス博士は3つ挙げている。

それは、正確性、多産性、安全性である。

正確性とは、遺伝子をコピーする際、もとの遺伝子をどれだけ正確にコピーできるかの指標である。
遺伝子は自分を増やすと書いたが、その増やすための手段として、自己複製(コピー)を行う。
当然、ここで異なった遺伝子を作ってしまえば意味がない。よって、正確性の優れた遺伝子が残るわけだ。

多産性とは、コピーをどれだけたくさん行えたかである。これも当然だが、ある種類の遺伝子を生き残らせるには、できるだけその遺伝子の数は多いほうがいい。そのためには、できる限りたくさんのコピーを残しておくことが賢明な選択となる。もちろん、
コピーをするためのリソースは限られているため、リソースの奪い合いが起こる。

安全性とは、その遺伝子が途中で死んだりしないということである。
死んでしまえば、コピーはできなくなってしまう。そのため、死ににくいことも遺伝子にとっては重要な指標である。

この正確性と多産性と安全性を高いレベルで備えた優秀な遺伝子が今まで残ってきたのであり、
これからも今までと同じように優秀な遺伝子が残っていくのだ。

生物はみな遺伝子が自らを後世に残すためのいわば、「生存機械」であり、
その歴史とは、長い生存競争の歴史なのだ。人間はその巨大な遺伝子の歴史の一部に過ぎず、
ましてや1人の人間など、そのまた一部に過ぎない。

1人の人間のごく短い一生は、遺伝子にとっては自らをコピーするために使うものなのだ。

人間は有性生殖を行う生物なので、人間にとって遺伝子のコピーは生殖活動にあたる。
その活動では遺伝子は2個体の遺伝子が1つの遺伝子に合体する。
それによって、遺伝子の優秀さを高めていくのだ。
ここでは、より優秀な遺伝子をもった異性を見つけるための競争が行われる。
これが文明を発展させることで自然淘汰の脅威を退けた人間に残された唯一の生存競争である。

つまり、生物学的に言えば、人間の一生とはより優秀な遺伝子を持つ異性と生殖活動を行うことである。

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