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何かを選ぶということは、何かを捨てるということ

プライベートでひさびさに優しい人と出会い、
彼と別れたあと、

僕は打ち合わせ等の関係で港区の浜松町に移動し、
ホテルの中でいまこの記事を執筆している。


大きな優しさに触れてちょっと思ったことがあるので、
ここに書き記していおく。

振り返ると僕は、
あまり優しくない人ばかりを好きになり、
交際をしてきたと思う。


たくさんの声がかかる中、
どうしても、自分にあまり興味を示してくれないような、
塩対応で優しくない人ばかりにハマっていたのだ。

異質性というか。

まぁ、若かった。


10代の終わり頃から色恋関係にあった人も、まぁひどかった。


もちろん人間だから優しさも一部あるが、
全体で俯瞰したとき、あまり優しい人ではなかった。


2年前まで交際していた人も、
面白くていい人だったが、
大きな優しさはあまり感じなかった。


ふたりの共通項としては、
ツンデレのツンが大半を占めていて、
相手のことを想うというより、自分ファーストな人だった。

僕はそういう、
不器用で、どうしようもない人を好きになりがちで、
逆に、優しい人にあまり惹かれてこなかったように思う。


現に今、惹かれていた人も、
どちらかといったら優しくはない。

不器用で、塩対応で、自分ファースト。


目の前で酔っ払って記憶を飛ばしている姿を目撃したとき、
「はぁ、どうしようもないな」と思った。


お酒に飲まれて、こんな醜態を晒して、私物をなくして…、

でもなぜか、この人のことがやっぱり好きかもしれないな、と思った。


そんな中、なんとなくお会いした人がいたのだが、
彼の中にある大きな優しさを垣間見て、
僕は小さな衝撃を受けた。


同時に、

「あぁそうか、僕は自分の意思で、
こういう優しい人をないがしろにして、
自分に優しくない人ばかり好きになってきたのか」

と思った。


つまり優しい彼は、
僕が今までずっと選ばなかった側に属する人種である。


ずっとずっと、選んでこなかった。

そのことにふと気づいてしまった。


彼の優しさは、表情や、言動の1つ1つが物語っていた。


一緒にスパに行き、
それぞれのご飯をそれぞれのリストバンドで
1つずつ注文する際、僕は鶏皮を追加で注文した。

一緒に食べようと思って。

そのあと、僕がお手洗いに行ってる間、
彼は自分のリストバンドでサラダを追加で注文していた。

一緒に食べよう、と。

これは多分、自分も追加で1品注文することで、
均衡を図ってくれたのだと思う。


こういうさりげない優しさが、
会ってる間に何回もあった。


彼は7つも年上だが、
僕との金銭感覚はだいぶ違うとは思う。

もしかしたら収入も10倍くらい違うかもしれない。


だから何も気にしなくていいのに、
そういう、均衡を保ってくれようとしたり、
さりげない小さな気遣いが嬉しかった。


そして、

「こういう人を選んだ先には、一体どんな生活が待ってるんだろう」

と思った。


僕がずーっと選ばなかった側の人種。


選ばなかった選択肢を選ぶことで
何かを得るとは思うが、
同時に、何かを失うことになる。

安定感は抜群だが、
ハラハラドキドキ感は無くなってしまうかもしれない。


一緒にいて落ち着くが、
赤い炎のように、メラメラ燃えたぎる感じは失われると思う。


また、どちらかといったら、
追う恋より追われる恋になるだろうなと思う。

以前、

「我々は、表面的には違うが
本質的には同じことをずっと繰り返している」

という記事を書いた。

本当にこの通りで、僕もまた、
本質的には同じことをずっと繰り返しているように思う。

それはそれでいいのだが、
今までとは違う何かを手に入れたかったら、
それに気づき、新しい選択肢を選ぶしかないのである。


何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。

新しい道を選ぶことで、失われる何かは絶対に存在する。


恋愛に限らず、仕事でも、人間関係でもそうだ。


例えば、特定の親友とだけ仲良くするという選択肢は、
他の選択肢を潰している。


新しい出会いに割く時間や、
まだ関係が浅い人と交流する時間を潰していることになる。

何を選ぶか。何を大事にするか。


何かを選んだ瞬間、何かを捨ててるということ。


この不変の真理を受け入れ、選択に集中していきたい。


さぁ、僕はどの選択肢を取ろうか。
何を得て、何を失おうか。


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(by 20代起業家)

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