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自分にとっての地雷展開。

自分がテレビや映画やアニメ、ゲームのストーリーなどのコンテンツを観ていると、しばしば目を背けたくなる・視聴を拒みたくなる場面に遭遇する。
一般的に感じるであろう「うわぁ~」だけでは済まない猛烈な忌避感。
最近は共感性羞恥と言われているような感情、それともズレたもっと憎しみに似た感情。
そこまでを感じるそれは、一体どんなものか。

自分の例として挙げてみると、グロ描写・恥をかく・見捨て・裏切り・大切な人の死・寝取りなどだろうか。
とにかく、いわゆる鬱展開とされるものは全部キツい。
しかし世間では、鬱で盛り上がりそれをリアリティなどと楽しみ、むしろ歓迎している趣もある。
ならどうして自分はそこまで厳しいのだろう。

一つ目に、自分の障害が大きいかもしれない。
自閉症スペクトラムは変化に弱く規則正しいものを好むそうだ。それが本当に正しいのかは謎だが、少なくとも自分には当てはまっていると思う。
規則正しく流れていた幸せな日常が悪意によって乱され戻れなくなる。それがシンプルに、本能的に苦しいのだととれる。

二つ目に、自分自身が経験したことと重なるからだ。
人には何度も何度も裏切られた、人前で恥をかいたことも多い、自分の執着していた相手が他の人を愛したのだって何度も。
身近で人が亡くなってしまったこともあるし、病気で自分自身が死の間際までいったこともある。
何もなくたって毎日鮮明に思い出しては動けなくなると感じるものばかりだ。
そしてコンテンツでこのような場面を見るたびに、自分の経験が想起される。鬱展開とは、自分にとって遠い世界のおもしろさなどではなく、実際に起きた苦しみの反復なのだ。

三つ目に、それが世間では受け入れられていることへのギャップもあるかもしれない。
平和だ平等だ愛だと唱えるくせして、みんなみんな鬱展開が大好きで、そのようなものばかりが人気作になりネットでも大きな声で話題になる。夜ドラとかNTRとかいって胸糞悪いのをコンテンツ化してるよね。
自分の苦しみは分かってもらえず、鬱を好むことが大人なことであり正義だと。そのギャップと圧が鬱展開を見るたびに押し付けられている気分になる。

四つ目に、ぶっちゃけ展開分かっちゃうよね?
過剰なくらい楽しいシーンが流れたらそのすぐ後に鬱る。秘密や隠し事があれば必ず明かされ鬱る。愛を確かめあえばそれが砕かれ鬱る。
そのようなシーンがあるだけで鬱ってわかる。それだけしか意図されていないのだから、単純に面白くない。
なのに衝撃だとか話題になるんだから不思議だ。

最後に、今後が不安になるから。
三つ目と共通するが、それを見た後にはそれが自分の身にも起こらないかが過剰に気になる。
平穏が乱されないか、関係を切られないか、周りの人が亡くならないか。フラッシュバックと併せ、それがその鬱展開一つで襲い来る。

結論。
世間では、色々なものが地雷や地雷展開などと呼ばれている気がする。
だから、そこであえて自分の地雷をいうなら、「鬱展開とそれに紐づくもの」になるのだろうか。

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