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結局影山は矢代のことをどう思っているのかをつらつら考えてみる

2023/8/23追記
この記事は2021年6月7日に書いてその後限定公開にしていたものを公開したものです。内容は当時と変わっていません。


「囀る鳥ははばたかない」の中で、私にとって、一番人物像が定まらない難しい人間が影山だったりします…。
登場場面は決して多くないのに、矢代にとって非常に重要な台詞をぽつり、ぽつりと吐いてくれる影山さんですが、それを全部辻褄あわせようとすると色々難しい(気がする)。
ただ、情熱は伝わるんですね。言葉の一つ一つから。影山は矢代を大切に思っている。それは間違いない。
でも、それがどういう種類のものなのか、たぶん本人もわかっていないのでしょうから、考察するのは無粋というものなのでしょうが、つらつらと考えてみました。

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かなり穿った見方かもしれないが、私は影山(と久我)というキャラクターは、この「囀る」シリーズの中でかなり特殊な存在だと思っている。
なぜなら、「囀る」の主人公である矢代より前に誕生していたからだ。
矢代は、Don't Stay Goldの中では脇役にすぎなかった。つまり、ヨネダ先生の中で、この時点で、影山に対する内部設定はかなり明確な形になっていただろうが、矢代に関してはほぼ白紙だったというわけだ。

ヨネダ先生の作品の傾向から想像するに、おそらく影山と久我の二人には、たった一本の短編では書ききれない内部設定があったのではないか、と思う。影山のケロイドフェチについては、先生ご自身が結構傷を見るのが好きだ、という趣旨のコメントを対談の中でされていたけれど、物語の中で敢えて書くからには、なにかその理由をすでに考えておられたのではないか、という気がしてならない(あくまで想像だけれど)。

ただ、脇役であった矢代が主役になったことで、彼ら二人の設定の一部は、矢代と百目鬼の二人に吸収されたのではないか、という気がするのだ。だから、彼ら(とくに影山)のキャラクターが、見えにくくなっているのではないか、と。

なにしろ、「傷跡が大好きな」影山は、医者の道を選んでおきながら、外科医ではないのである(‼️)
つまりそこには、なにか相当に拗れた感情があるのだろう、この人物にどんな過去があるのか、と、つい穿って見たくなるではないか。

一方、久我の火傷痕はもっとわかりやすい。久我につけられた煙草の痕は、幼い頃に親から受けた虐待だった。親からの虐待の設定は、そのまま、矢代に引き継がれている。また、若い頃の矢代はことあるごとに「煙草の火を押し付けて」と懇願する。これは、高校時代の矢代と、すでにケロイドフェチの設定がある影山とを結びつけるために必要な設定だったからだと思われるが、三十代後半の矢代がまったくそれを口にしないことを考えると、今の矢代にはその設定は必要がないのだろう。

多少意地の悪い見方をすれば(そして久我ファンの皆様には激怒されそうだが)、虐待の過去と火傷痕を抱える少年の設定は、「囀る」シリーズで新たに主人公に抜擢された矢代に引き継がれてその役目を終えた、と、見えなくもない。

影山が実は非常に複雑な内面を抱えた人物なのではないか、という期待は、この設定だけを見せられたら普通に抱く感情だと思う。
それなのに、囀る本編では、影山は一貫して「色恋沙汰にかなり鈍いオッサン」として描かれていて、それほど複雑な内面を感じさせない。
つまるところ、複雑な内面を抱えた人間が二人いては、矢代の特殊性が目立たなくなってしまうから、敢えて影山の複雑さは封印されたのではないか、という気がしてならないのだ。

そして、影山が鈍いオッサンになったがゆえに、矢代に設定を渡して役目を終えたはずの久我には聡い相棒としての新たな役目が与えられた、と見える。
ドラマCDのキャストトークの中で、「狂犬」だった久我がお弁当を買ってきてくれるなんて、という印象的なコメントがあったけれど、それは彼の物語の中での役目が変わったから、当然の結果なのだ。
久我の勘の良さは、Don't Stay Goldの終盤で、実は矢代がドMのネコだと気づいていたところに十分現れている。
まさに適所適材。こういうところの采配が、ヨネダ先生は本当に見事だ。

…と、前置きが長くなった。

さて、では、影山は本当にただの「鈍いオッサン」なのか? 
というのが、ここで考えてみたい内容なのである…。

作家は、膨大な設定を考えても、敢えて書かない、という選択肢を選ぶこともできる。書かれていない=存在しない、ではないからだ。

というわけで、語られていない背景を勝手に想像してみた(笑)。



まず、出会いは、影山が矢代に数枚の絆創膏を渡すところから始まる。
これは、はっきりいって、健康な高校男子としては、相当奇妙な行動だと思う。
頻繁に怪我をしていると気づいたなら、普通は「どうしたのか」と聞くところから始めるだろう。でなければ、見て見ぬふりだ。

ただ理由もきかずに、絆創膏を渡して、相手に対しさりげなく気遣っている人間がいる、ということを知らせる行動は、およそ17歳の少年にはふさわしくない。ただ、影山がもし、人に言えない傷を抱えている患者を多く見てきたのなら、あり得る話かもしれない、と思う。もしかしたら、父の病院にはDVに苦しむ人も訪れていたのかもしれない。下手に踏み込めば、警戒されて距離を置かれ、手当てもできなくなる。そういう懸念があったとすれば、そして、黙々と手当てをする父の姿を見ていれば、腫れ物にさわるような邂逅の仕方でもおかしくはない。

ただ、影山は、保健室で矢代の傷の手当てをするでもなく、火傷の痕を辿ってしまう。このあたりが、ただ怪我をしている同級生への気がかりばかりではない何かを感じる。
かなり飛躍した想像だけれど、影山は、実はこのとき、矢代に惹かれかけていたんじゃないか? という気がしている。
まあ、惹かれている、は言い過ぎかもしれないので、かなり美形のクラスの男子が気になる、くらいでも良いのだけど。

きっとかなり深刻だろう家庭事情に踏み込む勇気はないけど、さりとて無視もできない。
或る日突然、ふっと消えてしまいそうな同級生に、たった一人ではない、お前を気にかけている人間がいるぞ、というサインを送りたかった、というのはあり得るのじゃないか、という気がするのだ。
病院に通ってきていたDVの被害者の女性が、或る日突然来なくなり、心配している父の姿をもし見ていたのなら…

フェチに理由はないので、影山がケロイドフェチであるという設定はそのまま飲み込むとしても、ただ二人きりで会って傷跡を触る、という関係が数週間にわたって続くには、それなりに理由があるだろう、と思う。
矢代は影山のことを、「人は同じで平均的で自分の考えの及ばない方向にはいかないだろうと思っている」と評しているけれど、私はすこし違う印象を受ける。

影山は、自分が特殊な趣味の持ち主であるが故に、人の考えや嗜好が世間一般の常識からは大きく外れたものになり得ることを、十分に知っている、と思うのだ。
けれど、同時に、おそらく人格者であっただろう医師の父親に育てられた彼は、そのことを肯定的に受け入れることができないのではないかと。
だからこそ、それを否定せずに受け入れて、なおかつ自分の気の済むようにさせてくれた矢代に惹かれた。

であるとすれば、矢代に「バイである」という告白を受けたとき、影山は一瞬で、矢代が本当に「そう」であることを理解したと思うのだ。
そもそも、そういう傾向がなければ、自分のおかしな趣味に何週間も付き合うわけがない、と。
更に穿った見方をすれば、影山はその可能性にすでに感づいていた可能性もあると思う。どちらも言い出さなかったから、そしてどちらも止めたくなかったから、言わなかった。けれど、少なくとも影山の方は、その行為も、感情も、どちらもが世間一般の常識に照らし合わせて「後ろめたい」ことであると考えていたのだろうと思う。
だからこそ、矢代がそのギリギリの均衡に耐えきれずに一歩踏み込んできたときに、反射的に引いてしまったのだろう、と。

影山が、同性の矢代の肉体に情欲を抱いたかどうかは、正直よくわからない。というより、どちらともとれる書き方だと思う。十代後半という年齢ならあり得るとも思うし(なにしろホントにコンセントみても突っ込みたくなるらしいからな…(笑)<男友達の談)純粋に傷跡に対するフェティシズムだったかもしれないけれど、いずれにしても、影山の中には「それは間違いである」という思い込みが強固にあっただろうと思う。
その意味で、「人は同じで平均的で自分の考えの及ばない方向にはいかないだろうと思っている」のではなく、むしろ逆に自分が平均的な思考や嗜好を持っていないからこそ、それを行動に移すことを己に禁じている、ように見えるのだ。
(それはDon't Stay Goldの中でも、久我に「俺は男で性欲処理はしない」と言って疎遠になっている彼女?に電話しているシーンからも伺える。女の目で見れば、そういう理由で女に電話する方がよほど酷い話だと思うが、影山の中ではそちらの方が「真っ当」なのだ、という思い込みがよく現れている。)

影山が実は心の奥底では矢代に惚れていたのかどうか、二通りの解釈が可能だと思う。

ひとつめは素直に、肉欲はあったかもしれないし、自分の嗜好を受け入れてくれた矢代に対する執着もあっただろうが、恋愛感情ではない、と自覚していた場合だ。
もしそういう確信があれば、矢代の一世一代の告白を受けて、この関係を続けてはいけない、と思っただろうと思う。(影山は、男が同性の友人に自分がゲイであることを告白することが、いかに軽々しく見えようとどれほどの勇気を伴うものか、ということを全く考えないような人間ではない、と思いたい。感づいても即、頭の中でそれを見ないようにはしてしまうかもしれないが。)
家庭内でおそらく酷い扱いを受けて、付き合った人間からは愛ではないフェティシズムを向けられるようでは、あまりに矢代が可哀想だ、と思ったから、矢代がその気にならないように、矢代の繰り出してくる下ネタには徹底して気の無い返事を返すことにした……と考えれば、一連の影山の残酷なまでにそっけない態度は理解できる。もちろん、元来の真面目な性格ゆえに、下ネタに対してどう返していいかわからない、というのもあったと思うけれど。

もうひとつは、実は影山は矢代への情欲を自覚していて、でもあまりにも深い闇を抱えているらしい矢代を自分が幸せにしてやる自信がない、もしくは矢代がどの程度まで本気で影山に惚れているのかを測りかねて、このとき敵前逃亡してしまった可能性だ。
それはそれで私の大好物な展開ではあるのだけれど、そこまでいくともはや二次創作の領域に踏み込んでしまうので詳細は控えておこうと思う(笑)。
でも、もし万が一そうだと考えると、影山が自分の禁忌を破って久我を選んだ事実に非常に自然に繋がる、とも言える。
つまり、影山もかつて煙草の痕をつけた同級生を好きになって失恋したから(まあ自分から振ったわけだけど)、二人目の久我に対して自制ができなかった、ということになるわけだ。
物語の生まれた順序は逆かもしれないが、話の中で、その因果関係が入れ替わる、ということはわりとよくある話だと思う。
高校時代のなんとも奥手な印象の影山が、久我と付き合い出した途端にエロ親父に豹変したり、ということも、矢代を振った後に思いきれずに色々想像しているうちに詳しくなってしまった、と考えられなくもない(笑)。


一方、いくら間接的なメッセージを送っても一向に反応を返さない影山に焦れて、矢代はついに直接的な手段に出てしまう。
同級生にキスをして、相手の陰部を握りつぶすという暴行は、完全に影山に見せるためのパフォーマンスだ。
そして、それを見た影山は、自分の選んだ未来を矢代にはっきり伝える決意を固めたのだと思うのだ。

矢代の謹慎が解けた後の屋上で、影山は、矢代に三つのことを伝えている。
一つ目は、影山が矢代に抱く感情には、哀れみが混じっている、ということ。
二つ目は、自分も矢代も、一人なのだ、ということ。
そして最後は、そんな矢代を、友人として大切に思っている、ということ。

矢代に伝える言葉として、この三つを選び出すまで、影山は2週間悩み抜いたんじゃないかな、と思う。
何を言っても、矢代が傷つくだろうことに変わりはないけれど、せめて、一人で孤独を噛み締めずに済むように、自分も一人なんだ、というメッセージを伝えて、友人として、という断りはついても、本当に大切に思っていることも伝えた。影山としては、最大限矢代に寄り添う言葉だったのではないか。

このとき彼女がいた影山が、「自分も一人だ」というメッセージを伝えたということは、つまり、今付き合っている彼女が影山の孤独を埋める存在にはなっていないと白状しているに等しい。これが本心からだったのかまでは明確に描かれていないけれど、影山の性格からして、自分のケロイドフェチについては女子には黙っている可能性が高いと思うので、おそらくこの部分も本心だったのではないか、と思っている。

そして、それが影山の心からの思いやりのこもった言葉だったからこそ、矢代は望みがないことを理解した。
おそらく、それ以降の矢代は、影山に対してカマをかけるような発言はしなかっただろうし、自分が影山に抱いている感情を悟らせるような素振りも封印しただろう、と思う。
時間が過ぎて、平穏な日常が戻れば、お互いに一時の微熱は冷めて、あれが勘違いだった、と思える日がくる──と、そのときは二人とも思っていたのではないだろうか。
残念なことに、少なくとも矢代の方は、その後20年にわたって苦しい恋心を抱え続けることになったわけだけれど。


大人になった影山は、もはや、矢代にとっても、十代の頃の麻疹のような感情は過去のものになったと信じて疑っていないように見える。
というより、おそらく影山は、高校時代の自分に向けられた矢代の感情さえも、恋愛感情とは違った何かであったと思っているのだろうと思う。
たとえば、理解者が欲しいという寂しさであったり、いつもそばにいる人間が欲しいという人恋しさであったり、というように。
(だから、久我の指摘に対して、「あいつは誰かに惚れるとかないと思っていた」と呟いた)

それは、ひとえに、矢代の演技力の成せる技で、矢代は20年かけて、影山に「まともな恋愛なんてできるわけがない」人間だと信じさせることに成功したのだ、ということにほかならない。
だから、この件で影山を鈍いとからかうのは、少々気の毒にも思える。
なにしろ、矢代は自分がネコであることすら影山に気づかせなかったのだから、誰よりも影山の前で一番ガードが固かったに違いないからだ。

(それでも久我は3巻巻末の短編の中で矢代の影山への感情を見抜いていたと思われるので、影山が多少色恋沙汰に鈍い、という傾向があることは否定しないけれど。)

その思い込みを、新たなパートナーとなった久我に崩されたとき、影山は矢代に出会ってから20年で初めて、矢代に一歩踏み込もうとするのだ。
それは、パートナーを得て影山が成長した証なのだろうと思う。
百目鬼を切り捨てた矢代に対して、それで本当によいのか、と問いかけるような言葉を投げているし、「女は大変だ、男ならケツが切れるだけで済むのに」と軽口を叩いた矢代に「済まねえだろ」と本気で怒っている。高校時代の影山ならまず間違いなく無言でスルーするような場面だろう。
自分の身を粗末に扱うな、という明確なメッセージを矢代に送ることに、大人になった影山は躊躇しなくなっているのだ。

そして、極め付けが、6巻最後の会話である。
ここで、影山は、矢代のことを「身内」だと言っている。
この言葉の重さは、おそらく十代の頃から付かず離れずの距離にいた影山と矢代の間でしかわからないだろう。
ずっと家族がいない矢代に、自分が「身内」である、と宣言することは、一生涯、何があっても矢代との関係を切る気はない、と誓うに等しい。
極端な話、恋人とは別れることもあるし、結婚しても離婚して他人になることもある。でも、身内はそうはいかないのだ。

自分は矢代の恋人にはなれなかった。でもそのかわりに、矢代がずっと持っていなかった存在になる覚悟がある、と、あの短い会話の中で、影山はそう伝えたかったように思えてならない。
その言葉を言わせたものが、本当に友情だったのか、それとも今は過去のものになりつつある愛情だったのか。
そのどちらであっても物語は成り立つし、どちらも美しいし、切ない、と思う。


私はもちろん矢代には百目鬼と結ばれて欲しいと思うし、今更影山に横槍を入れてほしくはないけれど、影山が本当は何を考えていたのだろう、と思うと、そこにはまた別の世界が広がっている、ように思う。


(…というより、どんな形でもいいから、矢代さんが愛されていて欲しいんだな…ということを今理解しました(笑)
 お粗末さまでございました!)

2023/8/24 追記
上でちょい触れた二次創作の範囲の話は、その後「真夜中の鳥」という一連のシリーズになりました。
もし気が向いたらご覧いただければ幸いです。

https://akikawakuloe.hatenablog.com/entry/2021/06/23/011134


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