見出し画像

【こじぷろ月次祭2023】💡参拝ガイド💫令和5年6月🌸「夏越の大祓」⛩

こじぷろ月次祭つきなみさい2023年6月の参拝ガイドです。
6月のお題は、「夏越の大祓なごしのおおはらえ」がテーマです。
神社にお参りして、半年の穢れけがれをおはらいしましませんか✨(指定の神社はありませんので、お好きな神社にお参りなさってください)

🌸『月次祭つきなみさい』とは🌸
「月例のお祭り」という意味で全国各地の神社でおこなわれている祭事。(年1~2回ほど盛大におこなわれる恒例のお祭りを「例大祭」という)
こじぷろが設定した季節の行事にちなんだ神社⛩にご参拝に行ってみませんか✨
◆❖◆こじぷろ月次祭の目的◆❖◆
『神社文化に親しんでもらう』
〇神社でお詣りをして心身ともに清まる
〇神社に興味を持つ
〇主祭神など祀られている神さまに興味を持つ
〇推し神さまが見つかる

詳細はこちら⬇️⬇️⬇️
古事記projectクリプト」Discord

⛩️夏越なごし大祓おおはらえとは?

神社では、年に2回、半年毎に平穏無事に生活できるように願い、「大祓おおはらえ」という神事が行われています(6月30日、12月31日)。半年の間に犯した罪、心身の穢れけがれ、災いを消し、清浄な姿を取り戻すための祭祀です。これから犯すであろう罪などを取り除く意味もあります。

大祓おおはらえでは、神職が大祓詞おおはらえことばを読み、氏子崇敬者は切麻きりぬさ(麻と紙を小さく切ったもの)を体にまいて清め、「人形ひとがた(紙を人の形に切ったもの)*」で体をなで、息を吹きかけます。人の罪や穢れを付着させた「人形」は海や川に流したり、焼かれたりします。
*「形代かたしろ」「撫物なでもの」とも呼ばれます。

大祓おおはらえの起源

大祓おおはらえは記紀神話の伊邪那岐命いざなぎのみこと禊祓みそぎはらえを起源としています。

6月の大祓は、「夏越なごしはらえ」「名越なごしはらえ」「六月祓みなづきのはらえ」などとも呼ばれ、神社の境内や鳥居の下などの「結界」の内側にちがやというイネ科の植物で編んだ直径数メートルの輪を作ってくぐる習わしもあります。
この茅の輪を3回くぐることで穢れや災い、罪を祓い清め、無病息災を願います。

💡輪に茅が使われるのは・・・
「茅は生薬として利尿作用があり、夏の体調回復に使われていたから」
「あるいは茅は魔除けの力を持つと考えられていたから」
などの説があります。

夏越なごしはらえの時期や茅の輪くぐりの作法は、神社によってまちまちです。茅の輪の設置時期も異なります。各地の神社の伝統に従いましょう。

茅の輪ちのわくぐりの由来

「茅の輪くぐり」は、「備後国風土記」逸文の武塔神むとうのかみ(武塔天神)の故事に由来します。
備後国(広島県東部)を旅していた武塔天神は宿を探していました。そのとき、蘇民将来そみんしょうらいという人物は貧しい暮らしをしながらも武塔天神を手厚くもてなしました。
数年後、武塔天神は再び蘇民将来のもとを訪れ、自分が須佐之男命すさのおのみことであることを明かし、「疫病が流行ったら茅で輪を作り、腰につけて難を逃れなさい」と教えました。その後、教えを守った蘇民将来は難を逃れることができたという神話が「茅の輪くぐり」の由来とされています。
昔は茅の輪を腰につけて無病息災を願いましたが、江戸時代初期ごろに、現在のように大きな輪をくぐるようになったといわれます。

茅の輪ちのわくぐりの手順・作法

ご本殿に向かって一礼
まずは手水舎で手と口を清めましょう。 その後、茅の輪の前に立ち、ご本殿に向かって一礼をします。

1️⃣一周目(左回り)
茅の輪の正面に立ち、一礼します。その後、左足で茅の輪をまたいでくぐり、輪っかの左側を通って正面に戻ります。

2️⃣二周目(右回り)
茅の輪の正面に立ち、一礼します。その後、右足で茅の輪をまたいでくぐり、輪っかの右側を通って正面に戻ります。

3️⃣三周目(左回り)
茅の輪の正面に立ち、一礼します。その後、左足で茅の輪をまたいでくぐり、輪っかの左側を通って正面に戻ります。

4️⃣お参り
そのままご本殿に進み、お参りします。

茅の輪をくぐるときには、「唱え詞となえことば」を唱えます。この唱え詞となえことばも神社によって異なります。
代表的なものは、
祓へ給ひ 清め給へ 守り給ひ 幸へ給へはらえたまい きよめたまえ まもりたまい さきわえたまえ
「お祓いください、お清めください。お守りください、幸福をお与えください」という意味で、神様にお祓いとお力添えを願います。
他には、
「水無月の なごしの祓 する人は ちとせの命 のぶといふなり」
「思ふ事 皆つきねとて 麻の葉を きりにきりても 祓へつるかな」
「宮川の 清き流れに 禊せば 祈れることの 叶はぬはなし」
などがあります。

この唱え詞を、茅の輪くぐりの一周目、二周目、三周目に、順に唱える神社もあります。そのほか、茅の輪くぐりの由来となった人物の「蘇民将来 蘇民将来」と唱えることもあります。

茅の輪ちのわくぐり発祥の地⛩️

素戔嗚神社すさのおじんじゃの摂社「蘇民神社そみんじんじゃ」(広島県福山市)

備後國一之宮。祇園信仰、祇園祭発祥の神社。
一説では、「備後國風土記」逸文の舞台「疫隈國社」は、素盞嗚神社の本殿のことではなく、本殿の南側に長屋式で建つ摂社「蘇民神社《そみんじんじゃ》」であるとされます。敷地は、武塔神(須佐之男命)に滅ぼされた弟将来(巨旦将来)の屋敷跡といわれます。

「茅の輪くぐり」
発祥の地
蘇民神社
「備後風土記」によれば 昔 素戔嗚尊がこの地を旅されている時 一夜の宿を求めて大きな屋敷を構え栄えていた 弟の巨旦将来(こたん)を訪ねたが断られた 次に兄の蘇民将来(そみん)を訪ねたところ蘇民は貧しいながらも快く宿を貸し温かくもてなしました
年を経て 蘇民将来は素戔嗚尊より疫病厄除けの茅の輪を授けられ この地に恐ろしい病が流行った時 蘇民将来の一族は病にかかることなく生き延びることができました
この伝承が基となり 素戔嗚尊をお祀りしている神社では「茅の輪くぐりの神事」が行われるようになりました

蘇民神社の前の石版 碑文より




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?