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意見を持つことについて意見する

久しぶりに社会について、と言うと語弊があると思うのだけど、すごい勢いで話していたと思う。(正確に言うと聞いていたの方が正しいのかもしれない。)

そして最後に一言、くっしーの意見を聞きたかったなと。

そんな事もあったので、私が意見を持つことについて考えてみた。

はじめに。

多分くだらないことを話すことは、いくらでも出来るのかもしれないけど、意見を持つと言う習慣だったり、社会で起きていることを考える意識がいつのまにか欠如してたなと。outputの習慣だったり、感じたことは言語化すべきというところは大事だと思っていたから、自分の感情とかを言語化する機会をnote(note始める前はFacebookなのかもしれない)で設けるようにはしていたのだけど、社会の動きだったり、物事を広い視野で見て考えて、自分の意見を持つというのは、元々してなかったのか、かつてはしていたのだけどしなくなってしなくなってしまったのだなと思った。それも意見を持たなくても今は生きて行けてしまう環境に身を置いてしまってるからかもしれない。そんな状況を少し変えたいと思いつつ言葉を綴ります。

ちょっとだけ身の上話

腐っても社会システム学科卒。行政学というか、社会学ゼミの出身。大学時代は社会課題について自分たちで問題意識を持って、学んで知識を深めて、議論すると言うことをしていたはずだ。だけど何を話していたかはほとんど思い出せないし、どうやって議論していたかも分からないほどに、議論から遠ざかっていることを実感した。今も朝からニュースは見るし、それはおそらく昔から変わらない。社会で動いていることについては、傍観の部分もあるけれど、興味を持って知ろうとする姿勢は持っているのだと思う。でもそこまでで、興味が無いわけでは無いのだけど、自分の生きてる世界で起こっているこという実感もなければ、想像力もないのかもしれない。

今度は卒論のお話。

そんな私が書いた卒論は、、

政治参加について書いているんです。この時思っていたのは、自分がびっくりするくらい社会のことについて知らなかったこと、知ろうとしていなかった事でした。今は仕事柄、国政の動きには目を光らせていますが、それはあくまで体制的なところであって、中で何が行われているかではないなーと。こうあって欲しいとか、こうあるべきということに興味を持って、そのための行動だったり、思考を持てているかと考えると甚だ悲しくなってきます。

だからと言って意見するのも難しい。

【#生活保護申請を追い返さないで】ツイートにもあるのだけど、すごくもやもやした。近しいところを仕事で扱っていたこともあり、物凄く言いたいこともあるし、私はこう思うという意見もあるからこそ、思う所が出てきてしまうのだと思う。知ってるからこそ持つ意見なんだろうなーと思う。本当はこのツイートに対する意見も文字化したいのだけど、それはオープンな場ではしたくないし、個人の意見が100%の正論とは言えないことの自覚はあるので、オープンにすべきでないと言う気持ちも持ち合わせている。言葉をoutputしても、結局自分の中だけで留まることもあるし、そうするとoutputしきれなくて、もやもやとした部分だけが頭の中をぐるぐるするのかなと。このツイートに関わらず、社会的なところに対しての意見を持つことって、知ってる事象であればoutputすることで偏ってる可能性を否定できないし(客観的に物事を見る力が要求されてるのかも知れないが、非常に難しい)、明るくない分野の事象についてだとそもそも意見を持とうとしないと思うのである。

そもそもこの話の入り口を少し。

都内某公園で転がってきたボールに対する子供の対応から、議論が始まったのです。ごめんなさいの言葉だったり、話の入り口のタネはいくつかあったのだけど、教育論に行きつき、意見を持つって話にもなった。(この話のまとめ方は少し乱暴だけど。)教育論的な部分に関しては、私も『教育』の場に少し関わってた時期があったり、勉強していた時期があったからこそ思うところは多々あるし、当時は凄く偏った理想論を話していたと思う。そこから数年経って少し見える世界が変わったからこそ、思う所の変化はあったと思うのだけど、その変化だったり今の私が思うことについて言語化してこなかったから、意見を発する事が難しくなってたんだなあと振り返って感じた。

意見を持つためには習慣化の必要がある。

今日の話のなかで、意見を持つのは難しいなあと思っていたのだけど、私の場合は整理されていないだけと言う言葉を聞いたときになるほどなと思った。多分意見を持つことのネタは色々とあるのだろうけど、インプットが多いのか、思考のクセが付いていないのか。癖付けのためにはoutputを続けること、と言うことでnoteを書いてみた。とりあえず、今日の話を整理することから。ただ記憶って恐ろしい、もう今の時点でも話していた内容と全く違う内容を書いてるかも知れないと思ってしまっているから。思ったこと、感じたことをまた徒然なるままに描いていきたい。今はまだ見えぬことも多いから、まとまりがないのだけど、考えて言語化し続けることで見える事もあるだろうから。





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