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『煤びた提灯』沖野岩三郎



煤びた提灯

沖野岩三郎


 高尾が町内宗寺院の僧侶達から排斥され初めたのは日露戦争の始まった頃からであった。

 各宗十一ヶ寺の僧侶達は『皇国戦捷敵国降伏大祈祷会』を聯合で五日間執行しようという事の相談会を開いた。それは町の有志から寄附金を募集して参詣者には御供の餅を配ろうというのであった。

 各宗の僧侶達は一も二も無くそれに賛同したが、高尾は独りその相談に賛成しなかったのである。彼が賛成しなかった理由は、自分の宗旨は絶対他力であって、決して禁厭祈祷の如き事をなすべきもので無いという単純な理由であった。しかし他の僧侶達はその教義上の主張には毫も耳を傾けないで、頭から忠君愛国という言葉で高尾にも強いて賛同させようとしたのであった。

 これが平信徒の会合ならともかく、一宗一派の僧侶であり、殊に其中には宗教大学で角帽をかぶった事のある住職も居るのだから、今少し理解のある議論も出そうなものだと思ったが、皆という皆が悉く白い眼でもって高尾を見た。それは彼が近頃耶蘇教の牧師と交際したり、社会主義者と往来したりする為、そう云う連中の議論に気触れて非戦論を主張するのだと観られたからであった。

 会議の結果は矢張り敵国降伏の祈祷をする事に決った。そしてこれから宴会に移ると云う時、高尾は少し用事があるからと云って直ぐ会場を出て家へ帰った。

 帰って見ると隣村の禅寺に居る相谷という若い僧侶が来ていた。相谷は高尾を見るや否や、

『おい、敵国降伏をやりに行ったのか。』と素見ひやかすように言った。

『いや、此方が降伏させられて来たよ。』と高尾は苦笑しながら言った。

『矢張りやるのだろう、馬鹿な真似を。』

『とうとうやる事に決ったよ。しかし僕は飽まで反対して来た。』

『今朝清源寺の老僧に会ったら、老僧こんな事を言って居たよ。――高尾は馬鹿正直だから不可い。なアに我々坊主がお経を読んだ位で戦争が勝つの負けるのという事があるものか、知れ切った事じゃ無いか其様そんな事は、皆がやると云うなら一緒にやって上の空でお経を読んで置くさ、すると大崎屋からはきっと五十円は持って来る。松本屋からも五十円は来るに決っている。彼此三百円は直ぐ集るからそれで五六十円の餅でもいて投げてやったり、後は我々で一杯飲んで使って終えば宜いじゃないか――彼の老僧は却々偽悪者だから少しは誇張した話だが、要するに其様な位な話さ。本当に君なんか真面目過るよ』

 相谷はハハハハと笑った。高尾は苦笑しながらこう言った。

『だって君、東光寺の如きに至っては到底度すべからずだ。境内に稲荷を祭って毎日御祈祷をしているそうだが、この間も大祭を執行して参詣者を集める手段として芸妓の手踊をやったそうだ。まアそれは宜いとしてこんな事を言うんだもの――うちの稲荷様の御正体はどぶ鼠だ﹅﹅﹅﹅。この間の朝私は小豆の御飯を握ってお供えして、どうぞ御正体をお見せ下さいって一生懸命に願っていたら、ひょこひょこと御姿を現わしなすった。見れば灰色をしたどぶ鼠であった。所が不思議な事には右の足を負傷していられた。きっと今度の旅順の戦争に行って負傷なされたに相違ない――ッてそれを会議の席で臆面も無く言うんだからね、堪ったものじゃア無いよ、言う者も言う者だが、十一ヶ寺の住職達が皆な感心したらしい顔をしてそれを聞いているのが可笑しいじゃないか。』

『それは当り前さ、何所の寺でも地蔵様だとか不動様だとかを境内へ祭ってお祭り騒ぎをして芸妓や酌婦の巾着を絞っているんだから。』

『そうだね、本当に、』高尾は感心したらしく幾度も軽くうなずいた。

『高尾君、清源寺の一件を知ってるか。』

『知らない、どんな事件だい?』

『彼の丸薬は君が世話をしたのだろう?』

『丸薬? それは旨い事を言った。』

 高尾は始めて相好を崩して笑った。

『清源寺の住職は今まで散薬ばかり飲んで居たから大変損をしたんだ、今度は君の世話で名古屋から丸薬を取寄せたので、大変安上りだと言って喜んで居たが、昨日酷い目に会ったのだよ。』

『どんな酷い目に会ったのだい?』

『清源寺の老僧は今まで五人も七人も若い女に逃げられたので、随分有金を減らしたよ。どうしても一人の女が逃げ出す時は百円以上身に着けて行くならなア。』

『そうだ、だから君の云う丸薬を僕は御世話したのさ。しかし彼の尼さんだって名古屋で一ヶ寺の庵主だったのだから、遥々はるばる紀州くんだり﹅﹅﹅﹅まで来て、離縁された日にゃ、尼のくせに、宜い年をからげて﹅﹅﹅﹅嫁入などしてと云われて誰も二度と相手にしてくれないからと云うので、老僧にあれだけの契約をさせたのさ。で無ければ困るからね。』

『君は老僧から証書を取ってやったのだろう。ちゃんと正式に。』

『うん、彼の智榮尼を清源寺の末寺常住庵の庵主にする、それがもし出来なかったなら金千円を渡すという約定さ。』

『所でね、昨日智榮をいよいよ常住庵の庵主にする事になって本山へ届出でる事になったのさ。所がその届書には法類二ヶ寺の承諾捺印が無きゃアならないので、林松寺と龍王寺とに捺印を求めに行ったのさ。清源寺の老僧は無邪気だから――おい俺の所へ丸薬が一つ転げ込んで来た、これへ判子を一つ捺してくれ位な事を言ったのさ、所が林松寺は老僧と智榮尼との間に結んだ約定を知って居て首を横に振ったんだね。龍王寺も林松寺と一緒になって老僧を苛めたのらしい。とうとう老僧は二人に五百円奪られたそうな。判を一捺して二百五十円は随分高い印税だろうじゃ無いか。』

 相谷は笑いながらこう言った。しかし高尾は笑わなかった。

『それは君、本当か。』

『嘘を言うものか、林松寺は今差当り金の必要があるんだもの、君は知らないだろうがこの間和歌山から芸妓志願の女が来たのさ。所でその女が紹介屋の工藤君の所に居るうち、林松寺と知合って、所謂自然主義を実行してしまった。そしてこの間檀徒総代の樫尾君を説伏せて結婚式を挙げたんだよ。結婚式を!』

『え? 林松寺君が結婚式を?』

『そうさ、その時面白い事があったのだッて。林松寺は熊野地の方に結婚の約束をした女があって、その女は時々宿りに来て居たらしい。この間林松寺君は樫尾君を仲人にして首尾よく和歌山の女と結婚式をしてお床入まで順序が進んだのは宜かったが、二人が枕を並べて楽しい巫山の夢に入ろうとする所へ、ガサリと押入の襖が開いて、中から散ばら髪の女が飛出して来たのだそうな。驚いたの驚かないのッて、お嫁さんはウーンと其所そこへ気絶してしまったのだそうな。』

『まア!』と最前から二人の話を黙って聞いて居たお幸は呆れ返った顔付をして相谷の顔を見詰めていた。

『そうして其所で大騒動が始まって、結局林松寺は熊野地の女に三百円やる事にして事は納まったが、さてその女は約束の金を手から手へ渡すまでは一寸も動かないと云って坐り込まれて閉口している所へ、老僧が判子を捺してくれと持込んで来たものだから、林松寺は実に天の助けだと思って龍王寺とグルになって五百円捲上げたんだね。』

『老僧も馬鹿だな、五百円の大金を出すって事があるものか。』

 高尾は忌々しそうに言って舌打をした。

『だって君、調印しなきゃア庵主になれないんだもの、清源寺の法類は彼の二ヶ寺に決ってるんだからその同意を経なければ何とも出来ないのだからね。智榮尼が庵主になれないなら約定通り千円戴こうと出るだろう。だからあんな契約をさせた君にも幾分か責任があるよ。』

 相谷はそれを軽く無意味に言ったのであるが、高尾は『果してそれが事実なら矢張り自分もこの事件に対して負わねばならぬ責任がある』と思った。

『なアに、君、戯言だよ。どうでも宜いじゃないか、彼の連中のする事は皆なこんな事さ。君のように廃娼運動を行ろうという連中とは肌合が適わないさ。死にし者に死にし者を葬らせようじゃないか。』

『ねえ、其様な連中から擯斥されるのは僕の名誉かも知れない。』

『無論名誉さ。敵国降伏の祈祷がよく利く事だろうよ。』

 相谷は風呂敷包から菓子包を取出して机の上に置いた。お幸は『お茶を入れましょう。』と言いながら台所へ起って行った。


 高尾はその晩檀中のある家に招かれて説教に行った。主人は毎日古ぼけた黒塗りの箱を担って町へ下駄直しに出、妻は家で草履造りを渡世にしているのであった。夫婦の間に子供が四人あって、一番下がまだ乳を飲んでいた。

 たった六畳敷一室へ一家六人の外に隣りの家の夫婦と八人坐って高尾の説教を聴いた。高尾はその晩大部平太郎熊野山参詣之条を話した。

 今度の社参の義全く自得し難し、其故に雑行を振捨て正行に帰せよとこそ教えさせ給え。然れば弥陀を念ずる外、別に現世の幸福を祈るはこれ雑行なり、

と言った平太郎の言葉を引いて、それとなく敵国降伏祈祷の祭礼騒ぎに大事の時間を費して参詣しないようにと説いた。彼等にはその意味が解ったかどうかは知らないがとにかく一同は南無阿弥陀仏を唱えた。

 高尾が帰ろうとすると、主人は膳戸棚の上から菓子箱を下して来て恭しくそれを差出した。

『こんな事はしないが宜い。私は御説教をするのが役目だから、あんた方にこんな事をして貰うと済まない………』

 とは言ったが、彼等部落民の常として時々深い辞退は彼等の癖み根性を惹起し易いので、たって辞退せずにそれを貰って帰って来た。

『お幸、この菓子を其所へ収ってお置き。』

 と云って菓子箱を前に措いた。お幸は一寸眉をひそめながら、

『またお菓子ですか。』と云った。お幸の説では、彼等が説教の時、三十銭四十銭の菓子折をくれるよりも十銭か二十銭の現金を包んでくれれば双方に経済でもあり気持が宜いと云うのである。

 相谷が来る度に餅菓子を出すと直ぐに、

『焙籠を借してくれ給え。』と云って、菓子を一々黒焦になる程強く焙って、しかもそれを一々嗅いで見ながら食べるのが常であった。相谷はその時一寸嗅いでは、ハハハハと笑いながら『旨いよ、君。』と云うのであった。

『君は偉い、他の坊さん達は、頭から僕の所の菓子は一つだって摘んでくれないからなア。』

 高尾はこう云って淋しく笑った事もあった。

『相谷君では無いが、焙籠を持っておいで、お茶でも飲んでやすもう。』

 高尾は火鉢の火を掻交ぜながら言った。

『ねえ、お茶でも入れましょう、勿体ない事ですワ。』

 お幸は神妙に南無阿弥陀仏を唱えながら勝手元から茶器を持って来た。二人は餅菓子を焙って食べながら、黙っていたが、不意に高尾はこう云う事を言った。

『お幸、お前は俺がこの町の寺々の住職から除者にされて、何所の葬式へも招いてくれないようになった時如何する?』

『それは致方ありませんワ。』

『致方が無いだけじゃア済むまい、第一吾々の顎が乾上るじゃないか。』

『だって檀中が五六十もあるでしょう。』

『檀中って、よく考えて御覧、自分の家内を十分に養って行くだけの資力のある者が何人あると思う? 六十何軒の中でたった五六軒じゃないか。それすらやっと自分の一家を支えかねているんだ。今まで此寺には俺があちこちの人に頼んで頼母子講を始めて貰ったのでやっと切り抜けて来たが、各宗寺院に皆な反対された日にゃア、二度と頼母子講も出来る筈はない。そうなると我々はどうして食って行く? だから俺はこんな事を考えている。一つは俺が小さい時家の親父から教わった癩病薬を製造して売出す事だ。一つは俺は按摩をやろうと思うんだが……』

『按摩を?』お幸は軽蔑するように上眼使いに高尾を見た。

『うん本当にそう思う。俺は子供の時から按摩をさされて親からその度に五厘ずつ貰ったものだ。大変上手だと云うので隣の老爺さんからは二銭ずつ貰って三日目に一度ずつ揉みに行ったものだ。俺は今でも按摩で食って行ける自信が十分にある。』

 高尾が余り本気らしいので、お幸は呆れたようにその顔を見ていたが、俯向いてシクシク泣き出した。

『私には東光寺の奥さんのように、産婆をするような腕も無し、あなたに按摩をして貰っても……私は私は……』

 お幸はとうとう泣き沈んだ。彼は高尾がこの頃とかく浮かぬ勝なのを見てその苦しい立場をよく察していたのであった。

『按摩をしても何をしても宜いじゃないか、総てを如来様にお任せするんだ。』

 高尾は机の上にあった安心決定鈔を取上げて開いて見た。丁度その頁には、

南无ハスナハチ帰命コレマナコナリ阿弥陀ハスナハチ他力弘願ノ法体コレ日輪ナリ、ヨツテ本願ノ功徳ヲ受取ルコトハ宿善ノ機南无ト帰命シテ阿弥陀仏トトナフル六字ノウチニ万行万善恒沙ノ功徳タダ一声ニ成就スルナリカルガ故ニ外ニ功徳善根ヲ求ムベカラズ

 とあった。高尾はそれを二三度小声に読んで、南無阿弥陀仏々々々々々々と言った。お幸も一緒に唱名した。


 翌朝の新聞には皇国戦捷敵国降伏大祈祷執行の広告が第一面の一欄に載っていた。広告文の冒頭には『我等忠君愛国の熱情黙し難く』云々の文字があった。

 それから第三面を見ると其所には二号活字の標題で『非国民を葬れ!』という二段半に亙る長い文章が掲げてあった。内容は高尾が各宗寺院と聯合して敵国降伏の祈祷をしないのを手ひどく攻撃したもので、その議論の内容は相談会の時、林松寺が陳べたものと大同小異であった。

『林松寺奴に相違無い!』高尾は新聞を細く畳んでそれを机の抽出に入れてしまった。それはお幸にこの悲しい記事を読ませまいと思ったからであった。

 高尾は御堂へ行って、如来像の前にきちんと坐って眼を閉じて一心に念じていた。

 三十分ばかりも経って、庫裏の方へ来たが、今日は呉服屋の椿屋で一時から法要があるのだという事を想い出した。

『おい、お幸、今日は一時から椿屋へ行くのだったナ。』

『ああそうでした。十二時過ぎに、お迎えをよこすからってそう奥様が申していました。』

『そうか、では今日は半日出て行くまい。』

『書院へ行ってお休みなさいましよ、何だか顔色がお悪いようですワ。』

『半日読書でもしようか。』

 高尾は書院へ行って高窓の障子を開けっ放して座蒲団を二つに折ったのを枕にして寝転んでいた。五六分も経ったと思う頃相谷が足音高く縁側を歩きながら、

『高尾君! 愛国者達はひどい事をやったなア。』と云いつつ入って来た。そして彼は懐から小さい雑誌を出して、

『君、ここを読んで見給え!』と云った。高尾は半分起上ってその雑誌の文を読んでみた。

 嗚呼大椿事、大惨劇は演出されたり、去る八日の夜を以て挙行されたる戦捷祝賀提灯行列は無慮三十万の群集と号せられぬ。一行が日比谷より銀座を経て馬場先門に入り二重橋に至りて桜田門を出るの間、火光天を焦し叫声地を動し群集潮の如かりき。而して此の喧囂と雑踏とを以て発揮せられたる愛国心は果して何物を持来せりや。圧死されし者弐拾人、負傷者数を知らず、死傷者は十歳より十六七歳に至る少年少女にして中には母と二人の娘と共に圧死せるすらあり、馬場先門内に遺棄せる下駄の数は二千足の多きに上り、帽子洋傘洋杖等山をなせり。
 愛国心の発揚固より賞すべし、されど吾人は宮城外に於て同胞相撲ち、相闘い、手足挫け頭脳裂け聞くも悼ましき修羅場を現出せしめたる発起者に対し一言の問責無かるべからず。

『ふうん。』と高尾は溜息を吐いたが、『二人の娘と一緒に踏潰されて死ぬ時にこの母子は万歳を唱えたろうか?』と云ってじっと眼を閉じていたが、やがてポトポトと涙が滲み出て来て頬を伝って流れた。

『ワアワア騒ぐ事を以って愛国心だと思う連中にも困ったものだ。高尾君! 僕は嬉しい! この踏潰されて死んだ二十名の為に熱い涙を流してくれる者が本当の愛国者だと思う。君のような人が本当の愛国者だ。僕は号外を買う多くの人の心持が実に憎い。彼奴らは号外を読んで何と云う? …我兵死傷五千分捕砲七門…とある時に彼等は砲七門を分捕ったという事にばかり気を取られて直ぐ万歳を叫ぶんだ。

敵の武器を奪ったという事は目出度い事だ。しかし五千といえ我軍の死傷に対しては露程も気の毒だと思って居ない。大砲七門ッて何だい、古銅にして四五百円のものじゃないか。全て彼奴らは戦争をボートスレースか何ぞのように思っているんだから堪らない。しかし今に眼が覚めて来るよ。』

 相谷は慰むように言って高尾を見詰めていた。

 高尾は撥起るようにして机の前に坐ったが俄に言葉を改めて、

『相谷君、僕は按摩になろうと思うがどうだろう?』と云った。

『按摩に?』

『うん、按摩をやろうと思う。僕は確かにそれで食って行けるという自信があるんだ。僕はもうこの頃哀れな檀中の懐を絞って活きる事が苦しくなって来た。考えても見給え、毎日々々人の門口に坐って、犬の糞を踏んだやら何を踏んだやら知れない古下駄をいじくって、一銭二銭ずつ集めて来た金を仏説阿弥陀経で奪って来て楽々に生きて行くという事は、万歳を叫びつつ人を踏殺す連中とちっとも異らない罪人だよ。もう僕はこのままにお経ばかり読んでいる事は出来ない。』

 高尾のめじりは釣上っていた。相谷はその権幕に気押されたように少し口を開けたまま黙って高尾を見詰めていた。

 二人は十二時過ぎまで宗教界の事や政治界の事を語り合って、一緒に昼飯を食べた。

 十二時は過ぎ一時が過ぎても椿屋から法要のお使いが来なかった。気軽な高尾は小さい信玄袋へ小道具を捻じ込んで出かけて行った。相谷は暫らく昼寝をするといって書院へ入って行った。

 高尾は寺を出て五町ばかり離れた椿屋へ行って見ると、表戸は閉って休業の札がかけてあった。

 潜り戸を開けて入ってみると、裏の方の障子を悉皆開放して、三四十人の男女が床の間の方に向いて坐っていた。床の前には小さい卓子が据えてあって、林松寺の住職が燦爛たる袈裟を掛けて頻りに何だか演説口調で言って居た。

 高尾はハッ! と思って一足退ったが、その時林松寺はチラと入口の方を見て、俄かに語調を一転して『抑も吾国は開闢以来二千五百有余年……』と言って卓をたたいた。椿屋の主人は次の室に坐っていた。高尾の入って来たのを横目で見たが直ぐ知らぬ顔して正面を向いてしまった。誰一人高尾に『お上りなさい。』と云う者は無かった。

 高尾は嚇とのぼせてしまった。ゴロゴロと潜り戸を開けたのは覚えていたが、後を閉めたか開けッ放して置いたかも知らずに、さッさと歩いて一町ばかり来た。

 角の共同水槽の所まで来た時、急に喉が涸いたので、竜頭を捻じて両手に溢るる水をガブリと飲んだ。法衣の袖に飛沫がかかったのをハンケチで拭いて、ほっと後を振返った時、始めて自分がもう此処まで来たかと気付いた。彼は石の上に置いてあった信玄袋を取上げてまたアタフタと寺の方へ走って行ったが玄関からには上らずに御堂の表から直ぐ書院の方へ入って居った。相谷は寝そべって改邪鈔を読んでいた。高尾は直ぐその十七の右に

我執を先として宿縁の有無を忘れ、我が同行、他人の同行と相論すること愚鈍の至り仏祖の照覧を憚らざる条至極拙きもの歟。

 とある事を想い出した。彼は倒れるように其所へべたりと坐った。舌が硬張って暫くは何にも言えなかった。


 それから十日ばかり経って、本山の宗務局から一通の通牒が届いた。それはこの古今未曽有の大戦に際し吾々真宗信者の精神統一の必要があるから不日布教師鷲尾順應師を使僧として派遣するというのであった。

 今まで度々本山から布教師を派遣しようと言って来たが高尾は絶対にそれを拒んでいた。それはその旅費や謝礼を貧乏な信徒に負担せしむるに堪えないからであった。で、この時も高尾は早速『御派遣御見合せ下され度し』と云ってやったが、その手紙の本山へ届いた頃はもう布教師の出発した後であった。

 六月の始めに鷲尾順應は来た。二十七八の若い美男子であった。高尾も久しい間四面楚歌の中に居たのだから同宗同派の僧侶を迎えた時は矢張り幾分か気強いようにも思った。

 取敢ず辻々へ貼紙をしてその翌晩説教会を開いた。檀中の老若男女が八十人ばかり集った。教会の牧師大宮小二郎も見えた。清源寺の老僧と其所の智榮尼も来た。

『君、彼の講座をもっと中央に出してくれ給え。柱の左側へね。』

 鷲尾はこう言った。高尾は何の気無しに鷲尾の言う通りにした。それから勤行が始まった、信者は声を合せた南無阿弥陀仏を唱えた。高尾のお経が最後の余韻を長く引いて、信者一同が如来像にむかって合掌しながら頭を下げて居たのが、ずうっと静に起上った時、彼等の眼に映ったものは何であったか。金光燦爛たる如来像の直ぐ右手に雪を欺くような白衣の上に金襴の眼覚むるような袈裟を着た美貌の若い鷲尾が静かに眼を閉じて合掌していた。

 信者一同は思わず南無阿弥陀仏を声高く唱えた。そして寧ろ鷲尾の方を拝んだ。

『さて、御同行衆……』と静かに口を開いて二三分話すうちに信者は其所此所でもう啜り泣きを始めた。南無阿弥陀仏の声が句切り句切りに起った。凡そ二十分間程話した時信者の昂奮はもう頂点に達していた。鷲尾は声をふるわして、

『御法主様はこうまで御心配遊ばされてござる。どうぞ御同行衆、例令たとい一厘一銭ずつでもこの御恩報じを致そうではござらぬか。思慮なくして恩徳を知らざらんは其形人なりというとも其心畜生に同じかるべし、畜生の中にも恩を知り礼を致す事あり、羊は乳を飲むにまず膝を屈して敬を致し鶴は母の肉を知りて食わざるが如し、況んや人倫に於てをや……』と云った時、声を立てて泣くものさえあった。

 彼は三十分足らずの説教で大成功を収めて壇を降った。そして休憇室の書院へ入って休息していると檀中総代の小野という男が入って来て一寸硯と紙とを貸してくれと言った。高尾は早速机の上にあった硯と紙とを渡した。

 十分ばかり経って小野はまた入って来た。

『客僧様どうも有難い御説教でござりました。誠に申兼ますが、今一席どうぞ御話し下さるように一同が申していますで……』

 小野は頭を畳に摺りつけて頼んだ。鷲尾は暫く考えていたが、

『ではやりましょう!』と云って得意そうに小刻みに頭を振った。小野は紙に書いたものを鷲尾の前に差出して、

『これは誠に僅かばかりですが、我々一同の寸志でござります、どうぞ御本山の御費用の幾分にお使い下さるように、宜しく……』と云って頭を下げた。

 鷲尾は手早くそれを取上げてひらいて見ると金二十円也を筆頭に十円、五円、一円と合計百三十何円の寄附申出書であった。鷲尾は静かにそれを高尾に渡した。小野は住持の高尾から口を極めて賞めて貰う積りらしく頻りに笑いを含んだ眼元で高尾の顔を見て居た。

 高尾は凝乎じっと寄附申出の金額と人名とを見較べていたが、眉根に太いしわを寄せてピリピリと唇の両側を痙攣ひきつけさせていた。

 鷲尾が二度目の説教に行ったあとへ、牧師の大宮が入って来た。高尾は眉根に皺を寄せながら、

『君、これじゃから無智なものは困る。』と云って寄附申出書を見せた。

『えらいものだ、たった三十分の説教で、あれだけ信者を引付けたんだから、とてもとても僕なんかは百度説教した所で、あの十分の一の結果を収め得ないよ。僕は感心した。』

 大宮は冷い笑を見せながら言った。高尾は大宮の顔を覗き込むようにして、

『そうだ、本当に偉い、御互いには出来ない芸当だから……』

 其所へ清源寺の老僧も入って来た。

『この興行大当りかッ、高尾君は一座を買切らないで手打ち﹅﹅﹅にさせるから馬鹿だ。しかし俺の丸薬は一粒五百円についたよ、ははははは、南無妙法蓮陀仏だ。ははははは。』

 老僧は頑丈な右の手で赭黒い頬の所を撫でながら出て行った。大宮も暫くして帰って行った。

 高尾は鷲尾が信者の頭を下げて居る間にそっと高座に上って居た事が既に幾分か癪に触っていた。そしてその説教というものが、実に平凡な月並なものであった事にも失望していた。彼にはもう其様な旧式な談義僧のするような説教をする者と調子を合せ得るような余裕が無かった。彼はこの時如何すればこの貧しい檀中から百何十円の金を出させずに済むだろうかという事を頻りに考えていた。

 やがて説教は終った、鷲尾は書院へ帰って来た。総代達も入って来て茶を飲んでいたが、鷲尾が大変疲れたというので一同は皆な帰ってしまった。

 高尾は布巾で茶碗を拭きながら、静かにこう言った。

『鷲尾さん、あなたは彼の百何十円のお金を持ってお帰りになりますか?』

『そうだナ、ここ四日の間に調達するように君から言付けてくれ給え。』

 高尾はその言方がグッと癪に触った。

『そんな事は出来ません、御本山も大切だが、彼の憐れな貧民も大切です、彼れらから一円二円の金を奪うという事は生血を吸うようなものです。』

『奪う? 君は僕がその金を奪うと思うのか。』

 鷲尾は気相変えて言った。

『勿論奪うのさ、搾木で油を搾るように搾り取るのさ。』

『何だッて、君はそれを本気で言うのか、僕は君、本山の命令を受けて出張しているんだよ。』

『本山の命令であろうが、誰の命令であろうが、そんな事はどうでも宜い。他人から軽蔑されながら毎日卑しい仕事をしてやっと食うや食わずでいる連中からたった五十銭三十銭の金を貰うという事でも、それは彼等の血を吸い取るようなものだ。それに、彼の貧民窟から一度に百三十円も四十円も取奪って行くという事は何という恐ろしい事だろう。僕なんどは其様な非道な事は思うだけでも身の毛がよ立つように思う。君などは平気でその金を受取られますか、そんな事が慈悲忍辱を説く君の手で出来ますか。全体御本山の借金というものは何の為に出来たんだい、それを真実に信徒に打ち明けて言えるかい、それが言えなけりゃあ、一厘の金も僕の檀中から持って行く事は僕が承知しない。泥棒のように無理にそれを持って行くなら持って行って見給え僕には覚悟があるから……』

 高尾は思わず興奮してこんな極端な事まで言ってしまったのであった。

『引奪るの、泥棒だのって僕も随分諸所方々へ説教に行ったが、其様な侮辱を受けたのは今晩が始めてだ、では君に聞こう、僕が彼の百三十円のお金を自分で集めて帰ったなら、君には覚悟があるといったナ。その覚悟とは何だ。それを聞かしてくれ給え。僕の方にも相当の覚悟があるから。』

『覚悟か、僕の覚悟というのは、本山が其様に貧民の膏血を絞るような酷い事をするなら、彼の大きな欅の丸柱を引切って停車場で旅客の跨焙りにするまでやっつけるんだ。』

『何だって君は不敬至極な事をいう。いやしくも君は一ヶ寺の住職では無いか、それは君本気で言ったのか。いよいよ本気で言ったのか。』

 鷲尾は顔を真紅にして詰寄って来た。

『本気だ、本気だからそう言うのだ。僕は心から檀越が可愛ければこんな事を言うんだ。君、僕はもう檀中から一厘も貰わないで、按摩をしてでも自活しようと思うんだ。僕にはもう君達のような浮薄な説教は出来ない。君、こんな事で御本山の将来が如何なると思う。株を買占めたり大損をやったり、下らない事に手を出して……僕は本当に御本山の将来が案じられるからこう云うのだ。家内五六人が、一日にやっと四五十銭儲けて食うや食わずに働いている者から彼れだけの金を引奪るのは、あんまり酷い、あんまり苛い。』

 高尾はハラハラと涙を流しながら言った。後の襖がすうっと開いてお幸が入って来た。

『客僧さん、高尾はこういう短気者ですから、何卒お気に障えないでお出で下さいまし、まア私が万事お詫びを申しますから……』

 お幸は泣く泣く両手をついて詫びた。鷲尾はプルプルと身慄みぶるいしながら、

『僕は、僕はこれから出立します。』と云って、荷物を片付け初めた。お幸はすがり付くようにして、

『何卒そう仰しゃらずに、万事私に御任せ下さいまし、高尾も別に貴方に対して悪い気があって申したのではありませんから、ね、何卒そう仰しゃらずに……』と云ったので鷲尾もまた坐り直した。

『僕も少し言い過ぎた。』

 元来気の弱い高尾に直ぐこう折れて出たので、鷲尾も、

『僕も短気だから。』と云って三人は黙って俯向いていたが、暫くして高尾が南無阿弥陀仏々々々々々々と小さい声で言ったので、鷲尾もお幸もまた唱名した。お幸は庫裏へ走って行ってコップを二つとビールを二本を持って来て二人の間に置いた。


 鷲尾は翌日椿屋へ招かれて行ったまま五日間帰って来なかった。毎晩々々五六十人の信者を集めて説教したとは聞いたが、高尾には何の通知も無かった。六日目の朝椿屋から使が鷲尾の残して置いた荷物を取りに来た。使はもう直ぐ停車場へ行くのだと云うので、高尾は驚いて停車場へ行ってみると、椿屋の妻君が駅長に話したと見えて、貴賓室を開けて其所で鷲尾を接待していた。高尾が駈付けた時は、丁度鷲尾が駅長に頼まれた画帳へ『勤倹』の二字を書いている所であった、鷲尾は字が上手であって落款まで用意していた。

 鷲尾の帰ったあとで総代の小野を訪問してみると、鷲尾は高尾に知らすなと言ってちゃんと百三十七円の金を取立てて持って行った事が知れた。高尾は悲しいやら腹立たしいやら、地鞴踏んだがもう及ばなかった。

 高尾は何とも言えない気分で寺へ帰ったが、どう思っても鷲尾の処置が不服なので、直ぐ陳情書を書いて本山の宗務局へ送って置いた。それは百三十七円の寄附はしたが今後少くとも五ヶ年間はかかる布教師を派遣してくれるなという意味であった。


 高尾の檀中は段々と減って行った。今まで時々説教の時参詣して居た町内の信者は永昌寺という西派の小さい寺へ段々と転じて行った。高尾は各宗寺院からには除者にせられ、本山の使僧からには睨まれ、新聞には攻撃せられ、檀家には段々と他へ逃げて行かれ、毎日々々不快な思いを懐きながら、さりとて按摩にも得成らず、癩病薬を思い切って売出しも得ずに過していた。

 七月の初めであった、社会主義者の鳴野と医師の大星と二人が伴立って入って来た。鳴野は中央大学の学生だと云っていた。三人は一時間ばかり取止めも無い事を話していたが高尾も調子に乗ってこんな事を言った。

『昨日何所のものとも知れない四十恰好の男が来て、此家には夏蜜柑の木があるかと問うから、裏に二本植えてあると言ったのさ。するとその男は夏蜜柑の実には肺病の為に悪い黴菌が喰付いている、その黴菌が無くて大層味のよくなる秘伝を教えてやろうというので早速習おうとすると、まず五十銭くれねば教えないと云うのだろう。僕も五十銭だからと思って銀貨を一つ渡すと、その男はこう云うのです。(根元へ人糞肥料を施れ)たったそれ一語だけなんだ。(君もうそれだけか)と云って玄関の所を見るともうその男は何所かへ散ってしまって影も形も其所らあたりに見えないんだろう。妻は真赤になって怒る、僕も此奴には一本参ったよ。』

 高尾は頭を掻いた。大星は相好を崩して笑った。鳴野は頻りに『高尾君は単純だ!』と繰返し繰返し言っていた。

 思想研究会というのを高尾の所へ設けようと言い出したのはこの時であった。

『では君、こうしよう、とにかく此所を会場として貸してくれ給え、月に二回ずつ例会を開く事に決めて置いて、政治家でも宗教家でも実業家でも、少し有名な人が来たら直ぐ頼んでその人の専門の話を聞いたり質問したりする事にしよう。油代と茶代とは僕が引受ける事にするから。』

 大星がこう云ったので高尾は非常に喜んで早速その三日後の十五日の晩に第一回を開く事にしようと言い出した。新聞へ広告する事と五六の有志を誘い合す事を鳴野が引受ける事になった。

 高尾は提灯屋へ行って『思想研究会』という大字を書いた大きな高張を一つ注文した。そして十五日の晩は御堂へ座蒲団を二十程用意して待っていると青年や有志達が二十五六名集って来た。最初鳴野が現代の科学と日本の社会という題で四十分程話した。その次に大星が、恐慌に就いてという題で一時間ばかり話したが、話のあとで思い思いの質問や討論があった。

 二回三回とこの会はますます熾になって来た。一二ヶ月の後には今まで一度も来た事の無かった人達も時々高尾を訪問するようになった。しかもその人達は皆な物の解った知識階級の者で、高尾が僧侶達から苦しめられている事に就て深い同情を有って居る人達であった。

 思想研究会が段々盛になって来ると同時に高尾の名望も高まって来た。今まで国賊呼わりをしていた連中も、もう鳴を潜めてしまった。高尾は月に二回のこの会合を何よりの楽みにして待った。彼も仮名聖教中の法華問答の講釈をした。これは彼れがまだ二十台の若い頃、名古屋の清水某という長髪の法華経学者に就いて研究したもので、なかなか確乎しっかりした講義であった。彼の名声はますます高くなった。

 日露戦争が終った後で、各宗寺院はまた金二千円を募集して戦勝記念碑を建てようと言い出した。高尾は無論これに反対した。その理由は記念碑を建てるという事は宜いが、其様な事務は在郷軍人会に一任するが宜い。我々僧侶はまず戦死者や負傷者を慰問せねばならない。そして戦死者の墓でお経の一巻でも静かに読むべきだというのであった。

 高尾のこの議論には医師の大星も社会主義者の鳴野も賛成した。思想研究会へ来る常連も賛成した。だからこの時は新聞の攻撃も受けずに済んだのであった。

 しかし翌年の春、東京から来た中村という男が過激な議論をしたというので、時々刑事巡査が彼等の会合へ来たり、警部が出張したりするようになったので、大星の発議で一時この研究会は解散する事にした。


 研究会が解散になった後で、高尾は非常に淋しさを感じ初めた。彼れは過去の一年半を顧みて自分が余りに社会改良だとか経済問題だとかいう事に興味を持ち過ぎていたという事に気付いた。

 実際彼は仏説阿弥陀経を誦む時よりも平民新聞を読む時の方が真剣であった。西方十万億土の極楽の話をする時よりも、現在の不完全な社会組織を改善せねばならぬと説く時の方が数十倍の熱があった。だから、彼はほとんど一日に一回も心から唱名するという事が無くなっていた。

 彼は説いても説いても解らない無智な信徒に説教するよりも、理解の宜い、同気相求むる知識階級の人達と会談する事を幾十倍増って好んで居たのだという事に気付いた時、愕然とした。

 新しい文芸の話や、社会改良の話をする時賢げな顔をして集って来ていた連中も、二三回刑事巡査が来たり一二回警部が来て講話の中止を命じたなら、もうピタリと来なくなってしまったばかりか、途中で出会った時も外方を向くようになったのを見た時、今更のように人心の頼み難い事をつくづくと知った。

 彼は自分がもし按摩になって、笛を吹きながら町を歩いたなら『光明寺のお住持さまだ。肩はそう凝っていないが、まア呼んで上げた。』と言ってくれる連中が有って、自分の決心に同情してくれるだろうと云うような事を、心の奥底に思っていた事の全く迷信であった事をも悟った。

 瘠せても枯れても袈裟法衣を纏って、檀中のお布施で食っていればこそ、世間の人も可成りに自分を認めて居てくれるのだが、自分が按摩にでもなって笛を吹いて町を歩くとなったら『彼の乞食坊主が……』と世間から云われるばかりで無く、第一檀中が自分を軽蔑してすこしも信じなくなるだろうと思った時、彼は今まで嫌々貰って居たお布施を、幾十倍有難く思うようになった。

 それからと云うものは、檀家で十銭のお布施を貰っても、昔のように『こんな事はしないでも宜いじゃないか、まア収ってお置き。』と云って却って主人の機嫌を害うような事もしなくなった。彼はそのお布施を何遍も何遍も押戴いて『本当に有難い、これは彼等の生命の片割だ』と心の中で叫びながら専念に唱名するようになった。

 彼は自分の意志の遷り変って行く有様が、自分自身にアリアリと見えた。

『矢張り南無阿弥陀仏だ、南無阿弥陀仏だ。』と思いながら、

無智ノ者モ念仏ダニスレバ三心具足シテ往生スルナリ。唯詮ズル所吾身ハ固ヨリ煩悩具足ノ凡夫ナレバ……

という後世物語の一文を心に繰返して読んで見るのが常であった。

 彼は熱心に檀家を訪問し初めた。今まで反感を懐いていた椿屋へも出かけて行って、その妻君と快く話しもした。月の十五日は其所の息子の命日だと云うので必ず説教に行くようにもなった。しかし彼れは鳴野や大星とは相変らず仲よく交際っていた。鳴野が来る度に、

『やア、高尾仏、君の背中には御光がさしているぞ、御光が!』と素見《ひやか》すように言う言葉もただ嬉しい有難いものであった。

『いよいよ絶対無抵抗主義になったね』と大星は度々言った。それは彼が今までのような反抗的の気分が無くなったという事を柔かく揶揄するのであったが、高尾はそれを厭味だとも何とも思わなかった。高尾の性格をよく知っている鳴野や大星は、彼の態度が近頃急に変って来たのはあながち刑事や警察を恐れて俄かに彼等を裏切ったので無いという事もよく知っていた。

『思想の根柢が矢張り南無阿弥陀仏だから唯物主義の社会主義とはどうせ一致しないのさ。しかし君も一旦我党の洗礼を受けたのだから、これからは君一個の人生観が組立てられるだろう。』

 大星はこんな事を言った事もあった。高尾はその時もつくづく自分が今まで何の根柢も無くただ感情的に彼等と行動を一緒にしていたのだという事をも考えた。

 ある日の事であった。川向うの村へ鳴野と二人で散歩に出かけて、そしてその村の禅寺で夜の九時過まで話し込んだ。丁度その晩は真暗い闇夜であったので住持から提灯を借りて帰った。所がその提灯というのは五六年前に買ったらしい古い煤ぼけたもので、蝋燭は燃えていてもそれが僅かに提灯の存在を認めさせるだけでほとんど路を照らす役には立たなかった。

『さっぱり駄目だなアこの提灯は?』

 高尾は少しく提灯を差上げながら言った。

『本当にね、それは高尾君、君の標号だよははははは。』

 鳴野は大声に笑った。高尾は振返って、

『僕の標号だって、この提灯が?』

『そうさ、辛うじて君自身の存在を認められるだけだ。成程霊魂の火は中で燃えて居るのだろうが一向霊界の活動も出来ずに引込思案なのだ。と云って古ぼけた用をなさない外界の組織を焼払ってしまおうという勇気も無いんだ。無いよりはマシだが一向はきはきしない先覚者、僕はそれを煤びた古ぼけ提灯の先覚者だと云いたいね。』

 鳴野はまたははははと声高く笑った。しかし高尾は鳴野のその言葉を非常に面白い言葉だと思った。

『本当にそうだ。君はよく言った。』

 高尾はつくづく感心したらしく何度も何度も⦅本当にそうだ⦆を繰返していた。鳴野は調子に乗って、

『おい提灯君、その高尾を少し左の方へ高く差上げてくれないか。』などと言って高尾を笑わせた。

 翌朝高尾が眼を覚して頭を少しもたげて枕もとの障子を見上げた時、其所に煤ぼけた古い提灯がつるし柿のお化のように黒っぽくなってブラ下っているのを見た。

『ふふふ高尾が居るぞ。』彼は思わずこう云って独りで笑った。そしてまた眼を閉じながら足を縮めて蒲団の中へ藻ぐり込んだが、ふと冷いものが額の所に触ったので、眼を開けて見ると、パアルの香のする吉原枕が行儀よく顔の所に据っていた。台所の方ではコトとお幸が朝餉の支度をしていた。

『お幸にも随分心配をかけた。十ヶ寺の寺々からには除けものにされ、新聞ではたたかれ本山からには小言を言われ、おまけに刑事にまで訪問され、按摩になるの薬屋になるのって、随分泣かしたもんだ。しかしもう安心してくれ、これからはただ一心に如来様の御功徳を心ゆくばかり味って唱名念仏で一生を送ろう。』

 彼は心の中でこう言って、南無阿弥陀仏を三口四口唱えた時に、何とは無しにホロホロと涙が溢れて来た。彼は蒲団の中でお幸の枕を両の手に確と握ったまま暫く息を殺していた。


 翌年の三月であった。鳴野は紺の筒袖に江戸腹掛という服装で久し振に高尾を訪問した。

『やア、高尾君、僕も御覧の通り労働者になったよ。』

 鳴野は腹掛の丼へ手を入れながら言った。

『まア上り給え、今何所に居るの。』

『僕は舟乗りになった。川舟に乗ってるんだ。』

『ああそうか。それはいよいよ実行に入ったのだね。』

『うん、矢張り労働問題じゃア駄目だ、労働で無くっちゃア。』

『僕もそう思う、宗教研究でなくって、宗教でなけりゃ駄目だと思う。』

『しかし、高尾君じゃ不可いよ、古ぼけた高尾君では。』

 高尾は提灯の事を思い出して、はははははと笑いながら、『まア上り給えナ。』

『上るより何より、僕は暫く君の所へ下宿さして貰いたいんだ。彼の書院が空いているだろう。』

『下宿? それはお安い注文だ。何時でも来給え。』

『今晩から来るが、差支無いだろうか。』

『宜いとも何時からでも。』

『ではまた後程伺います。』

 鳴野は少しく周章あわてた調子で表の方へ出て行った。

 夕方の七時頃に鳴野は大川流二という若い新聞記者と一緒に入って来た。もう夕飯は外で食べて来たのだと言って書院で大川と何だか密々と話していた。十時頃に職工らしい男が二人訪ねて来た。

 五六日の間こうして二三の友達らしい者が出入していたが、時には夜遅く一時二時頃に帰って来る事もあった。

 月の下旬に高尾は六里ばかり離れた山の中へ石炭坑夫に説教してくれと頼まれて往復一週間の予定で出発した。

『鳴野さん留守中を宜しく頼みます、熊野地の小芳婆アさんが妻の伴に宿りに来てくれるようにしてありますから……』

『行って来給え、もう今日の君なら坑夫に説教しても大丈夫だろう。高尾君﹅﹅﹅だからナ』

『煤びた古提灯は何万出たって人を踏み潰す患もなければ、直接行動なんテ恐ろしい事も言わないからナ。』

『そうだ、僕なんかは炬火の方だから、ちっと危険だよ。』

『左様なら炬火君頼みますよ。』

『うん、提灯君行って来給え。』

 二人は笑いながら門の所で別れた。高尾は川舟に乗って炭山の事務所へ行った。そして非常な歓待を受けながら五晩説教を続けた。坑夫達も大変喜んで説教所へ出かけて来た。

 五晩の説教が済んだ時、事務長が高尾を湯の峰温泉へ案内しようと言ったので、一緒に出かけて行って、伊勢屋という宿へ落着いた。

 小栗判官照手の姫の伝説で名高い温泉に浸っていると、其所へ町の八百屋の主人で時々往来した古田という男が入って来た。

『やアお住寺さんじゃアありませんか。』

『おう、古田さん? 何時入らっしゃったのですか。』

『今日来ました。』と云いつつ古田は湯槽の中へ入って来て、『新宮はエライ騒ぎですぜ。』と言いながらブルブルと顔を洗った。

『えらい騒ぎ? どんな事?』

『製材会社がストライキですよ。』

『ストライキ? 何時から?』

『もう一週間も前からです。大騒ぎです、署長さんも郡長さんも郡会議長さんも出て仲裁しているが、なかなか一寸やソットで治りそうにありませんぜ。』

『私は二十日に町を立って来たんだが、ちっとも知らなかった。』

『二十日の朝、王子ヶ浜へ職工三百何十人が集ってやったのです。大星さんや、鳴野さんが演説会を開く、職工が町を練りあるく、デモント………何とかをやる、えらい騒ぎですぜ。町はこんなこんなです。』

 古田は手拭を両手で揉みながら言った。

『一週間山へ入って新聞を見ないもんだから、さっぱり時勢後れになって。』

『町の新聞には、ちっとも書きませんよ、熊野ガゼットだけが少し書くだけで、あとは皆な会社から買収されてしまったらしい。』

『そうか、それは面白い事が起ったね。』

 高尾の心には焼木杭の火が残っていて、それが風に煽られてパッと焔を揚げたように、ストライキとかデモンストレーションとかいう言葉がゆらゆらと彼の魂を動かした。

『困った事が起ったものですね。』

 事務長が顔をしかめながら言ったので、高尾はふと気付いて、

『しかし会社に何か落度があったのでしょうよ。』と云った。

『何にした所で、職工がストライキを起すなんて怪しからん話だ、熊野の資本家が製材会社を建てないで御覧、彼等は職業が無くて困る癖に。』

 事務長は憤慨したように言った。高尾はそれに対して何も言わずに口をつぐんでいた。しかし心の中では幾分か反抗心をもっていた。


 高尾は湯の峰で二日間遊んで町へ帰って見ると、鳴野はもう引払って本多という旅館へ移っていた。

『騒動はどうだい、鳴野君は来ないか。』

『まア、あなたは本当にようございましたよ。あなたが家に居たら、またいろんな引合に合される所でしたの。それはそれは大騒ぎなのです。鳴野さんなんかほとんど寝ないで奔走してらっしゃるようです。』

『警察の方は何とも言って来なかった?』

『ええ、何とも……』

『横田署長はあれで一寸解った所がある男だし、次席の前山警部もなかなか出来物だそうだから……』

 話しながらお幸と二人で差向いに夕飯を食べかけた所へ鳴野が入って来た。

『やア、帰ったか。君の留守中に大変な事が起ってね。』

『そうだってね、そして君は今如何しているんだい。参謀ですか……』

『まア参謀だか遊撃軍だか解らないね。』

 言っている所へ新聞記者の大川が駈け込んで来た。

『滅茶々々だ、今ね中学校の演武場へ行って来たが、まるで成って居ない。』

『中学校で何があったのです?』

 高尾は不思議そうに訊いた。

『株主や重役と職工側とが懇談会をするというので行って見ると社長が戊申詔書の講義をして職工を威圧しようとしたのさ。所がはやり立った職工達はワアーッと喊を作って繰出してしまってね。』

『そうか、それからどうした?』

 鳴野は眼を輝かしながら座様を直した。大川は懇談会の模様を詳しく話すのに凡そ一時間もかかった。高尾もお幸も御飯を食べないで熱心に聞いていた。

『やア、楽しい御飯時を台無しにしたね。これは済まなかった。では高尾君、鰻でも食って来ようじゃないか、僕が奢るから、奥さん、あなたも食べないで待ってらっしゃい。直ぐに持たせて上げるから。』

『じゃアそうしよう、ではお幸待っていたら如何じゃ。』

 高尾は起上った。三人は寺を出て横町の『ひさご』という飲食店へ入って一緒に鰻を食って、其所を出たのは八時頃であった。

『たった二本しかビールを飲まなかったのだが一寸酔ったね。』

 鳴野は濠端の所へ出た時そう言って空を見上げた。宵の口の星がキラキラと権現山の上で光っていた。

『僕は大変酔ったから帰ってやすみます。どうも御馳走になりました。』

 大川は丁寧に挨拶して濠端に添うてちょこちょこと走った。

『宜い気持だから権現の境内でも暫く歩いて来ようじゃ無いか。』

 鳴野は石橋の袂に立って黒い権現の杜を眺めながら言った。

『ねえ、其所いらを歩いて帰りましょう。』

 高尾と鳴野とは淋しい通りを撰って、ぶらぶらと権現の鳥居の所まで出て来た。二人は鳥居の台石に腰を掛けて一言二言話したと思うとヂャンヂャンヂャンと半鐘が鳴り出した。

『おや! 火事だ?』

 鳴野はまず起ち上った。次いでゴーンゴーンと大寺の鐘が鳴り出したので。高尾は石灯籠の土台石へ跳上って東の方を見た。

『火事だ! 馬町の方だ!』

『え? 馬町? それは大変だ!』

 二人はバタバタと本町の方へ駈け出した時右手の二階の屋根から若い男が、

『製材会社だ、製材会社が火事だ!』と一生懸命になって叫んで居た。

『え? 製材会社が火事だ!』鳴野は地から生え出たようにピタリと其所へ立竦んで居たが、

『おい、高尾君! 君は直ぐ家へ帰って寝んでくれ給え、僕も直ぐ宿へ行って寝るから、困った事になったなア。』と言いながら萎れ返った顔付で火の子の高く飛散る様を見ていた。

 高尾には直ぐ鳴野の心が了解出来たから、

『この際火事とは弱ったねえ。』と云って鳴野の方へ一歩二歩近寄った。

『本当に弱った。怪しからん事を仕出かしたもんだ。』

 鳴野はこう言いながら、物に襲われたように旅館の内庭へ駈け込んで行った。高尾も濠端伝いに急いで寺へ帰った。

 翌朝まだ七時頃に鳴野が入って来た。そして少し周章あわてた態度で、

『君、書院を今日一日貸してくれ給え、一寸相談しなけりゃならない事が起ったから。』と云った。

『さア使い給え、僕はこれから三輪崎の方へ一寸御法事に行って来るから。』と云って俄に声を潜めながら『どうだい、少し変だナ彼の火事は?』

『うん、どうも変だ、僕は念に念を押して乱暴な事をするなと職工達に言聞かしてあったのだが、あるいは…………』

 鳴野は腕組をして考え込んで居た。


 火事の原因に就ては種々の噂が立った。ストライキをした職工のある者が放火したのだろうと云う者もあり、重役側が事務室で秘密会議をした時の火鉢の火から発火したのだと云う者もあった。警察側では種々な方面から手を換え品を替えて厳重な調査に従事したらしかった。昨日は誰々が召喚されたとか今日は刑事が誰の所を訪問したとか、狭い町には噂が噂を産んで途方も無い事まで真しやかに言触すものさえあった。

 火事のあった五日目の朝、高尾は五里ばかり隔てた川向うの田舎へ行った。それは其所の一部落の富豪の老母が亡くなったのでその葬式に立会う為であった。多分明晩は帰られるだろうがあるいは明後日になるかも知れないから、いつもの通り熊野地の小芳婆アさんに頼んで宿りに来て貰えと言置いて行った。

 その翌日の事であった。お幸が椿屋へ一寸用事があって行った後へ、大川流二が裏門の所から入って来て、玄関の外から、

『和尚さんは居ますか?』と云った。

『お住持さんは昨日田舎の方へお葬式に行きましてナ。今晩はお帰りになるでしょうよ。』

 留守番をしていた小芳婆アさんは火鉢の側へ坐ったまま答えた。

『奥さんは? 何処かへ行った?』

『奥さんはお国へ帰りましたよ。』

 小芳は駄洒落の好きな女であったから、流二が『何時帰ったか』と訊いたなら『私という美人が入り込んだから、逃げて帰りましたよ。』と云って流二を笑わせようと思ったのであったが、流二がニッともせずに、何だか忙しそうな態度で余まり真顔にまっているので、到頭其様な洒落が言出せなかったのであった。

『お婆アさん、これをね、本堂の仏壇の下の彼の暗アい押入へ入れといて下さい。頼みますよ。お住寺が帰っても何とも言わないでも宜いんだから……』と言って鼠色の古い風呂敷包を畳の上へドサリと置いた。そして『奥様は国から何時帰るのかね』と問うた。小芳は流二が余り真面目な顔をしているので最前の言葉は嘘であったとも言いかねて、

『奥様は今晩のお船で帰ります。』と心にも無い間に合せの嘘を言った。

『そうか、頼むよ!』

 そう云ったまま流二は息せき表の方へ出て行った。

『どうしたんじゃろう? 大周章じゃなア。』

 小芳は呟きながら流二の後姿を眺めていたが流二の姿が見えなくなった時、その薄汚ない風呂敷包を片手で提げようとしたが、重くて容易に提げられなかった。

『書物らしい、とても重い!』

 小芳は両の手にウンと力を入れてその風呂敷包みを御堂の方へ提げて行って仏壇の下の暗い所にある小さい戸棚の戸を引開けて其所へそれを投げ込むようにして入れて置いた。

 小芳がその戸を閉めようとした時、戸棚の左手に薬研を一挺置いてあるのが眼についた。

『可笑しい、お住寺は薬研をこんな所へ隠して置いて如何する積りか知ら、まさか薬屋じゃあるまいし。』

 小芳は口の中でそう言いながら、庫裡の方へ戻って来た。丁度其所へ隣の指物屋の妻君が入って来て、

『いやだいやだ、もう今日は本当に嫌だ。』と言いながら投げられたように坐ったので、

『どうした事です、何が嫌です?』と云って段々話が弾んだ、指物屋の妻君というのは自分より十八も年の若い亭主を持っている風変りな女であった。やがてお幸も帰って来て遂には思弁も無い事を言ってキャッキャッ笑いながら一頻り話合った。小芳はとうとう翌る朝まで流二の来た事をも風呂敷包を預った事をもお幸に言わなかった。

 翌る朝、御飯を食べた後で小芳は一寸自分の家へ帰って来ると云って出て行った。お幸は御堂の表でセッセと姉さん被りに手拭を被って糊張りをしていた。

 どさどさと靴音がしたと思うと、表門と裏門と両方から巡査が二人ずつ入って来た。この表門と裏門とはよく勝手知った者の通り抜をする所だから、お幸は『通り抜の鉢合せ』だと思って気にも止めないでいたが、巡査の後に警部が一人と背広を着た平顔な男が一人といて入って来た。

 六人はぞろぞろと玄関の所へ行ったと思うと、『今日は!』と言いながら一番先に靴を脱いで玄関へずんずんと上って行ったのは警部であった。

 お幸は胸が潰れた。『何で御座います?』

と言って勝手口へ走って行った時はもう六人が皆な座敷へ上り込んで居た。

 警部は名刺を出してお幸に渡した。そして静かに家宅捜査をするからという事を簡単に陳べた。お幸はただガタガタと顫えながら火鉢の前に坐っていた。

 六人は押入から戸棚から悉皆調べた。手紙類は皆な一纏めにして束ねた。庫裡の方を一通り調べて御堂の方へ行った。お幸も恐る恐る御堂の縁側の所へ行って柱にもたれてみていると、書院へ入って行った背広服の男が、

『鳴野の居たのはこの室だろう?』と言って警部を顧みた。

『そうです、其所です。』

 警部は答えながら仏壇の方へ歩いて行ってその下の小さい戸棚を引明けた。警部は中から薬研を引出して畳の上へ置いた。次に鼠色の古ぼけた風呂敷包を引ずり出して、その堅く結んだ結び目を必死になって顔を蹙めながら解いて居たが、非常に驚いたような声で、

『わァッ! これは?』と圧え付けるように言って気相変えながら書院の方へその風呂敷包を抱えて行った。五六分経って書院から背広服の男も出て来た。そして六人は薬研と風呂敷包みと手紙類を暫く預るからと言残して帰って行った。

 六人と引違えに梨本という刑事が入って来て、お幸に一寸警察まで来てくれと優しく言った。お幸ももうその時は大分度胸が坐っていたから、羽織だけ着換えて梨本に跟いて出て行った。警察と光明寺とは僅かに一町ばかりの距離であった。

 お幸は警察へ行って彼此一時間も待たされたが、十二時前に梨本刑事に案内されて二階へ登って行った。其所には最前の背広服の男と警部と巡査とが居た。

 警部はお幸の住所姓名年齢を訊いた上、

『二十四日の晩に高尾君は宅に居ましたろうね。』と優しく尋ね出した。

『ええ確かに居ました。』

『その日は何所かへ出て行ったかね。』

『彼の日は湯の峯から帰りましたのです。』

『何時頃に家へ帰ったですか。』

『四時過でしたと思います。』

『それから何所かへ行ッたろう。』

『ええ、お夕飯を食べかけた所へ鳴野さんと大川さんとが入らっしゃいました。そこからヒサゴへ鰻を食べに参りました。』

『何時頃に家を出て何時頃に帰ったですか。』

『六時過に出まして……そうです、火事が御座いましたね、彼の晩は、彼の半鐘が鳴り出して二十分も経たない頃に戻って参りました。』

『それから火事場へは行かなかったか。』

『ええ参りませんでした。』

『皆なが火事を見に行くのに、高尾君だけ何故出て行かなかったのでしょうか。』

『疲れていたからで御座いましょう。』

『今日は何所へ行きましたか。』

『昨日から川向うの方のお葬式へ参りましたのです。』

『この風呂敷包みを見た事があろう?』

『ありませんです。』

『中にあるものを知りませんか。』

『知りません。』

『貴女はダイナマイトと云うものを見た事がありますか。』

『一向に存じません。』

『高尾君は何故ストライキの起った朝川奥へ出立したのですか。』

『あの日御説教する約束が御座いましたからで御座いましょう。』

『有難う、解りました、二十四日には高尾君は六、七、八、九時と四時間外出していたのですナ。』

『はイ、まアそうでございます。』

『この薬研は何所から買って来たのですか知りませんか。』

 お幸はその薬研の出所も使い途もよく知っていた。しかしもしもそれで売薬を製造したのだと言ったなら、免許無しに、どうして薬を造ったのかと言って罰金を科せられるかも知れないと思ったから、態《わざ》と何にも知らないと言ったのであった。

 調べはそれだけで、お幸は家へ帰る事を許された。留守番無しに開っ放しにして置いたのであるから急いで帰ってみると、丁度高尾が帰って来て、玄関の小縁に腰を卸した所であった。

『おい、婆アさんも居ず、留守にして置いてはいかないじゃ無いか。』

 高尾は草鞋の紐も解かずに眉根に皺を寄せながら言った。お幸は高尾の側へ駈寄って、

『大変なんですよ、大変なんですよ。今日ね、警部さんや巡査さんが六人も来て家探をなすったのよ。』

『え? 家探し?』

『ええ、そして私も警察へ伴れて行かれたのよ、十時過から今まで……』

 お幸は袖に顔を埋めて泣いた。

『何を調べられたんだ、お前は?』

『二十四日の火事の晩に何時から何時まで貴方が外へ出て居たかって云うような事を。』

『火事の晩に? 彼の晩に俺は何時から何時まで外に居たとお前は答えたか。』

『六時から九時まで………』

『何だって、六時から九時まで、そんな馬鹿な返事をするという事があるものか、火事の起った時俺は権現の鳥居の所に居たんだよ。俺は一度警察へ行って、時間を明瞭はっきり言って来る!』

『あなた! 用事があれば呼びに来るじゃありませんか、何も自分から名乗って行かなくっても……』

 お幸が停めようと思った時、高尾はもう表門の方へ五六間歩いていた。

『お止しなさいってば、ね、あなた!』

 お幸は後を追かけた。しかし高尾はサッサと行ってしまって、お幸が表門の所へ出て行った時は、丁度高尾が、警察の紅い街灯の下を潜って門の中へ入る所であった。

『まア性急な人ッ。』お幸は舌打するように言って引返した。

 お幸は呆然して開け放された押入の中を見ながら坐っていたが、高尾の事が気に懸ってならないから何度も何度も門の方へ出て行って警察の方を眺めた。

 六時の時計が鳴って、鮒田富士の頂が微かに白く薄闇の中に光って居る頃になっても高尾は帰って来なかった。もう堪らないから警察へ尋ねに行ってみると、若い色の白い巡査が出て来て、

『一寸込入った用事があるので、高尾君は二三日帰らない。しかし心配しないで待っているようにと署長さんが申されました。』と言って引込んでしまった。

 お幸は踉蹌よろけながら寺へ帰ってランプに火を灯そうとしている所へ、

『御免下さい!』と言って入って来たのは大川流二であった。

『高、高尾君は?』

 流二は余程狼狽していた。

『高尾は一時頃に警察へ行って、まだ帰りません。』

『えッ? 警察へ? 何の為です?』

『何の為だか知りません。今朝巡査さんが六人も入らしてこの家を隅から隅まで調べました。』

『え? 家宅捜査をやられた? 何か持って行かれはしなかったかね。』

 流二の声は顫えていた。

『多分鳴野さんのだろうと思いますが、御堂の押入から小さい風呂敷包を引出して家の薬研と一緒に持って行きました。』

『風呂敷包を?』

 流二はよろよろと転げかけた、危く障子の縁に掴まって足を踏しめた。

『あの風呂敷包は何でございますか、あなたはそれを御承知で……』

 流二はワクワクと顫えながら立竦んでいたが、

『僕は、僕は知りません、左様なら、明日また伺います。』と云って、すたすたと裏門の方へ駈けて行った。

 小さい町の事だから、光明寺の住持が縛られたという噂は一夜の中に広まったと見え、十時頃に檀中総代の小野始め五六人の信者が見舞に来てくれた。誰も彼も言合わしたように『お住持も些と社会主義の方へ力瘤を入れ過ぎた』というような事を言った。

 お幸はまんじりと寝ないで一夜を泣明した。そして翌朝七時頃に警察へ行ってみると、昨夜の若い巡査が出て来て、

『高尾はもう此所には居ない。』とだけ言って、何所へ護送したという事は言ってくれなかった。

 予審が終結して高尾と鳴野が重罪公判に付せられるという事を町の新聞が初号活字で報道したのは、それから三十日程後の事であった。

――一九一九年、三月二十日夜――





底本:「失はれし眞珠」和田弘榮堂、警醒社書店
   1921(大正10)年1月23日発行
※旧字体は新字体に、旧仮名遣いは新仮名遣いにあらためました。
※「夫れ」は「それ」に、「其の」は「その」に、「兎も角」は「ともかく」に、「斯んな」は「こんな」に、「屹度」は「きっと」に、「其様な」は「そんな」に、「斯う」は「こう」に、「先ア」は「まア」に、「此間」は「この間」に、「然う」は「そう」に、「今迄」は「今まで」に、「呉れ」は「くれ」に、「若し」は「もし」に、「遂う」は「とうとう」に、「乍ら」は「ながら」に、「了った」は「しまった」に、「偖」は「さて」に、「彼んな」は「あんな」に、「兎に角」は「とにかく」に、「能く」は「よく」に、「唯った」は「たった」に、「漸と」は「やっと」に、「何うして」は「どうして」に、「宛」は「ずつ」に、「眤と」は「じっと」に、「軈て」は「やがて」に、「最う」は「もう」に、「既う」は「もう」に、「此儘」は「このまま」に、「其れ」は「それ」に、「廿」は「二十」に、「又た」は「また」に、「窃と」は「そっと」に、「斯る」は「かかる」に、「益々」は「ますます」に、「殆んど」は「ほとんど」に、「唯」は「ただ」に、「薩張り」は「さっぱり」に、「不図」は「ふと」に、「愈々」は「いよいよ」に、「種んな」は「いろんな」に、「全で」は「まるで」に置き換えました。
※「神妙に南阿弥陀仏を」は「神妙に南無阿弥陀仏を」に、「二段半に互る」は「二段半に亙る」に、「飛沫がかかたのを」は「飛沫がかかったのを」に、「昂奮は旨う頂点に」は、「昂奮はもう頂点に」に、「高尾に渡した小野は」は「高尾に渡した。小野は」に、「慈非忍辱を説く」は「慈悲忍辱を説く」に、「本気だ、本気だかとそう言うのだ。」は「本気だ、本気だからそう言うのだ。」に、「高尾が南無阿弥陀仏々々々々々と」は「高尾が南無阿弥陀仏々々々々々々と」に、「百三十円七円の金を」は「百三十七円の金を」に、「名宗寺院からには除者にせられ」は「各宗寺院からには除者にせられ」に、「同気相永むる知識階級の」は「同気相求むる知識階級の」に、「気付いた、時愕然とした。」は「気付いた時、愕然とした。」に、「噤んでいたしかし」は「噤んでいた。しかし」に、「入って来たそして」は「入って来た。そして」に、「そそからヒサゴへ」は「そこからヒサゴへ」に、「権現権の鳥居の」は「権現の鳥居の」に、「新聞か初号活字で」は「新聞が初号活字で」にあらためました。
※底本でばらばらに用いられている「ブール」と「ビール」は「小さい」、「ビール」に統一しました。
※国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
入力:它足
2024年4月29日作成


沖野岩三郎 著『失はれし真珠』,和田弘栄堂[ほか],大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/906998 (参照 2024-04-29)

新聞集成明治編年史編纂会 編『新聞集成明治編年史』第十四卷,林泉社,昭和15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445 (参照 2024-04-30)


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