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ハナムケのハナタバの話をしよう。

 はじめまして、くーこっちと申します。
 シャニマスやってます。鈴木羽那担当で、ハナムケのハナタバがすきです。あと自己紹介が下手です。
 徒然なるままに自分語りをしても仕方ないので、早速本題へ。 

 みなさん、ハナムケのハナタバすきですか。

 私は大好きです。シャニソン実装からの約8ヶ月間、私はこの曲を聴き続け、この曲に心の根っこのほうをだいぶ染め上げられています。
 今回の記事は私がこの曲に出会い、コメティックのコミュと向き合いながら感じたことを僭越ながら歌詞の私的な解釈を交えてゆるりと語っていこうと思います。
 注意事項として、コメティック・ルカ・羽那・はるきのコミュ、ジムシャニなどこの曲とコメティックにまつわるかなり多くのもののネタバレを大量に含んでいます。ご了承ください。


ハナムケのハナタバとはなにか。

 早速何やら重たいことを言い出したような小見出しですが、とりもなおさずハナムケのハナタバというものがどんな曲なのかを端的に掴んでみようという試みです。
 ここからはみなさんもイヤホンと歌詞カードを片手に、実際に楽曲を聴きながら記事を読んでいただけると嬉しいです。(この文章の副次的な目的はこの世界にハナムケのハナタバァーを1人でも多く生み出すことにあるので)

 ハナムケのハナタバを解釈する上で最も重要となるコミュはもちろん、イベントコミュ『GOOD BYE FLOWER』でしょう。

アイドルマスターシャイニーカラーズSong for Prismより イベントコミュ『GOOD BYE FLOWER』

 このコミュの内容こそ、ハナムケのハナタバ解釈におけるいわば基盤であり、古典物理学における運動方程式のように最も尊重されるべきものです。

 このコミュでは郁田はるきちゃんからハナムケのハナタバの解釈が語られます。以下にその該当箇所を引用しましょう。

『ハナムケのハナタバ』は
お別れについて歌った曲だと思ったから……
(中略)
いろんなことが、変わっていくから……
その度に、わたしたちはお別れを経験してるって思うんだ
環境や人とのつながりだけじゃなくて
変わる前の自分とか、すべてに対するお別れ……
でもね、それは寂しいことだけじゃなくて
いいことでもあるってわたしは思うんだ

『GOOD BYE FLOWER』第3話「SONG」

 ほんとうにはるきちゃんは思慮深く、真剣に物事に向き合える子なんだと思います。ハナムケのハナタバをはるきちゃんが歌ってくれてほんとうによかった。私ははるきちゃんが大好きです。

 ハナムケのハナタバはやはり別れの歌です。この軸はブレないでしょう。タイトルの時点でハナムケってがっつり言ってるし、何を今さらという感じではありますが、こういう確認は大切です。
 なぜ大切かというと、私はこの一連のセリフが最も抽象度の高い言葉で、しかし寸分の漏れもなくハナムケのハナタバという楽曲を言い表し得たセリフであると捉えているからです。
 前述の運動方程式の例えがわかりやすいですね。
 つまりF=ma の最も基本の方程式から微積やらなんやらを用いて仕事や力積を生み出すように、はるきちゃんのこのセリフに語られるようなハナムケのハナタバ像から各々のケースにおけるハナムケのハナタバ解釈が生じていくようなイメージです。

 やや衒学的な言い回しでアレですが、まあつまるところ、この章の小見出し「ハナムケのハナタバとはなにか。」の問いへの回答はこのはるきちゃんのセリフで過不足なく満たされると私は思うのです。

 しかしながら私たちの関心の対象は(少なくとも私の関心の対象は)ハナムケのハナタバの辞書的な意味ではなく、コメティックという存在とこの楽曲の関わり合いにこそあります。
 
 前置き的な語りはほどほどに次章からはハナムケのハナタバの“真髄”に迫っていきましょう(適当)。

ハナムケのハナタバとコメティック -序-

 ハナムケのハナタバはシャニソンにて追加されたCANVAS以来のコメティック最新曲です(2024.8.16.現在)。だぶるはWING実装後としても初の新曲であり、公式としても気合を入れた楽曲だったのではないかと思います。なんか新宿でMV上映してたし。
 MVのセンターは羽那。先行配信のジャケットも羽那。
 『GOOD BYE FLOWER』も開始から羽那が登場しているし、羽那メインのコミュと捉えて相違ないでしょう。「ハナ」ムケの「ハナ」タバだし、もうこれは羽那を主軸とした楽曲でしょ、とフル音源配信前の私は思ったものです。
 しかし今にして思えば、ハナムケのハナタバが羽那1人にとくべつフォーカスして描かれた楽曲ではないことはもはや自明です。MVの可変フォーメーション、楽曲2番のそれぞれのソロパートなど、あらゆる演出から「ハナムケのハナタバは3人全員を描いた楽曲であること」を強調しています。 
 3人それぞれの人生に3人それぞれの「お別れ」があって、それを歌ったのがハナムケのハナタバであると私は思います。
 
 だぶるはにとってこの「変化に伴うお別れ」がどのようなものであったのかは『GOOD BYE FLOWER』にて断片的に描かれます。
 それは、

アイドルになっていくこと、大人になっていくことです。

 『GOOD BYE FLOWER』では羽那の同窓会の模様が描かれます。この描写がまた行間をうまく利用した素晴らしいものです。WINGで描かれたように、羽那はシャニPにスカウトされるままアイドルになりました。はるきちゃんも出会い方は羽那と対照的といえど、同様にシャニPと出会うことでアイドルの道を突き進むことになりました。
 地元を離れ、住む街も言葉を交わす相手も変わっていく。その中で「お別れ」をしていくものたち。寂しいだけじゃなくて、いいこともあるとはるきちゃんは語ります。そういう経験を歌ったのがハナムケのハナタバである……

 わけですが、これだけでは実装当時でも語り得ることしか述べていません。私が何を今さらこんな文章を書き始めたのか。私がハナムケのハナタバを聞く上でずっと胸に焼きついて離れなかったこと。
 
 それが斑鳩ルカの存在です。

 斑鳩ルカの「お別れ」なんてジエピ、八雲なみのあれこれをを追っていれば自明でしょというのはもちろんわかります。
 しかしそれでも私がこの曲とルカの間にある種の蟠りを感じ続けたのは、ハナムケのハナタバが「お別れの肯定」の曲だからです。

サヨナラ ワタシたちが笑ってた世界
だけどきっと心に焼きついて離れない残像
ワタシたちの笑顔を
ずっと忘れたりなんかはしないから
そっと、ハナムケのハナタバを贈るよ

ハナムケのハナタバ 作詞・作曲・編曲:園田健太郎

 曲最後、美しい歌声でこの曲は過去とそしてこれまでのさまざまな「お別れ」に対して、花束を贈ります。すべてを理解して納得できたわけではないかもしれないけど、「忘れたりなんかはしない」ことで力強く肯定していくことを誓う。それがハナムケのハナタバという楽曲の真髄であると私は考えています。

 特に引用した上記箇所をよく読んでみてください。
 この部分の以前以後で一人称が「ワタシ」から「ワタシたち」に変わっていることに気がつくかと思います。
 これはすなわち、コメティックの3人それぞれが経験した「お別れ」をそれぞれが「コメティックとなった」ことで肯定することができたということを表現しているのではないかと私は思います。(「ワタシたち」=コメティックとする現在視点、「ワタシたち」=美琴とルカとする過去視点などなどたくさんの見方があると思いますが、ここはそれぞれの解釈が重なり合っているとゆるい括りで捉えてください)

 ちなみにテーマが「お別れの肯定」であることこそ私がこの曲に熱中している最大の理由です。私は「避け難いお別れのような困難に人々はどのように向き合っていくのか」という命題が大好物です。


 しかし『GOOD BYE FLOWER』でのルカはコメティックとなったことで、過去やこれまでの「お別れ」を肯定できているわけではありません。
 これが私がずっとこの楽曲に抱き続けていた蟠りです。

 そんなことを思い続けていた五月下旬。
 ついにあのコミュが実装されます。


THE (CoMETIK) EPISODE

 最高のコミュです。
 このコミュはコメティックというユニットが始まっていくその一歩目のコミュであり、同時にソロアイドル斑鳩ルカとのお別れのコミュであると私は捉えています。
(『no/ode』、ファン感はそれぞれ0歩目、0.5歩目というイメージでもあります) 
 私はこの『THE (CoMETIK) EPISODE』までのコメティックのコミュをコメティックにおける序章的コミュであると思っています。そしてこのハナムケのハナタバはこれら序章的コミュを象徴する楽曲です。
 コメティックというユニットが「お別れ」を発端として始動したユニットであることは、説明の必要がないでしょう。ルカにとっての美琴・マネージャー、だぶるはにとっての上京・成長。さまざまな種類の「お別れ」を纏ってコメティックは歩み始めました。
 ユニット4曲目、シャニソンコメティック初の追加曲として虚空を切り裂く彗星のように襲来した「ハナムケのハナタバ」はコメティックのオープニングテーマと呼ぶべき重要度の高い楽曲であると私はこの『コメエピ』を読んで確信しました。
 
 ここからは『コメエピ』の内容を踏まえ、ハナムケのハナタバと斑鳩ルカについて考えていきます。

ハナムケのハナタバと斑鳩ルカ

 『コメエピ』がルカが美琴との関係に一応の決別を選択することができた物語であることは大体コミュを読めばわかるかと思います。
 ここからはハナムケのハナタバに描かれる状況を、ルカのコミュの内容と具体的に照らし合わせながら見ていきましょう。 
 
 留意して欲しいのがまずハナムケのハナタバの「ワタシ」と「アナタ」などは当然のように特定の人物を指しているわけではないと思われます。それぞれの場面で当てはあまりそうな解釈があればそれを当てはめて文意を読み取ろうというのが本記事の趣旨です。
 
 論に戻りましょう。
 前述のはるきちゃんのセリフによるとハナムケのハナタバは「変化に伴うお別れ」の曲であることがわかります。また先ほどの私の解釈では、それにさらに付随して「コメティックとなることでのお別れの肯定」という観念も重要だと言えそうです。

 斑鳩ルカにとっての変化とは、「美琴とのユニット解消」「283プロ移籍」であることは間違いありません。『no/ode』『ファン感』『コメエピ』はこのルカの喪失を如何にして消化していくかが物語の主軸です。

期待だけで過ぎる時間それはとても幸せ
怖くない 脆くない 言い聞かせてたい
「まだ嫌だ」なんて
子供じみた願いは仇になる
チクチクタクタクと再び時はまた刻みだす

ハナムケのハナタバ 作詞・作曲・編曲園田健太郎

 これはハナムケのハナタバのルカのソロパートです。
 「期待だけで過ぎる時間」は美琴とのユニット時代のことでしょうか。では「「まだ嫌だ」なんて子供じみた願い」とは、新しいユニットを組んでいくことへの拒絶でしょう。『コメエピ』や『夜になって』のコミュでは「再び時はまた刻みだす」ことが描かれました。
 『コメエピ』には幾つも印象的なセリフが登場しますが、美琴とルカの関係においては以下のセリフが特にターニングポイントでしょう。

……よかった
ルカとまた、同じステージに立てて

『THE (CoMETIK) EPISODE』 第3話 「たがい」

 このセリフはルカにとって美琴との現状に対する認識の違いを突きつけるものとなりました。それだけでなく、ルカにとって美琴は「変わっていくもの」の象徴としても描かれます。「シーズ」「283プロ」「レモンティー」。何もかもが自分の「知らない」存在になっていた元相方。

全然変わらないね 偶然にまた出会って
いつも通りに笑えたらいいな
そんな空想 そっと 空に放り投げた

ハナムケのハナタバ 作詞・作曲・編曲 園田健太郎

 切ねぇ……。くるしいよ、俺……。
 過去に囚われ、奪われたと思い続けていた自分(=ルカ)に対して、過去に対して一寸の蟠りも持っていないように見える美琴。ルカは改めて痛烈に独りであることを突きつけられてしまうわけです。
 しかしながらこの美琴とルカの対比はルカ本人が

違う、わかってた
あの時から

『THE (CoMETIK) EPISODE』 第3話 「たがい」

と語るように、あの時(トリビュートギグ)から繰り返し描かれたテーマでもありました。
 ルカの文脈においてハナムケのハナタバの新規性はやはりコメティックとしての「お別れの肯定」です。
 『コメエピ』はコメティック、ひいてはルカが新しい一歩を踏み出す記念碑的コミュです。『コメエピ』での「お別れの肯定」は主に二つのフェーズに分かれていると考えています。
 一つ目はシャニPによる踏み込み。
 二つ目はだぶるはによる「居場所の形成」です。


『THE (CoMETIK) EPISODE』 第6話 「If you don’t know」

 
 『ジエピ』を中心にルカ関係のシャニPは空回りと捉えられるような言動も多く、どうにも行動の目的や心意が図りかねる場面が多々ありました。読者視点では、ルカの最大の絶望はマネージャーに対する自身の言動でルカ自身がマネージャーの未来を奪いかねない存在であったことにあります(『ジエピ』)。奪われるだけでなく、奪う立場でもあったことが受け入れられない現実であったのです。もちろんシャニPとマネージャーはそのことを知る由もありません。そこが最大の食い違いとなって、ここでも認識の違いが相当大きな隔たりとなってルカを孤独に追い込んでいたわけです。
 (この部分に関して、私自身の見識としてはシャニPは先に美琴と出会っていて、その美琴がルカに対して特別強い感情を持っていなかったため仕方がないのではと思ったりもします。あまり美琴さんに詳しくないので、これ以上の言及は避けます)

 しかし今回の『コメエピ』では、経路こそ遠回りしましたがシャニPはルカの本質に最も近づいたセリフである

好きになったものが、いつか消えてしまうのが
怖いからなんじゃないかって……

『THE (CoMETIK) EPISODE』 第6話 「If you don’t know」

まで到達します。
 このセリフはプロデューサーという立場からしか投げかけることができないセリフであると思います。『コメエピ』時点において、ルカにとってだぶるはは「好きになれそうなもの」であり、「いつか消えてしまうかもしれないもの」であると考えられます。もちろん“無自覚”ではあると思いますが、アポステリオリに。
 対してシャニPの立場はわずかに異なるように感じられます。後述しますが、だぶるははルカにとってルカの過去に干渉する存在ではないからです。シャニPはルカの過去に、美琴やマネージャーを介して非間接的に接続しています。ルカの過去にシャニPはわずかに包括された関係にあります。したがってシャニPはルカに救済(新しい居場所)を作り出す存在にはなりえず、あくまでその「ドアを開ける」役割のみを担っているわけです。
 この描写を予見させる歌詞がハナムケのハナタバにも登場します。

あぁ また 無駄に我慢しちゃってるって
見透かすんだ 絶対 嘘は下手だったね

ハナムケのハナタバ 作詞・作曲・編曲 園田健太郎

 まあこの歌詞に関しては、わずかにひっかかっていることがあるので詳しくは後述します。

 次にルカの「お別れの肯定」に関わってくるのがもちろん「だぶるは」です。
 先ほど述べた通り、だぶるはの2人はルカの過去から完全に独立して存在しています。ここは予想なんですがおそらく2人が283プロに所属したのはルカが移籍してきた後なのではないでしょうか。つまりだぶるはにとって、ルカに込み入った事情があることこそある程度察してはいても、ただただシンプルに事務所の先輩のひとりに過ぎないわけです。少なくとも羽那はそういうふうにルカに接してる節があります。

 まただぶるはがルカにとって新しい居場所となりうる理由はもうひとつあります。それがだぶるはのルカに対する「無条件の信頼」です。だぶるははルカを引っ張っていくわけでも突き放すわけでもなく、ただ適切な距離感で待ち続けることを選択できるのです。このだぶるはの姿勢を受けて、ついにルカはコメティックという居場所と共に過去を受容していくことになりました。

『THE (CoMETIK) EPISODE』 エンディング 「I don’t know that」

 『コメエピ』の報酬サポートアイドル『【夜になって】斑鳩ルカ』にてこの「お別れ」を強烈に描く描写が登場します。


『【夜になって】斑鳩ルカ』 「ずっと大切に」

 これえぐい。
 不謹慎ですが、自分にはこの描写が離婚届にサインするような、ひとつの契約の終わりに署名をするような儀式めいた印象を受けました。なんとも寓話的な演出。おそらくこれが、斑鳩ルカと緋田美琴が隣り合う最後の機会なのだと思います。

サヨナラ ワタシとアナタの世界は
もう交わらないけど そっと
ハナムケのハナタバを贈るよ

ハナムケのハナタバ 作詞・作曲・編曲 園田健太郎

 あああああ!!!ハナムケのハナタバの文脈!!
 この曲が『コメエピ』の5ヶ月前に実装されていたという恐ろしさ。私は『コメエピ』を読んでさらに一層この曲に引き込まれることとなりました。
 もう多くの言葉は不要です。ハナムケのハナタバはルカが過去から現在、未来へと動き出すことを歌った曲でもあるのです。
 

ハナムケのハナタバとだぶるは

 ハナムケのハナタバは3人それぞれの「お別れ」とその肯定を描いた楽曲であると常々述べてきました。
 先ほどから述べた通り、『コメエピ』までのコメティックは序章にあたり、物語の中心はルカにありました。
 その点も加味して現時点では、だぶるはの「お別れ」は基本的に「アイドルになったことでの変化とそれに伴うお別れ」がメインであるのでしょう。
 しかしながら羽那はるき視点から見たハナムケのハナタバはまだ情報不足感が否めないため、あまり多くは語れません。
 
 これとか

【連綿と、桜】郁田はるき


 これとか

【桜花拾】郁田はるき

これとか

【遠き明滅】郁田はるき

これとか

鈴木羽那 W.I.N.G.編 「美しいままで」 

 なんだか文脈になり得そうな描写はたくさんあるんですが……。
 ハナムケの話からは少し遠ざかり過ぎてしまう気もするのでここでは割愛します。
 はるきちゃんと羽那に関しては語りたいことがまだたくさんあるので後日別記事を認めるかもしれません。やる気があったら、書きます。

ハナムケのハナタバの歌詞と向き合おう

 ここまではコミュをベースにハナムケのハナタバが†共鳴†しそうな部分を抜き出す形で文脈を追ってきました。
 ここからは一旦フラットに歌詞を読んで気になった部分を挙げてみます。
 ハナムケのハナタバ、全体を通すと美琴とルカのことを描いているとするとすんなり理解できる表現が多いんですが、とある部分だけが少し引っかかっていました。
 それが前述の

隠し事はなしだよ なんでも話してよね
優しさ それは時にチクりと痛む
あぁ また 無駄に我慢しちゃってるって
見透かすんだ 絶対 嘘は下手だったね

ハナムケのハナタバ 作詞・作曲・編曲 園田健太郎

 さきほどはこの部分、シャニPとルカみたいに濁して言及しました。でもなんだか違和感があります。丁寧に追ってみましょう。
 ハナムケのハナタバ、登場人物は「ワタシ」と「アナタ」です。「ワタシたち」は今回考えません。まだ1番の部分なので。
 視点は一貫して「ワタシ」の一人称なので、「なんでも話してよね」は「ワタシ」のセリフでしょう。同様に「優しさ」は「アナタ」のものです。
 ここからはルカパートです。「無駄に我慢しちゃってる」のは「ワタシ」で、それを「見透かす」のは「アナタ」なわけです。
 では「嘘は下手」なのは誰なんでしょうか?
 見透かされているのだから、嘘をついているのは「ワタシ」のようにも見えるし、「隠し事」をしている「アナタ」のことを指しているようにも見えます。
 私はこの部分の解釈を進めることでハナムケのハナタバが重厚な多義性を歌詞世界に秘めていることに気がつきました。
 
 まず解釈その一
 『ワタシ』=斑鳩ルカ
 『アナタ』=マネージャー

 スタンダードな解釈です。ルカとシャニPの間に隠し事はあれど、嘘や見透かすといったことはあまり絡んでこないような雰囲気があります。もちろん美琴もルカに嘘をついていたわけではないので除外。するとおのずと結婚や海外渡航をただただ「優しさ」からルカに「隠していた」マネージャーの存在が浮かび上がってくるわけです。「隠し事」ではあれど「嘘」と言われると少し違う気もしますが。

 この解釈、割と気に入っていて、私は最近まで、もうこれ以上この解釈を掘り下げる必要はないかなと思っていました。「嘘」という強い言葉も詩作の都合上用いられただけであって、そこまで目くじら立てるものじゃないだろうと。
 そう、最近までは。

『シャイニーの日 2022 特別コミュ』

 

ハナムケのハナタバと八雲なみ

 ジムシャニ、読んでください。とくに8th page 。
 ハナムケのハナタバの歌詞がぜんぶ八雲なみと社長のこと言ってんじゃねぇかってくらい刺さりまくりました。もう恐ろしいくらい。
 今回この話がしたくて、このnoteを書き始めました。園田さんが意図しているかはわからないですが、少なくとも私はハナムケのハナタバの中に八雲なみを見出してなりません。ルカの中になみちゃんを見出している可能性もありますが。

 特にやばい箇所を何個かあげましょう。

どうしてすれ違っちゃうんだろう
どうして困らせちゃうんだろう
繰り返す自問自答 答えがない

ハナムケのハナタバ 作詞・作曲・編曲 園田健太郎

 もはや直球ですね。
 

隠し事はなしだよ なんでも話してよね優しさ 
それは時にチクりと痛む
あぁ また 無駄に我慢しちゃってるって
見透かすんだ 絶対 嘘は下手だったね

ハナムケのハナタバ 作詞・作曲・編曲 園田健太郎

 前述の部分ですね。
 ジムシャニににて、「そうなの?」という題名の謎が明かされました。社長の願い、そして優しい嘘が招いた「お別れ」
 ここの歌詞、ドンピシャすぎませんか。なんなんだ、この曲……。

ワタシに見えない世界
アナタだけに見えてた世界
教えてくれなかったよね
ちょっとだけ寂しかった

ハナムケのハナタバ 作詞・作曲・編曲 園田健太郎

 極めつけすぎる。
 ここの部分、羽那→シャニPに通ずる部分もある気がして、非常に不穏なんですよね……。
 
 

ハナムケのハナタバを贈るよ

 コメティックというユニットはさまざまな「お別れ」を纏って走り始めたユニットです。
 未来がどのような形で描かれるかわかりませんが、いいことも寂しいことも引き連れて前へ進んでいく3人であることを願ってやみません。
 ハナムケのハナタバは、新たなコミュが追加されるごとに意味が幾重にも追加されていくような、複雑で解釈の余地を多く残した素晴らしい楽曲です。これからストーリーが続いていく中で、ハナムケのハナタバにさらに強力な文脈が乗っかっていくと思うと緊張します。
 避け難い「お別れ」に直面しても、生きていかなければならない。この曲に秘められたそういう力強い決意と切ない後味が私は大好きです。

 あと個人的に早くライブ現地で回収したいです。(ライブファンハナムケのハナタバの亡霊)
 
 取り止めのない文章でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
 私はハナムケのハナタバが大好きです。
 今回は、この辺で。それではっ!

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