短い平成

 1994年頃に物心のついた自分は、ベルリンの壁もソ連もバブル経済も55年体制も、世の中の大概が崩壊したっぽい後の世界しか知らぬままに育ってきて、大学に入った翌年にもういっちょ安全神話が崩壊するまではおおむね同じ世界観のなかで暮らしてきたように思う。



 こないだブラビが一夜限りの再結成だとかYahoo記事で見かけて、小学校1年生の時の記憶が蘇ってきた。そういえば学童クラブの小2,小3女子達が日々『スタミナ』と『タイミング』をCDコンポで流しながらその振り付けを練習していて、自分にとって直截的な体験ではないながら、彼女らがああして入れ込んでいるということは、流行りのなにか、なのだなと思っていた。1998年頃だったか。ウリナリ、キャイーン、ドーバー海峡横断…みたいなことがそのあたりの断片的なTVの記憶として残っているけれども、自分はもっぱら『笑う犬の冒険』の方をダイレクトに経験した世代だ。

 『笑う犬の冒険』において、ことに印象的だったのは2002年日韓W杯に関する企画やコントである。今日のト"リ"シエ監督、フーリガン対策のコントや、日本対ロシア戦の前週にはチケットを持ってる友人にねだったところ渡されたのがコスタリカ対トルコ戦のチケットだった、というオチのコントなどを思えている。後段の「コスタリカ対トルコだぁ…?」「しかも場所、インチョンってどこだよ!」のくだりが異様に面白かった。当時は"コスタリカタイトルコ""インチョン"という文字列が、アブダカタブラ、チャーザー村、的な呪文に聞こえていたのだった。かつ当時にあっては大人たちも呪文としてオチになると踏んでいたのだと思う。韓流ブームが2周ほどした現在では仁川なんかみんな知っている地名のはずだ。なんか昔だ。

 もう一つ、笑う犬のメンバー各々が、世界の人々が集まる競技場周辺に変装して闊歩し、その反応をモニターするという企画があって、これはVHS録画したものを何度も見るほど面白がった記憶がある。その変装は「日本人は世界の人にあまり認知されていない」「日本といえばフジヤマ・ゲイシャ・クロサワアキラ」という前提のもと「日本人だってユーモアなんだぞ!」ということを示すためにするというたてつけだった気がする。その10年のちに跋扈する"世界が認める日本"なる自意識はそこには微塵もなかった。

 内村は「ザ・日本人」というタイトルで、黒縁メガネ・出っ歯・バーコード頭・グレーの背広の装いで、腕時計をこまめに覗き込みながら早歩きをする男を演じ、昭和、あるいは明治以来の極東島国ニッポンの諧謔的自画像を見事に表現したのだった。

 今思えばその一つ昔にイッセー尾形が海外公演時に造形したキャラのような姿形であったが、イッセー尾形が演じた"日本人政治家"はその当時(*1)たる90年代前半の邦画にもいるような造形であり共時的なステレオタイプを表しているように思える。内村はそれをさらに海外の人間が相も変わらず引きずっている"今はさすがに見かけない日本人"として扱っており、そこに90年代(1952年生)とゼロ年代(1964年生)の時間差を読み取ることは、できなかないか。
  *1(広告批評2009.4に掲載の鼎談における「十五年くらい前」作との本人談より、1994年頃と思われる)

 何よりも、子供であった自分としてはそういう日韓共催が、ごく自然にボーダレス化が進む冷戦後の世界的潮流の一環に位置付けられるもの(当時の小学生は明に暗にそういう時代だということを埋め込まれていたはずだ。)として強く感じれらた。共催に至るいきさつなんかはどうでもよいもので、現象として、今思えば美しくもあった。

 2004年の韓流ブーム*2以降、歴史認識問題が再燃してのち、もはや1945年と現在の間にはまるで何もなかったかのような世界線だ。
  *2(同時に共通敵としての拉致問題〜日朝平壌宣言と並走する "大"北朝鮮特集時代があった。「北朝鮮の7日間」というコーナーが報道番組にあったほどで、荒い画質の潜入映像に映し出される農村の惨状や殺伐とした都市部はある種の秘境の趣があり、北朝鮮製のチューブわさびが劣悪だ、なんていうどうでもいい特集の日もあった。)


 おりしも2000年前後は、日本史上最大の生産年齢人口が存在した時期で、GDPは世界2位、バブル崩壊が顕在化する95,6年以降の景気後退を経たとはいえ、アメリカの半分、中国の3〜4倍(2020年ではアメリカの1/4、中国の1/3程度)だった。今やほとんどすべてが引退した団塊世代が50歳前後で、団塊ジュニアは20代〜30代前半である。高齢化率は17%で、現状の30%と比べれば社会そのものが孕んでいた熱量がいかにすごかったか。倒産ラッシュは進行し、就職氷河期と大リストラ時代はすでに到来していたが、失われたのはたった10年に過ぎなかったのだ。

 ピチカートファイヴが「ほんとにちかごろ不景気」(1998年)と歌っても、「どんなに不景気だって恋はインフレーション」しそうで「日本の未来はウォウウォウウォウウォウ」だったのだ(1999年)。思えば、ダウンタウンもV6もウォウウォウしていた。

 それが、失われた20年になる頃にはAKB48が「不景気が押し寄せて日本はどん底 せめて今日は明るく行こう!」(2009年頃)と歌ってのけたように、未来の明るさよりも、今日この日をせめて明るく生きることにリアリティが移り変わっている。そんな彼女らは終わらぬ不景気の中で代替的恋愛をインフレーションさせていった。




 1998年、国際宇宙ステーション(ISS)の建設の第一弾として、ロシア製モジュール「ザーリャ」がカザフスタンのバイコヌール宇宙基地からロシア製プロトンロケットにて打ち上げられた。この国際宇宙ステーションもまた(冷戦期には開発競争の舞台となっていた)宇宙が世界統合の象徴の場になるというセンセーショナルな歴史的イベントとして学校でもテレビでもなにかと言及されていた。冷戦期の西側の国際宇宙ステーション計画に新生ロシアが途中から参加することになった結果、宇宙技術でアメリカを凌ぐロシアのモジュールが基礎となり建設が始まったというフラットな物語はまさに国際宇宙ステーションに相応しかった。2008年には日本初の有人宇宙実験施設「きぼう」が米ロ欧に続いてISSにドッキングを果たす。

 そんな当時、宇宙ステーションなるものは唯一無二、空前絶後の存在かのように思っていたが、そもそも米ソは冷戦期から独自に宇宙ステーションを運用してきていたのだった。「サリュート」(ソ)、「スカイラブ1」(米)、「ミール」(ソ)、そういったものはいずれも運用を終えており、子供の自分にとっては国際宇宙ステーションこそが宇宙ステーションに他ならなかった。まさに冷戦を知らない子供たち、である。その後2011年から中国によって宇宙ステーション「天宮一号」が建設され、宇宙ステーションはもう一度複数存在することとなった。超大国が宇宙で競り合う時代が21世紀に再び現出したのだ(*3)

 *3(しかし、その比ではない衝撃を喰らわされたのが、ロシアのISSからの撤退の報道だ。2022年2月のロシアのウクライナ侵攻後、西側諸国とロシアの関係が極度に悪化した末にロシアはISSから2024年以降に撤退し、自国の宇宙ステーションを建設する意向を表明するに至った。国際宇宙ステーションがそれまで維持してきた象徴性は大きくその意味を欠くことになってしまった。)


 このなんとも区切りの悪い時期は振り返ればなかなかどうして色合いが異なっていて、その辺をなんとか取り出そうという際に(平成時代とかゼロ年代とかポスト95年じゃなくて)「短い平成」、あたりが適した表現かもしれない。これはエリック・ホブズボームが『極端な時代 』で提唱した第一次世界大戦ーソ連崩壊までを「短い20世紀」、とする時代概念の言い回しに範をとっているが、では「短い平成」はどこからどこまでなのかというと、今のところ(そして今後も)気分的な枠組みでしかない。

 取り急ぎなんらかの点を打ってしまえば、
・1995年の阪神大震災から、2011年の東日本大震災
・1995年の地下鉄サリン事件から、2011年の福島第一原発事故
・1995年のwindows95発売から、2010年のiPad発売まで
・1997年の山一証券・拓銀破綻から、2010年に中国にGDPが抜かれるまで
・1999年ノストラダムスの大予言から、2012年のマヤ暦滅亡説まで
・1993年非自民細川政権発足から、2012年の民主党野田政権退陣まで
・1991年のSMAPデビューから2016年の解散まで ←?
他にもこの辺の時期を挟みうるメルクマールはいくらでも見つけ出せてしまうし、なんなら何で挟めるのかいろいろ募りたいぐらいである。ルーズソックスが流行った時期!というのもあるかもしれないし、なんならその入り口の方が何か深層にタッチできそうだ。

 平成時代そのものは天皇の生前退位でソフトランディングしたが、令和に入ると感染症と戦争と国内テロリズムの時代で、ついつい改元に霊性を感じてしまう。大仏建立の声もむべなるかな。

 でもこうして、時代の気分が大きく変わってしまうと、やはりあの頃の、あの期間の時代精神というか世界観みたいなものは果たしてどうだったか、というのが気になる。文化論でも社会論でもない、気分論みたいなもの。


 「短い平成」は夜のテンションが生じせしめた煮凝りのような概念である。単に自分の青少年時代という括りに一致しているし、すべての話においてその主観が切り口ではあるが、そういうごくごくつまらぬ思い出話にしてはたまるか、という動機もあるのでしょう。多分あと10年したら、「長い平成」なんてのを見出せる地平にあるのかもしれない。しかしその頃になると、今の80年代〜90年代カルチャーのリバイバルがそのまま10年スライドしてきて、ちょうど短い平成に相当する時代が取り扱われることでしょう。やっぱりそうすると、全く重複する時期をとやかくするのは野暮に思えてくるはずなので、「長い平成」って言ってそうだな。

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