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せかほしが教えてくれたこと

お久しぶり。
そんな言葉で始めるのもどうなんだかって感じだが、以前から、私の記事をお読みの方はお気づきだろうが、すこぶる更新頻度が落ちている。
そんなにもう、アウトプットしなくてもよくなったというのが正直なところ。
前なんて、この気持ちを言葉にして吐き出さずして正気でいられようか?っていうぐらいに、精神的に不安定な毎日を送っていたけれども、お陰様で、かなり今では穏やかに過ごせるようになった次第。
何で平穏になったかなぁと自分で思い返してはみて、何となしに、決定打になったんじゃないかっていうことの心当たりはあるけれど、それはいつか言葉にまとめられたらまとめるとして、今日は違うことをつらつらと。

「せかほし」が教えてくれたこと。

いっときはもう放送終了しちゃうんじゃないかと落胆した、「せかほし」。
一応は、ちゃんと放送続いてるんで良かった。
5月のアウトドアSP、面白かったですね。
そして、この記事を書いている2021年9月20日の夜にも放送がある模様。
今宵のテーマは「―BLUE― 色をめぐる旅」だとか。
楽しみ!

前ほどの自由度を持っての海外ロケはまだまだ難しいだろうから、しばらくはこうして、国内ロケ多めの内容で繋いでいくしかないんだろうなぁ…。
それでも、継続してくれているだけでもありがたいとは思ってる。

皮肉な感じもするけれど、私は春馬くんが亡くなってからの方が熱心に「せかほし」を見るようになった。
ごめんよ、それまでちゃんと観てなくて。
先日発売されたDVD/Blu-rayもしっかり購入して、じっくり拝見いたした!

本当に春馬君逝去後の後発ファンで、今更申し上げて悪いのだけど、「せかほし」ってなんて高品質な、良い番組なのだろう。
番組として、実に面白い。
「世界はほしいモノにあふれてる」。
番組を貫くポリシーみたいなものを映像を通じて形作ってるってて感じで、以前から、実に丁寧な番組作りをされていたのだと思った。
正直に申し上げて、それは春馬君がいてもいなくても大きな変化はない。
モノのその見た目形のことだけでなく、それが作られた歴史や伝統、作り手の想いや哲学など、一つ一つを掘り下げてたっぷりのストーリーとともに、美しかったり、美味しそうに見えたりする映像によって、のんびりと、視聴者の脳内マッサージをしてくれるかのような、そんな贅沢な時間を与えてくれる。
世の中は素敵なモノがいっぱいあるんだなぁ、あぁ、あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しいと、どんどん私の欲が刺激されていくのがわかる。
この場合の「欲しい」は、単にモノを支配する欲というよりも、知的好奇心を満たす欲に近い感覚。
モノとそのストーリーをおすそ分けしてもらって、自分の中でそのモノのストーリーを追体験するかのような。

すんごい飛躍して捉えているかもしれないけど、「せかほし」は、物欲を刺激するだけの番組ではなく、モノの本質とは何かを教えてくれて、それを見極める目を養って!と言っているかのような、そんな番組である気がしてる。
そして、この本質の話はモノだけに限らず、すべてのモノゴトにも共通するのではないかとも思え、仕事にしてもプライベートのことにしても、その表面的、形式的なことだけではなく、その本質とは何だろうかと、毎度問いかけてみるように。
これって何のためにあるのか?と常に自身に問いかけ、モノゴトの本質を捉えていけば、自ずと誤った道には進まないような気がしてる。
あんなにキラキラした番組から、こんな理屈っぽいことを考えてしまう私自身がどうなんだかって気もするが、一つの気づきを与えてもらったように思っている。

私が買った、ほしいモノ。

「世界はほしいモノにあふれてる。
それは間違いない。
私の場合、春馬君が使っていたモノや、春馬君が誰かに贈ったモノといった、春馬君と直接的な接点があるモノとお揃いになりたいという意識はあまりないようで、番組がそのモノを通して伝えたいメッセージに共感できた場合には、そのモノを手に入れたいという感じになるみたい。
そういう意味で、「せかほし」の「JAPAN! 究極の“台所道具”」の回で紹介されていた南部鉄器に強く惹かれ、お鍋を買い求めた。
バイヤーの方がラタトゥイユを作っていた、あの鍋を。
ちょっぴり重い、岩手で造られたどっしりしたお鍋。
焼いたり煮たりで、これからも長いお付き合いができそう。
そうして、今度は私とこの鍋のストーリーができていくんだな。

一度は売り飛ばそうとした、ダーラヘスト。

この写真に写ってるこの馬、ご存知だろうか。
スウェーデンの伝統工芸品で「ダーラヘスト」という、木製の馬の形をした置き物。

これ、私の私物で、何年前だったか忘れたが、スウェーデンにいる同僚から貰ったモノ。
あいにく我が家には、北欧っぽいIKEAな雰囲気は微塵もなく、このお馬さんをどうしたものかとずっと持て余していて、去年の前半あたりは、もうこれメルカリで売っちゃおうかなって思ってたぐらい。(←ひどい人。)
けれども、昨夏、春馬君が旅立った後にふと、このお馬さんの存在を思い出した。
なんせ、馬だし。
箱の中に入れっぱなしになっていたこのお馬さんを引っ張り出して、飾ってみる。
一瞬にして、その周りがなんか「せかほし」っぽくなった。
もしかしたら、「せかほし」の北欧グッズ紹介の回かなんかで、ダーラヘストも紹介されたことがあるんじゃないかしら。
今一度、このお馬さんの意味を考えてみる。
スウェーデン人の同僚は、このダーラヘストをわざわざ買い、当時、スウェーデンに出張した日本人の同僚に、日本に帰ったら私へ渡すようにと託した。
スウェーデンでこの馬の置物がどんな意味合いなのか、同僚はどんな思いでダーラヘストを私に渡そうとしたのか。
それを思い返していたら、売り飛ばそうと思っていた私はなんと薄情な者かと思えてきた。
しかも、このお馬さんが我が家にある唯一の馬モチーフのグッズということもあり、春馬君のことを想うにも良いかもとも。
スウェーデンからはるばる人の手を介して我が家にやってきた、このお馬さんに「ハールーマ」と名付け、仕事部屋の窓際に置いておくことにした。
ちなみに、「ハーーマ」の「ル」にアクセントをつけてスウェーデン語っぽく発音する。(なにそれ。)
これも、モノだけでなくて、モノのストーリーも併せてその本質を考えた結果のこと。

三浦春馬君のことを想って生きていく。

春馬君のことを書き連ねたいという思いは減ってきている。
かといって、春馬君のことを忘れたとか、もう考えたくないとか、そういうことでもない。
想いは、去年の7月18日からずっと続いていて途切れることはない。
しかし、書くことだけが、想うことの現れではないと思っている。
「三浦春馬君のことを想う。」
書くこと以外でも色々が想い方があるだろう。
これも本質を捉え、私自身に合った、私なりの想い方を生活の中に落とし込んで、日々、生きていきたいと思っている。




***

【番外編】どうしたらいいんでしょ、私のnote。

ここからは番外編。
昨夏から1年以上に渡って、私はこのnoteに三浦春馬君に関する思いをしたためてきたのだが、正直言って、今後、このnoteをどう扱うか悩んでいる。
私の想いをnoteから発信して、多くの方々に共感していただくことができ、その共感は、私の心理面での大きな支えにもなった。
このnoteを縁に、多くの方々と出会うこともできた。
せっかくなので今後もこのご縁を続けていけたらいいなと思う一方、これ以上、三浦春馬君に関するトピック一本で記事を書き続けることは難しい。
また、このご縁は三浦春馬君の逝去をきっかけに繋がったものなので、それ以外のトピックでは、フォロワーの方々の関心を惹き続けることは難しいのではないかとも思う。
私が三浦春馬君以外のテーマで記事をこのnoteに上げても、関心が薄いから読んでいただけないかもしれないし、むしろ不快に思われるかもしれないとも思う。
これは私のnoteなのだから、私が何か書こうと私の勝手でもあるのだが、書いても読まれないnoteなら、書く意味はあまりないのかなとも思う。
そんな思いがグルグルしている。
近頃、長めの記事を書いていないのは、こんなこともあってのこと。
どうしたらいいのかしら。
書くとしたら、好きな映画やドラマ、音楽の話とか、仕事関連のことかもしれないし、日常生活の雑記的なものになるのか、時には春馬君のことかもしれないし、あまりテーマは絞らないかも。
よろしければ、今後の私のnoteについて、ぜひご意見等を下のコメント欄やTwitter(@ERcNi0YiPP7KAAd)にてお寄せいただきたい。

もしサポートをいただけるのでしたら、自身の心を潤すような音楽や映画などなど、エンターテイメントのコンテンツ購入に充てさせていただこうと思います。