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三浦春馬君へ「Seasons of Love」を。

ここ数日の私の思考を、また一つ、ここに置いておく。

定期的に観たくなるミュージカルがある。
秋が深まって12月が近づいてくると、特に。
「RENT(レント)」だ。
このミュージカルは、1980年代の終わりから90年代の初めにかけて、ニューヨークのイーストヴィレッジを舞台に、人種的なマイノリティ、セクシャルマイノリティ、HIV感染、ドラッグ、貧困などの問題を絡ませながら、若者達の苦悩と希望を描く、クリスマスイヴの日から始まるストーリー。
初演から20年以上経った今でも、その強烈なメッセージ性は色褪せない。
最高のミュージカルだ。

日本においては、最初に「RENT」の日本版プロダクションが上演されたのが、1998年。
そこから、制作が東宝に移り、何度も日本版プロダクションは上演され、また、ブロードウェイのオリジナルキャストの来日公演も幾度もあり、私と「RENT」との付き合いも、もう20年を超えるようになった。
ちなみに、今も、東京では日本版プロダクションが上演中だ。
本当はすっごく観に行きたかったのだけど、あいにく諸事情により、今回は行けそうにないのが残念でならない。
このコロナ禍での上演、厳しいものがあるだろう。
モーリーンのパフォーマンスでの「ムーーーーー!」のくだりはどうしただろうか。(観たことのない人にはなんのことやら。)

No Day But Today(今日以外の日はない)

このミュージカルが放つ、一番のメッセージは「No Day But Today」。
直訳すると「今日以外の日はない」ということだが、前後の脈絡によっては色々な意味になる。
私の記憶では、ストーリーの中盤とフィナーレの二度ほど、このフレーズの歌詞が出てくるが、前者は「もう、今日を生きるしかないの。もうお先真っ暗。」と絶望的、刹那的な意味合いが強い「No Day But Today」で、後者の「No Day But Today」は、

「今日を、今一瞬を大切に、精一杯生きていけ。
それは未来や希望に繋がるんだ。」

と、今、生きている者に向けた、非常に前向きな力強いメッセージだと私は感じている。
「RENT」が伝えたいメッセージは、この後者の方の意味合いが強いだろう。
普段、仕事やら何やらで忙殺されていると、その一瞬一瞬を考えながら生きてはいない。
当たり前といえばそうだけど、たまに「RENT」を観に行くことで、その一瞬や一日の大切さをリマインドされたいと思う。
この「RENT」が放つ「No Day But Today」は、その時々の自分の気持ちの置かれ方によって、毎度、微妙に受け止め方が異なるのが面白いのだけど、私は事あるごとに、この「No Day But Today」を思い出させてもらいたくなって、これまで何度も劇場へ足を運んできた。
恋愛がうまくいかなかった時も、仕事で嫌なことがあった時も、「RENT」を観れば、帰りの電車の中ではいつも、「色々あるけど、前に進もう。」と清々しい気持ちになれたものだ。
そして今年、いつも以上に、強く「RENT」を観に行きたいと思う。
単純に日本版の公演を観に行けないからそう思うのか、このコロナ禍の閉塞感に押しつぶされ、この先もどうなるかわからない不透明さ、不安定さで息苦しさを感じて、「RENT」に何か救いを求めているせいなのか、わからない。
でもそれよりも、やはり、三浦春馬君が亡くなってから、もう他に何をしてきたか記憶にないぐらい、毎日春馬君を探し、春馬君の事ばかり考え、何の為にこれから生きて行けばいいのかちょっとわからなくなっている自分に、小さくてもいいから、希望が持てるようになるヒントを与えてもらいたい、「RENT」なら突破口を与えてくれるのではないか、そんな期待を抱いているからなのかもしれない。
「RENT」のフィナーレのシーンを思い出す。
この世から去る者、この世で生き続ける者。
私はこの世で生き続ける者。
このフレーズを畳みかけられる。

No day but today.

春馬君のことは悲しいし、思い続けることそれ自体はこれからも変わらないだろうけど、それだけで心を埋めて閉じこもってしまうのではなくて、昨日も明日もない、自分の今日のこともちょっと考えてみたらどうだろうか、今を精一杯生きて行け、それがこのトンネルを抜けた先にある未来へと繋がるんだと、誰かに背中を押してもらいたい気分になってきたのかもしれない。

Measure Your Life In Love(あなたの人生を愛で数えよう)

このミュージカルのリード曲、「Seasons of Love」。
日本ではCMに使われたこともあって、聴き馴染みのある方もいるのではないか。
まずは、歌詞に注目しながら、この日本の歴代「RENT」キャストによる「Seasons of Love」を観てもらいたい。

英語もイケる方は、こちら(↓)もどうぞ。
もしかしたらSpotifyを使っていないと一部のみしか聴けないかもしれないので、その場合はぜひ、どこかで英語版のフル尺を探して聴いて、歌詞はこちらをご覧くだされ。
オリジナルキャストが歌っているものをお勧めする。

繰り返しコーラス(サビ)の部分で出てくる、「Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes」というのは、525,600分=8,760時間=365日、つまり、1年間のこと。
その後、日本版キャストの方の訳詞では「どう数える?1年を」と来て、「それは Love、きっとLove、いつもLove、答えは Seasons of Love」と続くのだが、これだと意味がよくわからないかもしれない。
訳詞は音節数に制限が出てしまうので、意味が端折られてしまうのは仕方ないが、この曲のより細かいニュアンスを伝えるべく意訳するとすれば、不格好な言葉のチョイスかもしれないけど、こんな感じだろうか。

「人生の価値を、
それまでに生きた年数や、
経験したことや物の数で決めるよりも、
生きている間にその人が
受け、与えた『愛』の数で
決めてみたらどうだろうか。」

この「Seasons of Love」は、今年の1月、春馬君がシンシア・エリヴォのミュージカルコンサートに出演した際に、シンシアやマシュー・モリソンと一緒に歌った曲。

この時のセットリストを見ると、春馬君が歌ったのは、春馬君自身が出演した作品の曲、春馬君が演じてみたいと言っていた作品(「Dear Evan Hansen」の日本版プロダクションがあるならオーディションを受けたいと、どこかでコメントしていたのを読んだ。)の曲のようだが、その他、「Seasons of Love」等はどういう経緯で選ばれたかはわからない。
楽曲自体が素晴らしいということもあるだろうし、観客からの事前リクエストに応えた形なのかもしれない。
春馬君は勉強熱心だったし、日本版「RENT」にはアミューズのお仲間も沢山出ていたから、春馬君も一度くらいは「RENT」を観たことあるのではないかなと思うのだけど、どうだろうか。
何も下準備をしないで、歌詞をただ旋律に乗っけて歌うだけというのは、彼のこれまでの仕事の仕方からして考えにくい気がする。
少なくとも、このミュージカルのメッセージや、曲の意味を理解した上で歌ったのではないか。
というより、現実はどうであれ、春馬君にはこの曲の意味を知っていて欲しいと思う。

人生を「愛」で数える。

春馬君は、誰の人生を「愛」で数えようと思って歌っただろうか。
その時の歌唱の中で、春馬君のソロパートはあったのか、あったとしたらどこなのか、春馬君がどんな風に歌ったのか、すごく気になるけれど、とにかく春馬君が「人生を愛で数えよう。」と思いながら、3人で素敵に歌い上げてくれたのだろうと勝手に想像するだけで、泣きそうになる。

もしも、今、春馬君に一曲捧げられるとするならば、どういう曲が良いか。
やっぱりミュージカルの曲が良い。
春馬君自身が出演した作品の曲も良かったけど、私が選べるならば、1月に春馬君自身が歌うという縁もあった、この「Seasons of Love」を捧げたいと思う。

春馬君の30年余りの人生、その春馬君の人生をどうやって数えようか。
生きた年数、芸能界で活動した年数、出演した作品数、主演を務めた作品数、出演作品の観客数、リリースしたシングル曲の数、売れたCDの枚数、受賞した数、訪れた都道府県の数、はたまた、笑った数、泣いた数、人との出会いや別れの数で数えても良いかもしれないが、やっぱり「愛」で春馬君の人生を数えてみてはどうだろうか。
春馬君が受け取った「愛」、春馬君が与えた「愛」、そんな「愛」で春馬君の人生を数えてみよう。
きっと数えきれないぐらい、誰よりも多くの「愛」があるだろう。
春馬君、貴方の周りには「愛」がいっぱいある。
その「愛」の多さについての説明は、もはや無用だろうと思う。
人生の価値は、その長さや残した功績や経験の数だけで決まるものではない。
決めるのは「愛」の数だ。
そうだとすれば、春馬君、貴方の人生は、数えきれないほどの多くの愛で満ち溢れた、誇れる人生だった。

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