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性被害を告発した顛末の記録(告発前〜慰謝料を請求すると決めるまで)

はじめに

わたしは現在、2019年4~6月に受けた性被害の告発をしています。
いまは弁護士の先生と契約をし、示談に向けて動いているところです。(2021年5月18日現在)

正直、性被害を告発するのはやはりしんどいです。他人との間で起きることの大変さはもちろん、精神的にもさまざまなリアクションが立てつづけに起きます。大変なのはわかっていたつもりでしたが、予想以上でした。

せめていま経験していることが、今後性被害を受けて告発するかどうか悩んでいる方の知見になればと思い、この記事を書きはじめました。性被害を受けてから告発をするまで、また告発をしたあと、それぞれで起きたことを、ごく個人的なかたちにはなりますが記録しておきます。

性被害を受けた方に安心して読んでいただけるように、被害の詳しい内容はこの記事では書きませんが、強制わいせつに類する行為であることのみ明記しておきます。また、「性被害を受けたら必ず告発をするべきである」と主張しているわけではありません。被害を受けたすべての方が、それぞれの状況のなかでもっとも自分の尊厳を大切にできる、また大切にしてもらえる選択をしやすくなるよう願っています。


被害を自覚する

そもそも、二年間沈黙してきた被害を急に告発することに決めたのは、同じ加害者による別の加害が明るみに出たからでした。その人が加害を理由に団体理事を解任になったニュースが出て、その後それを受けてツイッターで新たに被害を報告する人もあらわれ、どんどん事態が大きくなる……という状況でした。

それ以降、加害を受けた直後のような精神状態に戻っており、それがいまでも続いています。ずっと気持ちが上下し、ものすごい怒りや悔しさに駆られることもあるし、泣いて眠れないときもある、かと思えば意思にかかわらずぼーっとしてしまう、という感じです。

これまでなんとなく穏便に済まそうとしてきた部分に対し、「いや、自分の被害もだれかにわかってほしい!」と思う部分が猛烈に生まれ、その両者がせめぎあうのが苦しかったです。前者に対しては典型的な被害者感情だと感じ、後者に対してはわたしは単に炎上の尻馬に乗りたいだけなのでは? という疑いが生まれて、どちらの自分の気持ちも信じられない……という状態が、最初に自分のなかで起きたことでした。


整理するために日記を書くとき、「セクハラ」と打っては消し、毎回「性加害」と打ちなおす必要がありました。

これまで自分のされたことをセクハラと呼んでいたけれど、解任のニュースを見て、それが被害と呼んでいいものなのだとはじめてわかった。どこかホッとすると同時に、それ自体すごく耐えがたいことでもありました。

加害者は、わたしにとってはウェブマガジンの連載の話をくれた相手で、わたしに性的な関わりを持とうとするとき、いつも同時にわたしの書いたものを褒めていました。

されたことはものすごく不快である一方で、「加害」はいつも尊敬や承認のような態度と抱きあわせで行われ、それがわたしを混乱させました。理解しがたいとはいえ、これがもしかするとこの人なりの尊敬や承認の表明なのかもしれない……と思わされる。そうすると強い拒絶はしづらくなり、はじめから怒る契機を奪われているような感覚になります。

また、どこかでこれが尊敬の表明であると思うことで、わたし自身も自分が蔑まれているという事実、しかも女性であることを理由に蔑まれているという事実から、目を逸らすことにもなっていたと思います。暴力を受けたときに正当に傷つくことはほんとうに難しい、といまは思っています。しんどく、受け入れがたいと思うあまりに、自分のなかでそれをどうにか善意に読み替えようとするはたらきが起きるようなのです。

解任のニュース以降フラッシュバックが起きるようになってはじめて、わたしは「被害」を受け、そして傷ついていたのだ、とようやく自覚することになりました。


相談窓口への報告

ひとまず、加害者を解任した団体の設けた相談窓口へ報告をしました。
これまで告発をしなかった理由のひとつに、加害者がいわゆるソーシャルグッド系の仕事をしていて、性加害の告発がどれだけその人の人生に打撃を与えるかなんとなく察せられた……ということがあります。たしかに自分の尊厳は傷つけられたけれど、でもそれはひとりの人生と天秤にかけるほどのことではない、と思ってしまう。

しかし、卑怯な話ではあるのですが、解任後であればその責任を負うのはわたし(だけ)ではないわけです。それは本当にありがたく、また忸怩たる思いでした。最初に告発をされた方には尊敬と申し訳なさでいっぱいで、せめてその人だけに責任を負わせないようにしよう、と思い、わたしも追うように告発をしようと決めました。


告発にあたっては、まず、加害者とのメッセージを読み返して日付を確認しながら文面を書くのが骨の折れる作業でした。被害を思い出してしまうのもさることながら、加害の後に自分が送ったメッセージがあまりに従順で、情けなくて涙が出ました。暴力に対する服従は、優しさや寛容のようなかたちをとってあらわれるのだ、と思いました。それは本当に痛い反省になりました。

被害が複数回あったので具体的なリストを作成し、団体の窓口と、連載をしていたウェブマガジンの双方に送り、それぞれからお返事をいただきました。そのあとも弁護士さんや他何人かに被害について話す機会があり、そのたびにこのリストは役に立ちました。

団体のほうとは、弁護士の方を交えたオンラインの面談を行い、お礼とねぎらいの言葉をかけられつつも、「団体の仕事の中での加害ではないから、どこまで団体のほうでサポートできるかが難しい」とも弁護士の方から伝えられました。必要であればカウンセラーや弁護士を紹介してくれる、というのが、団体からしてもらえる最大のサポートであるとのこと。
そのときはわたしも団体に対し、「寝耳に水だったろうから大変だろうなあ」となんとなく思っていたのと、自分がどういうケアを求めているのかが自分でもあやふやだったことがあり、お互い情報を交換するようなかたちで面談は終わりました。被害の詳細はあらかじめ文面でかなり詳しく送っていたので、口頭で話す必要はなく、その点も楽でした。

ウェブマガジンのほうからもものすごくていねいで心のこもったお返事をいただき、そのあたりでもわたしはまた「確かにつらかったとはいえ、わたしは世間的に見てもものすごくひどいことをされたのか……」と動揺しました。このころは正直に言って、「話してくれてありがとうございます」みたいなことをいわれるのが苦しかったです。まだ自分が尊厳を傷つけられたと認めきっていないにもかかわらず、そういわれたことで自分が急に「被害者」になってしまう、そのギャップと速度が苦しいようでした。

結果、団体から実際にカウンセラーさんと弁護士の先生をそれぞれ紹介してもらったのですが、カウンセリングでは混乱して「いまは性被害のことより性加害のことに関心があります」「わたしがどう思っているかはどうでもいいから、相手がどう思っているのか知りたい、どうしてわたしにひどいことをしたのか早く聞かせてほしいです」「答えがほしいです」と言いつづけ、女性のカウンセラーさんに逆に「わたしのほうがその人のことを殴ってやりたいです……」といわれていました。この、納得がいかない、答えがほしい、というのも、自分がされたことを認めがたいところから来る衝動だったと思います。


弁護士の先生との打ち合わせ

そののち、紹介していただいた弁護士の先生と、慰謝料の請求をする方向で話をしました。

当たり前ですがカウンセラーさんとは話の聞き方が違い、ようは事実を確認しつつ、加害によってわたしのなにが損なわれたのか、というのを明らかにしていくようなやりとりになります。なのでひとつひとつ事実を追っていく必要があり、カウンセリングに比べると当然やや大変です。

わたしの場合、弁護士の先生が明るくサッパリと接してくれていたのがありがたかったですが、されたことをひとつひとつ話すときにはどうしても反射的に「恥ずかしい」という気持ちが上ってきて、そのたび自分のなかで、いいえ、と思い直して話しました。いいえ、これはわたしの恥ではなくて、相手のほうの恥なのだ。

またその中で、「被害を受けたあと連載は続けましたか?」「パートナーとの関係に支障は出たりしませんでしたか?」というような質問を受け、「連載はつづけました……」「パートナーとの関係もとくに問題ありません……」と答えているうち、だんだん自信がなくなってきます。窓口の面談とカウンセリングでさんざん「あなたはものすごくひどいことをされたんですね」というメッセージを受け取った直後に、今度は「あなたがされたことはそんなにひどいことだったんですか?」と事細かに聞かれている感じです。ともすると、自分が性被害を受けたのに日常生活を送り続けていることがいけないことのように思ってしまいそうになります。
わたしが自信を持って答えられたのは、「その行為をされて、不快でした」ということだけでした。

連載を続けたのも、被害によってパートナーとの関係に支障をきたさなかったのも、単にわたし(とパートナー)の忍耐によるものなのに、それによって被害のレベルが測定されてしまう、というのは、どうにもやるせない気がしました。誤解しないでほしいのは、弁護士の先生はあくまで良心的であったということで、先生自身が被害を軽視しているわけではない、ということはちゃんと伝わってきていました。

それでも、その質問からは、これから踏む法的なプロセスの上ではわたしの受けた被害は測定され、値踏みをされるのだ、というのが垣間見えました(慰謝料の金額を決めるわけなので当然といえば当然ですが)。そこでむしろ、わたしはわりと忍耐ができてしまった分、被害者が我慢強かったとしても起きたことは起きたこと、してはいけないことはいけないこととするために戦わなければいけないな、という思いを強く持つようになりました。


連帯することの意味

またこのころ、共通の知り合いが同じく被害を受けていたことをはじめて知りました。これはわたしにとって甚大な衝撃になりました。

このころには、わたしは自分の尊厳が軽んじられたことを自分で見過ごしてしまっていたんだな、ぐらいには思っていたけれど、それはあくまで自分だけの問題のつもりでした。けれども、わたしが見過ごしていたのはわたしの尊厳だけの問題ではなく、女性全体の尊厳の問題だった。加害者はわたしだけを軽視していたのではなく、女性全体を軽視していた、ということです。

わたしは、わたしの尊厳というちっぽけに見えるもののためには怒れなかったとしても、まず女性全体のために怒らないといけなかったのだ……その思いは、もっと早く告発すればよかった、という後悔と同時に、みょうな心強さも生みました。性加害に対して女性同士で連帯することを、はじめ「尻馬に乗るようでいやだ」と思っていたけれど、そうではなかった。寛容さのふりをした服従を強いられるものたちにとって、また自分の尊厳をすでにちっぽけとしか思えなくなったものたちにとって、連帯すること、「みんなの尊厳」の問題にすることは、ものすごく重要なことなのだと思います。

なので、自分がされたことをきちんと「人に対してしてはいけないことをされた」ということとする意味で、慰謝料を請求することに決めました。いまはこの段階です。このあとは弁護士の先生に代理人として立っていただき、相談して文面を作りながらやりとりしていくことになるそうです。


おわりに 性加害と戦うということ

暴力に対する自分の服従を憎み、また自分よりあとに被害を受けた被害者の方のことを思うと、もっと早く告発をすればよかった、と心から悔いています。一方で、自分が告発をできたのはあくまでさまざまな状況が揃っていた(他の被害者がいた、相談相手がいた、相談窓口が開設されていた、など)からであり、実際にはさらに告発が難しい環境の方が多いのでは、とも思います。

ですが、それでもやはり今後は性加害と戦う立場を取らなければいけない、と強く思っています。またこうした発信が、性加害と戦おうとする被害者の方の背中を押すものになれば、それ以上に報われることはありません。

性加害と戦うということとは、単に見ず知らずの加害者に対して相応の罰を望むことではなく、親しい知り合いや、信頼する仲間や、恩義のある相手が性加害を行ったときにも、断固として損なわれた尊厳の側に立つということである、と実感しています。わたし自身の服従に対する強い怒りを込めて、このことを加えて表明しておきます。また、性被害と戦おうとしたとき、ときに加害者以外の不特定多数をも相手に戦わなければならないことを、とても痛ましく思っています。


繰り返しになりますが、自分が受けたことが被害であったと認識する、自分が軽視されていたと認識することは、本当に惨めで苦しいです。ですが、自分が誰かにされた行為を、「つらかったけど、どうにか許すことにしたよ」といって手打ちにすることは、決して賢明さや寛容さではなく、同じような仕打ちを受けた人に対して言外に「つらいだろうけど、どうにか許さなければ」と言ってしまうことでもあります。

そうしないために、わたしは胸を張って、「いいえ、あれはひどいこと、してはいけないことでした」と言わなければいけなかったのだ、と思っています。今回告発へ向かっていくプロセスは、わたしがそのために新たに傷つきなおすプロセスでもありました。


以上を踏まえて、性加害と戦う方々に心からの尊敬を表明すると同時に、被害を受けたすべての方の尊厳が守られることを切に望みます。

(向坂くじら)

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向坂くじら
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