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『大豆田とわ子と3人の元夫』感想

4月からの心の支えとなっていたこのドラマ。たくさん笑い、共感し、大号泣し、今後の自分を形作るものの一つになるだろうという確信がある。これは将来の自分のためにも書き残しておきたいと思い、最終回を前に感じたことをつらつらと文字に起こしていきたい。

まずはこのドラマの好きな点をあげ、理由や考察をしていく。

1.ままならない日常が絶妙にリアル

このドラマは基本的に一話完結型で、主人公大豆田とわ子が送った一週間を振り返るという構成で進んでいく。彼女の日常はリアルで溢れている。網戸が外れる、ずっと口内炎、作ったフルーツサンドはうまく食べられない。Airpodsをうどんの中におとし、時には職場で微妙に孤立したりする。一週間のなかに大小様々な「困ること」が盛り込まれている。なんども重なったら気分が落ち込みそうなものだが、とわ子はそういった外部からのストレスに対してその場で自分の機嫌を小さくとって日々をやり過ごしていく。この主人公、私が今まで見たドラマや映画の登場人物の中でも抜群に自分の機嫌をとるのが上手い。花屋に出向いてみたり、ちくわを買い食いしてみたり。彼女の服装は、オフィスシーンでも朝のラジオ体操でも、いつもそれなりに好きな服を着ているのだろうと思わせる。家を出た娘に教科書を届けにいくだけでも気分が上がり、少しお洒落をして街を歩く。恋に対してもハードルが低く、楽しめることは楽しむ。そして、自分を傷つけてくる人やものに対してはそっと逃げる。また、彼女は自分や他人の感情の機微には聡いが、感情移入したりすることは少ないように感じる。言葉選びも独特で、誰かを必要以上に傷つけたりしない。自分と他人の線引きが割としっかりしており、必要以上に他者に踏み込まない。そういう、大人が日常を生きる上で必要になってくる現実的な面がしっかり描かれている。そういう意味で、ものすごく感情移入がしやすいドラマだと思った。

2.誰の存在も否定しない、現実的な多様性

題名だけ見ると、『大豆田とわ子と3人の元夫』というのはとてもキャッチーである。ドラマの前半では、とわ子が3回結婚して3回離婚していることがたまにいじられるが、基本的に彼女の周りの人間たちは彼女を否定しない。例外として6話で出てきた公私混同の取引先の社長が彼女に対し「あなたは3回失敗している」と放ちとわ子の表情は強ばるが、その社長に鉄槌が下されたりということもなく物語は進んでいく。彼の存在を否定しないというのもまた、多様性なのだ。この言葉は矛盾を孕んでおり、「相手を認めない」という価値観さえも存在していてよいとするのが厳密な意味での多様性である。そのため、厳密な意味では実現が難しいと個人的には考えているのだが、このドラマでは絶妙なラインでそれを実現している。とわ子の親友のかごめが恋愛を面倒くさい自分について打ち明けた際、とわ子は小さく「そう」とだけ返す。恋愛を楽しむ自分とは違う面をもつ彼女に対し、踏み込んだ質問を投げかけたり必要以上に感情移入をすることなく、存在の肯定だけをする。また、かごめの親戚からの執拗な電話に対してとわ子が「バーカ!」と電話口で叫ぶシーンがあるが、これも怒りの反応を返しただけで、彼女はかごめの親戚の存在を否定していない。勧善懲悪は現実には中々存在しないものである。そういう風に世界を捉えた方がずっと楽だが、そうすればするほど、多様性という言葉がどんどん遠ざかっていく。この難しすぎるテーマに対する答えの一つを、『大豆田とわ子と3人の元夫』は静かに表現している。わかる、このあたりが現実的なラインだよね、と唸った。

3.登場人物とその関係性がおもしろい

この面白さは言語化しづらい。主要な登場人物が皆どこか憎めないところ、言葉の応酬、人間関係が少しずつ動いていくところ、とにかく全てが面白いのだ。見てほしいとしか言いようがない。強いてあげるなら、現実的な人間臭さがありながらキャラ立ちがしっかりしているところだろうか。こういう展開になったら1番目の元夫はこうしそう、2番目の元夫は多分こうする、3番目の夫は、と想像ができるので、とても楽しい。

私が特に好きなのはとわ子とかごめの関係性なのだが、こちらは好き過ぎて言語化できていない。正直かごめの迎えた結末にまだ引き摺っているので、この気持ちの整理がつくのはいつになるのだろうか、という感じである。私はとわ子に感情移入し過ぎてしまったのかもしれない。

総括して、あと5回は見る自信がある。一刻も早くamazonプライムに入ってほしい。まだロスが怖くて最終回を見ていないのだが、無事観て消化し終えた際にはカルテットや最高の離婚など坂本裕二作品を見返してみようかなと思っている。

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