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くじら、あるいは海に隠された世界の核心について


くじらが好きです。
たいした理由はありません。
大きくて素敵だと思います。

でも、くじらがこわいのです。
どうしてでしょう。
くじらのことを思うと息が苦しくなります。
しかも、食べられてしまうかもしれないとか、押し潰されてしまうかもしれないとか、くじらがいるような海では溺れ死んでしまうかもしれないとか、そういうはっきりと説明できるような理由があるわけではないのです。

くじらはただこわいのです。
深い海に潜り、海面を揺らし、私の知らない世界で生きているその巨体は、私の考えを混乱させ、呼吸を浅くし、冷や汗をかかせます。

くじらについて考えることはしばしばあります。
でもくじらについて知っていることなんてほとんどないし、実際くじらを見たことだってありません。
(くじらが人間を食べたりしないってことくらいは知っています。)
それなのに、くじらは私を魅惑し、不安に陥れます。

くじらの写真を検索してみることがあります。
壮大な海で大きなくじらが豪快にジャンプし、水しぶきが上がっている写真があります。
深海で巨体をなめらかに滑らせているくじらの写真があります。
不安で胸がいっぱいになり、頭がみしみしと痛くなります。

そこで、「くじら イラスト」というキーワードで検索し直します。
かわいらしいくじらのイラストがたくさんヒットします。
つぶらな瞳をして、頭頂から潮を吹く見慣れたくじらたちを目にして、私の心は平穏を取り戻します。
安心安全なくじらの笑顔は私を癒します。
やっぱり私はくじらが好きだ、愛嬌があってかわいい、それにとっても大きくて素敵だと感じます。

でも私は自分を騙していることに気づいています。
そんなくじらは本当のくじらではありません。

こうした感情はありふれているのでしょうか。
私にはわかりません。
私にとってのくじらが、他の人にとっては幽霊やゴジラのイメージであったり、暗闇や宇宙というより抽象的な存在であったり、あるいは愛や苦しみといったより観念的な事象であったりするのでしょうか。

個人的な反応を引き起こすイメージの複雑な織物としての世界はたぶん、憧憬と畏怖を釣り合わせるくじらが辛うじて支えているのだと私は考えます。

私はくじらを見たことがありません。

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