発表した詰将棋に類作があった話
最近スマホ詰パラで詰将棋を発表した.
作意は 25銀,同香,17銀打,15玉,16銀,同玉,15金,同玉,27銀まで9手詰.
3手目の17銀打が主眼手で要は15歩は邪魔駒だったというオチなのだが,15歩は2手目同玉の変化で役に立つため(26金まで詰み.15歩が14の逃走経路を消している)一見して気づきにくいと思う.またその消去手法が香,銀の上に更に重ね打つ表現になり個人的にはよくできたとのんきに思っていた.
が,類似作(ほぼ同一作)があった.
詰将棋サロン2017.? 佐藤勝三
(同一作検索でヒットしないので詳しい方がいれば詳細を教えてほしいです.)
香の位置が一つ異なるだけだ.しかも,25銀,同香と香車を動かすので,やってることは全く同じである.
本作について把握していなかったことは申し訳ないし,同一図の検索だけでなく,香の配置をずらした場合でも先行作がないか調べておくべき,といい教訓になった.しかし今回noteを書こうと思ったのは,反省文を書きたかったからでも,盗作ではないと釈明をしたかったからでもない.
香1マスの配置の違いから,詰将棋作家が創作をしていく中で培われるある種の美意識が見えたような気がしたからである(大袈裟か).
当たり駒
「駒が当たりになっている初形を避けた」
これが佐藤氏が23香配置に至った理由と思われる.
意味が分からないと思うので具体例を示そう.
25金までの一手詰である.
注目してほしいのは,駒が当たりになっていないことである.例えば玉型33歩を置いても25金の一手詰であり,先ほどと何ら変わりはないのだが,22銀には「13と33地点の逃げ道を塞ぐ」という役割があり,玉型33歩があると「33の逃げ道を塞ぐ」という目的で銀と被ってしまい,なんとなく効率が悪そうに思えるのである.
例えば22銀を22馬に変えてみる.
22馬は23への利きを持つため玉型の23歩が不要駒になる.こうなると23歩を残す人はいない.22馬と意味が被って気持ち悪いからだ.
とはいえ手数が長くなってくると駒同士が当たりになることは仕方ないが,詰将棋作家は本能的に「駒を取りつつ王手がかかる配置」は避けようとする傾向にあると思っている.
実際私も香を23に配置するか24に配置するかかなり迷った.やはり香が当たりになる形に抵抗があったからである.
じゃあなぜ24香にしたのか.そこにはもう一つの美意識があったからである.
作品空間と作意空間
どちらも今勝手に作った言葉である.
初形配置の行,列の最大,最小値のマスからつくられる四角形の大きさのことを作品空間呼ぶことにする.作意空間は作意手順中からつくられる四角形の大きさである.説明が下手なので有名な3手詰を使って具体例を示す.
作意は52馬,同銀左,42銀打まで.
作品空間は4×3.作意空間は2×1.
作意は初手が52角成になった点以外は同じである.
作品空間は6×6.作意空間は2×1.
16角の方が飛び込む感じがあると思う.
別の例も見てもらう.
(即興で作った図)
16飛,同香,37馬まで3手詰.
作品空間は3×5.作意空間は3×2.
15に配置された香車は11~14までどこに配置してもよい.
しかし,例えば香を15→11に変更した場合,なんとなく違和感を覚えないだろうか?
他の駒に対して香車だけポツンと孤立していることがその正体と思われる.
この作品空間が実際の作意空間と同等の大きさであるか,孤立した駒が主役であれば良いが,作意も狭い空間でのやり取りであるため11香の違和感を拭うことができない.
(発表図再掲)
ということで,私は作品空間が広がり駒が孤立する印象を与えることを避けるため,香を24に配置した.
最初に示した有名な3手詰のように,孤立している駒が作品の中心になるのであれば「目立たせるためにあえて孤立した配置にする」ことも考えられるが,今回は特に香車は主役でないため,目立たせないことが何より重要と考えたのだ.
まあこの辺は結局作家の好みやセンスの問題で,どちらでもよいといえばよいのだが,類似作が発生すると作者の美意識が表れるような気がして興味深かったという話.
本当に美意識の問題だったのか
書き上げてから気づいたのだが,特に美意識は関係なかった可能性に気づいた.24に香を配置すると初手17銀打,15玉,16銀に14玉で逃れるのだが,その後15銀!の強烈な手がある.
同玉と取ると27銀以下詰んでしまう.
これには23玉が正しい応手で,以下24銀右,32玉で33銀打には43玉,33金には41玉で逃れている.この辺りが際どいため,佐藤氏は保険の意味で23香配置に至ったのかもしれない.
最後に
恥ずかしい間違いがあればどや顔ではなく優しく教えてください.
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