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気になった歌をひとつ③

継続は微力になるか問い掛けるパナケイアにはなれぬ両手に/麦野結香

彼女は医療(療養)系現場に勤務している。この大前提の元に読んでいきたい。
※作品発表当時

継続は力なりとは言うけれども、彼女はそう思っていない。「微力」にすらなるのかと懸念している。私なんぞの素人は医療現場のしんどさは分からない。恐らく想像を絶するものだと思う、そこに居ない者が簡単にしんどさを語れるような現場ではないと思う。けれど、力にならないわけがない。それくらい分かる。

一体、どれだけの経験をされてきたのか。どんな思いをしてきたのか。どんな思いを受け止めてきたのか。そしてきっと、その現場に長くいて「慣れる」という事などないむき出しの敏感なその感情が余計にそう言わせるのだろう。と思わざるを得ない。

全然違う話になるのかもしれないが、過去2回入院したことがある。(出産は含まない)そのうちの1回は救急車にお世話になるというものだったが、救急車の中での隊員さんの病院とのやり取りや、私への声掛け、病院に到着して医師に引き渡されるその時までの優しさに涙がでたし、入院中、しょっちゅう様子を見に来て処置をしてくれる看護師さんの気配りにどれだけ心救われたか。手術室に入って麻酔で意識が無くなっていくまでの間、手を握っていてくれたあの温かさと安心感は一生忘れない。

そこに居てくれるだけでどれだけホッとするだろう。なのに「微力」にすらなっているのかと問い掛ける。自分に問い掛けている。石川啄木の「ぢっと手を見る」ではないが自分の無力さを嘆いている。パナケイアになれないと嘆いている。その時点でもう紛れもないパナケイアだと私は思うけれど。(パナケイア:ギリシア神話に登場する癒しを司る女神)

くり返しになってしまう。いったいどれほどの人の思いと命と向き合ってきたのか。命と向き合ってきたからこその、この葛藤。こんなに真摯に命に向き合って、自分の身も心もずたぼろになって、尚、その目の前にいる人の気持ちを心配する。このどストレートな静かな短歌。そうだこれも言わせて。静かなのだ。声を荒げて感情を剥きだしに訴えていない。この手を差し伸べたところで何にもならないかもしれない。そんな葛藤を抱きながらもただただ静かに手を差し伸べている。もう私は泣けて泣けて仕方なかった。すみません、思い入れが強すぎる感想になってしまいました。

この歌が入っている連作はこちらから読めます。ぜひ。




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