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気になった歌をひとつ②

実体がわからないまま挽き肉をボウルの中でひたすらこねる/岡田奈紀佐

ホラーだ。

挽き肉はだいたい信用できない。何を挽いているのか分からない。その「実体がわからない」ものをこねている。ひたすら。

ホラーだ。

ハンバーグでも作ったことがある方なら分かる感覚なのではないだろうか、この「ひたすらこねる」という動作は頭の中が空っぽになる。野菜をありったけみじん切りにしたり、鍋を延々磨いたり、キッチンではわりとこんな風に頭の中を空っぽにして集中する技が多いように思う。

けれども、この場合は野菜や鍋ではダメなのだ。そんな爽やかな取ってつけたような詩情はいらない。挽き肉という生々しさ。この生々しさが主体の歪んだ心情をとても引き立てている。

なぜ主体が「歪んだ心情」なのだと感じるのか。実態がわからないと言いながらこねているその様がもうすべてを物語っていると思う。これ、この後調理して、誰かに食べさせるんだろうか。実態がわからないものでできた得体のしれない物を。それとも、こねるだけなのか。こねるだけこねてそれで終わり、だとしたらそれも狂気。

ホラーだ。

そして「ボウル」というのがこの歌をきゅっと締めていると思う。ボウルの中でだけの事なのだ。狂気はボウルの中だけで収まっている。ボウルがあるおかげで、肉があちこち飛び散らないように気を付けなくてはいけないし、万が一飛び散ったとしても(ハンバーグを作るときはよく飛びちるものだ)飛び散ったという気づきを得ることができる。実態がわからないものがあるのはそのボウルの中だけなのだ。ボウルの外には現実がある。ボウルは主体の心の防護壁、理性だと私は思った。

では挽き肉は主体の心の闇なのか光なのか、ということになるけれども、それは読み取れないしどっちでもいい。そんな深い意味はなくて、本当にただこねているだけの景なのかもしれない。何にしても狂気じみていると思えてしまうのは、深読みしすぎだろうか。


岡田奈紀佐さん、面白い歌をありがとうございました。想像力を掻き立ててくれる奥行きのある歌だなあと思います。ひとつの動作だけを描いていてこんなに面白いんだなあって。




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