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人頭鹿と鹿頭人 | 『大智度論』の物語

波羅柰国はらなこくの梵摩達王は、野林で狩りを楽しんでいたとき、鹿の群れを二つ見つけた。それぞれの群れには王と、500組ほどの鹿がいた。一つの王は七宝のような毛色を持ち、釈迦牟尼シャカムニ菩薩(釈迦仏の過去世)だった。そして、もう一つの王は(過去世の)提婆達多デーヴァダッタだった。菩薩鹿王は、自分の部族が人間の王とその従者たちにどんどん殺されていくのを憐れみ、人間の王に陳情しにいくことにした。王は、従者たちの一斉に放った矢の雨のなか、鹿王が何も恐れず直進してくるのを見て、部下たちに命じた。
「弓矢を取り上げよ、彼の言い分を聞こう。」
鹿王が着くと、王の前にひざまずいてこう述べた。
「王よ、あなたにとってはちょっとした楽しみかもしれませんが、我が群れの鹿たちが日々命を落とし、たいへん苦しんでいます。もし美味を堪能するために狩りをなさるのであれば、毎日鹿を一頭、王宮の台所に送ったらいかがでしょうか。」
王はそれを善しとして、そうすることを約束した。そして、二つの王は、それぞれの群れから毎日一頭ずつ送ることに合意した。

ある日、提婆達多の群れから、子を身ごもった1匹の鹿がやってきて、鹿王に懇願した。
「今日は私の番で、仕方ないことですが、お腹の中の子が可哀想です。死ぬべきでない者が死なずに済むよう、どうかご配慮ください!」鹿王はそれを聞いて怒り出した。
「誰もが自分の命が一番大事だろ?順番だからいくしかないんだよ。嫌がっても通用しないぞ」
母鹿は思った。「この王はダメだ、人の気持ちが分からず、私の言うことを聞き入れず、ただ怒るばかりで、いくら訴えても無駄だ。」
そこで、菩薩鹿王のもとに行き、事情を説明した。
「あなたの王は何と言ったか?」
「私の王は冷酷で、配慮するどころか、ただ怒るだけでした。大王は慈悲の心をお持ちの方なので、命懸けで願いに来ました。広い天地の中で、頼れるのは今大王しかいないんです!」
菩薩は思った。
「これは本当に気の毒だ。私が関わらなければ、彼女の子も殺されてしまうが、他の誰かを遣わすとしても、順番でないので強要することもできない。どうすればよいのか?自分が身代わりになるしか方法はない。」
考えが定まり、
「私は君の代わりに行くので、安心して」
と母鹿を帰し、鹿王はそのまま王のところへ向かった。鹿王が自らやって来たのを見て、人々は驚き、王に報告した。王も不思議に思い、鹿王を呼んで「他にはもう誰もいないのか?なぜ自分で来たんだ?」と尋ねた。
「大王のおかげで、狩られる心配はなくなったため、群れの数が増える一方で、他にいないわけではありません。実は、他の部族の中に、子を身ごもってもうすぐ出産する予定の鹿がいて、送るとその子どもも一緒に命を落とすことになる。彼女は私のところに願いしに来て、私はそれを聞いて可哀想に思ったんです。他の者を遣わすわけにもいきませんし、彼女を見て見ぬ振りするのも、木や石などと変わりません。そして、この体も、いずれ滅び、いつまでも所有できるものではありません。それを使って人を危難から助け出すことができれば、功徳無量こうとくむりょうではないでしょうか。慈悲の心を失うと、虎や狼と一緒ですから。」

鹿王の言葉を聞いて、王は席から立ち上がり、次の偈を語った。
わしは人間の頭をかぶった獣であり(人頭鹿じんとうろく)、
君は鹿の体をした人間である(鹿頭人ろくとうじん)。
形ではなく、心なのだ。
慈しみと施す心があれば、獣も立派な人間ではないか。
わしは今日という日から、一切の肉を食うのをやめる。
無畏むいを施すのだ。
これからは安心していい。

こうして、鹿の群れには平和が訪れ、王は慈悲深く信頼できる人と讃えられるようになった。


波羅柰國梵摩達王,遊獵於野林中。見二鹿群,群各有主,一主有五百群鹿。一主身七寶色,是釋迦牟尼菩薩;一主是提婆達多。菩薩鹿王見人王大眾殺其部黨,起大悲心,逕到王前。王人競射,飛矢如雨;王見此鹿直進趣已,無所忌憚,勅諸從人:『攝汝弓矢,無得斷其來意!』鹿王既至,跪白人王:『君以嬉遊逸樂小事故,群鹿一時皆受死苦;若以供膳,輒當差次,日送一鹿,以供王廚。』王善其言,聽如其意。於是二鹿群主,大集差次,各當一日,送應次者。是時,提婆達多鹿群中,有一鹿懷子,來白其主:『我身今日當應送死,而我懷子,子非次也;乞垂料理,使死者得次,生者不濫!』鹿王怒之言:『誰不惜命?次來但去,何得辭也?』

「鹿母思惟:『我王不仁,不以理恕,不察我辭,橫見瞋怒,不足告也!』即至菩薩王所,以情具白。

「王問此鹿:『汝主何言?』

「鹿曰:『我主不仁,不見料理,而見瞋怒;大王仁及一切,故來歸命。如我今日,天地雖曠,無所控告!』菩薩思惟:『此甚可愍!若我不理,抂殺其子;若非次更差,次未及之,如何可遣?唯有我當代之。』思之既定,即自送身,遣鹿母還:『我今代汝,汝勿憂也!』鹿王逕到王門,眾人見之,怪其自來,以事白王。

「王亦怪之,而命令前,問言:『諸鹿盡耶?汝何以來?』

「鹿王言:『大王仁及群鹿,人無犯者,但有滋茂,何有盡時!我以異部群中,有一鹿懷子,以子垂產,身當殂割,子亦併命,歸告於我,我以愍之。非分更差,是亦不可;若歸而不救,無異木石。是身不久,必不免死;慈救苦厄,功德無量。若人無慈,與虎狼無異。』王聞是言,即從坐起,而說偈言:

我實是畜獸,  名曰人頭鹿;
汝雖是鹿身,  名為鹿頭人!
以理而言之,  非以形為人;
若能有慈惠,  雖獸實是人。
我從今日始,  不食一切肉;
我以無畏施,  且可安汝意!

諸鹿得安,王得仁信。

大智度論  第16卷